決行前夜

 冬休みに入った最初の週、心は初めて美容室に行ったそうだ。

 髪型を変え、色も明るいブラウンに染めた。

 母さんは「似合ってたよ」と教えてくれたが、会いに行く気にもなれず、テキトーに聞き流す。


 次の週……心の家から大きな破裂音がした。

 いくら隣とはいえ不安になるような音。

 それから次に怒鳴る心の父親の声、初めて、聞いた。

 たまたま家にいた両親が慌てたように出ていく。

 数分後、母さんは鼻血を出した心を連れてリビングに入ってきた。

 安心させるように「大丈夫よ、大丈夫」と母さんが声をかけている。

 頬が真っ赤に腫れ、ジッと俯いているがパニックになっているわけではなさそう。

 俺は、怖くて部屋に隠れた。

 あとから父さんが「母親にどうしても電話をかけたかったみたいで、ケンカになったらしい」と教えてくれたが、曖昧に相槌を打つことしかできなかった。


 その次の週、俺に、彼女ができた。

 別クラスでよく心に優しく声をかけてくれていた女子。

 名前は、雪原真美さんだったと思う。

 本屋で会って、声をかけられた。

 俺のことは1年の頃から知っていたらしく、前から気になっていたとか……。

 なんとなく……ただなんとなく付き合う。


 冬休みが終わる前日、時刻は0時を過ぎていて寒さと尿意に目を覚ます。

 ねむ……あれ?

 カーテンを閉ざした窓の奥、微かに明かりが見えた。

 ちょうど隣が心の部屋で、こんな時間まで起きているのは珍しいと思い、俺はカーテンと窓を少し開ける。

 向こうもカーテンで締め切っているから見えない、声も聞こえない。

 だからなんだよ……俺には関係ないだろう。

 トイレに行って部屋に戻ると、心の部屋は暗くなっていた。


『それじゃあ心ちゃん、また学校で』


 締め忘れた窓の隙間からハッキリ聞こえた爽やかな声。

 思わず窓の外に顔を出す。

 心の家から寒そうにジャケットを着込んで出てきた、沢城。

 街灯に照らされてすぐに分かったが……なんで沢城が?

 こんな時間までいたのか? 心の部屋に?

 眠気が覚めてしまった……それどころか落ち着かなくて、余計なことを考えてしまう。

 沢城が心の家に踏み込んだという事実が気持ち悪い。

 もしかして、が何度もぐるぐる回る。

 



 何を考えてるんだか、ダウンジャケットを着てこっそり抜け出した。

 車がない、心の父親は帰ってきてないみたいだ。

 もしくはこの前のケンカが原因か。

 ドアノブを掴むと、すんなり開いた。

 不用心過ぎる……。

 暗い室内をスマホで照らしながら2階に上がった。

 扉をゆっくりノックする。


『お父さん?』


 起きていた。

 心臓が痛いくらい何度も跳ねる。

 気持ち悪さも込み上げて、今すぐ吐き出したい。


「あーいや、俺……」

『春斗君?』


 扉が開く。

 パジャマ姿の心が真っ直ぐに俺と目を合わせた。


「どうしたの、こんな時間に」

「え、あー寝れなくて、ちょっと話もしたいしなぁと」

「…………リビングじゃダメ?」


 部屋に入れてくれない様子。

 暗くて中がどうなっているのか分からない。

 リビングの明かりと、エアコンをつけた。

 背中が凍りつくぐらい寒く感じる。


「沢城、何しに来たんだ?」


 問いに対して、淡々とした表情。


「謝りに来てた」

「アイツが?」


 全く反省の色がなかったのに、なんで今更……。

 心はわざわざホットココアを用意して、俺の前に置く。


「さっきまで友達と遊んでたんだって、それで、帰るついでに」

「ついでにって、部屋まで上げたのか?」

「うん。私も頼みたいことあったから」

「何を?」

「たくさんしたいことあるって前に言ったでしょ? 私1人じゃできないこともあるの」

「お前に酷いことをした奴にわざわざ頼むなんて、おかしいだろ」


 ホットココアを一口飲んだ後、心は小さく笑う。


「……どれのことだろ、分かんないや……」



 会話が終わってしまった……――。

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