第4話 残酷な答え合わせ。
「ねえ、ここって誰かの家じゃないの?」
オートロック付きマンションの一室に運び込まれて見渡す。部屋は広く、眺望もいい。少し殺風景と言える程ものは少なく片付いていた。
彼は黙ってキッチンへ向かうと珈琲を淹れ出す。その勝手知った様子に直感し思わず身震いした。
「まさかここ、貴方の家だなんて言わないでね……」
「そうだ」
男は短く、何でもないように答える。目眩がした。
「ちょっと待って……貴方自分が何をしているか分かってる?冷静になってよ……」
「ここが一番都合がいい。病院が近いし部屋もある」
男は当然のように答える。駄目だわ、昔から少し人とずれたところがあったけど。
「つまり貴方は、
「――そうだな」
男はその認識が無かったのか僅かの間考えてから言った。
「ふざけないで」冷たく言い放つ。
「絶対嫌よ。もう我慢できないわ。いいわ、脚も大分よくなったし、タクシーくらい捕まえられる」
「俺はお前は暫く誰かが傍にいた方がいいと思う」
「ああ、そう。お節介ありがとう。でも少なくとも貴方じゃないわ」
「お前は近くにそういう人間がいないだろ」
「余計なお世話よ」
かっとして、痛みも忘れて歩く。しかし手首が掴まれた。
「聞け」
「ッ……」
立ち止まると痛みでよろけるのを支えられ、仕方なく一度ソファに座った。
吞気にコーヒーまで出される。
「見ていて痛々しい」
「知ったような事言わないでくれるかしら」
「既婚の男を追いかけて、仕事まで決めた。全部それを軸にして、他に人間関係を築こうとしなかった。それが壊れると冷静な判断力を失って死にかけた」
「……」
黙ってコーヒーに手を伸ばす。
そんなこと、分かっているわ。今更
「でも一言余計だわ。壊れてなんかいない」
「ああ、言い過ぎたな……。けど
「……!」
「俺も奇妙だと思う。あいつの事だから花束でも持って見舞いに来そうなものだ。だがあいつが言って来たのは――」
ぴくりと手が止まる。
「何か……私に?」
「俺に、今回の被害状況だ。近辺だからと心配を装っていたが、今迄にそんなことはない。何故報道よりも前に俺に言って来たと思う?」
「私に――間接的に知らせる為だとして……職務体系を尊重して、よ。もう直属の上司じゃないから。でも、私が早く正確な情報を知りたいだろうと」
「お前の安否は聞いても来なかった」
「――だから何?心配して欲しいなんて甘えていると思った?」
「死にかけても突き放すような奴だって、分からないのか?」
「貴方はあの人を余りよく分かっていないようだわ。仕事に対して真摯だし、厳しい事も言う。でもそれは私を信頼しているからよ」
どうしてだか口を閉じたら泣いてしまいそうで、そんな訳にはいかず止まらなかった。見当違いだと分かりながら目の前の男を
「貴方は昔から甘えたところがあるわね、霧崎君。仕事より家族を大切にすべきだとか。この仕事は普通の仕事じゃないのよ。国から任命されて、国民の命を預かっているの。貴方達だけじゃなくて貴方達を取り巻く日本ごと守るのが、あの人の大きな愛なのよ」
「……お前のあいつに対する解釈を否定する気はない。そうではなくて、」
「あいつの背中を追い続けても幸せにはなれないと、そろそろ気づけ」
「幸せにならなくて結構よ」
「幸せにできないのにそういう風に追われ続けられたら、迷惑じゃないか?」
「――……っ」
何も言い返せなくて唇を噛む。
「あいつと何か、あったんだろ」
「――別に……あったとしても、貴方には関係ないわ」
「一応あれは俺の父親だ」
「だから?何かあったら私をどうするの?」
「そうだな。何かあったなら、あいつとは絶縁する。思い切り殴ってから」
「それは好都合ね……。貴方の存在が、一番邪魔だったもの」
「目を覚ませ、日下葉那」
手首が掴まれ真直ぐ見つめられる。あの人に良く似た整った顔で、絶対に違う蒼い瞳と、怒った様な表情。乱暴さ。
そして何が起きたか分からなかった。
頭が持たれて、顔が近くて、唇が押さえられていた。
何が起きているのか分からなかった。
顔が離されて、相変わらずの少し怒った様な蒼い瞳が射抜くように見つめている。
「俺がお前を幸せにしたい」
放心していた。
「お前のあの時の表情を、もう一度見たい」
「あの時って……」
「お前が目を覚ました時……居たのは親父じゃない」
「俺だ」
崖から真っ逆さまに堕ちて行く、そんな感じ。
溢れだした涙が止まらなかった。
――あの幸せは、夢ではなく、嘘だった……
初めてのキスは、好きな人ではなかった……
***
「ただいま」
彼はとん、とテーブルに箱を置く。私はぺらと本のページを捲る。
出口を無くして、私の心は死んでいた。
「ケーキを買って来た。……評判らしい」
「私、いらないわ」
この人も多分、誰とも付き合った事なんかないわね。どうしたらいいか分からないに違いない。それで、こういうそれっぽくて上っ面の発想になるんだわ。
紅茶と、皿に載ったチーズケーキに溜め息をつく。
「夜に甘いものは食べないの」
「葉那は痩せ過ぎだと思うが……」
本を置いて立ち上がる。
「もう寝るわ。それと、気安く名前を呼ばないで・て何度目かしら?」
「おやすみ」
後ろから、軽く引き止めて頭にキスをされる。
気持ち悪い。振り払って歩く。
未だ少しズキズキするけれど、できるだけ正常に見えるような歩速で進む。
どうしてあの人は勘違いしているのかしら。まるで私がもう恋人にでもなったような接し方じゃない。一度のキスだけで男女関係が成立するとでも思っているのかしら。
隅から隅まで無神経なくせに。
ここに来てからもう何週目かしら。
今はもう仕事に復帰している。以前より淡々として。
結局処分なんてものはなく、傷病休暇だけの扱いだった。彼が口下手なだけだった疑いがある。それでも前より事務処理的なものを任されるようになった気がするけど、仕方ないわね。信用を取り戻す為には着実にこなしていかないと。
でも不思議と以前より悔しくない。頑張ったところで誰が褒めてくれる訳でもないし、特に何か価値も感じられない。
彼との関係は特に変わっていない。
食事は和食が好みだと知ってからは洋食ばかりにしている。
「次の休みに映画を観に行かないか」
「一人で行ってくれば?」
「……」
別に冷たくしてる訳じゃないの。単に貴方に興味がないだけ。
「――そうね。次の休みはショッピングに行くから、付いてきても構わないわ」
早く目を覚ましてあげた方が手っ取り早いわ。貴方と私じゃ全く、趣味も嗜好も違うのよ……
洋服と、靴とバッグを適当に買って、予約していた店に入る。
つまらないわ。
まあ、誰といたってつまらないけれど。
「貴方も私といたってつまらないでしょ?」
「いや、お前といると楽しい」
「ねえ
「ああ。あの時初めて、女を可愛いと思った」
「そう……」
駄目だわ、これ。何を言っても通じなさそう。
「霧崎君て、どういう人が好みなの?」
「特にないな……。葉那は?」
「大人で多趣味でエスコートの上手い男性ね」
「そういう奴って、外面だけだと思うぜ」
「そう。まあ、貴方には無理ね」
言って、くいとワインを飲み干す。
空のグラスを軽く向けると、彼がボトルを傾けて躊躇いがちに言う。
「少しペースが早くないか?」
「お酒を飲む女性って好きじゃないかしら?」
「いや、そうじゃなくて……顔が少し赤い」
「じゃあ、もう帰るわ……」
バッグを持って立ち上がり伝票に手を伸ばすと先に取り上げられる。
「私……貴方におごられたくないの」
「俺もだ」
「面倒な人ね……」
歩くとくらりと酔いが回って来る。
「じゃあいいわ……貴方のエスコート、見て上げる……」
男に寄りかかり、腕を組ませた。
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