第4話 オールドローズ
ゆっくりと周囲を見渡し、あの奇妙な裏声がこの単純化された空間に侵入していないか確認し終える。
僕は寸暇を惜しみながら、傷だらけの下腹部に触れた。
それは幼い頃にあの人が気まぐれでお土産に買ってきた海豹のぬいぐるみのように肌触りがよく、そのときの享楽が見事に再現されていく。
触れば触るほど学ランの制服の分厚い生地に隠されている常であれば、抹殺されがちな醜い突起の筋が拘縮されてしまう。
その野次馬の凄まじい現場を見たくもない。
恐らく、火口からは流れる性的な溶岩が放出されてしまうだろう。
フェロモンを嗅ぎつけた空蝉は突起の周りを貪婪な細い口から刺激し、僕の身体の神髄を舐め回す。
夜ごと夜ごと、繰り返される痴情は虜になった空蝉を満足させ、僕はいつも古くなった天井の擦れた染みを数えなくてはならない。
白濁に見える粗い肌からは汗という不吉な液体が此岸まで垂れ、僕の皮膚にある、成熟の孔まで染み渡る。
……それを我慢するためにも何としてでも避けたいのだ。
今日も平凡を絵に描いたようなクラスメートの幾人かが、あんなに必死に汗水を散らして、簡単な問題をせめての覚悟で埋めていたか。
僕には彼らの愚昧が全く分からない。
あんな初歩的な問題でミスを連発してしまう。
そんな無意味さは空蝉が脱皮する際に招き入れる、世紀末に味わい得ない不快感と同じだ。
まあ、あと半年、ちょっとで彼らも受験に失敗し、義務教育しか通過出来ず、結果、僕と同じような負け組みになるという悪夢に苛まれる運命にあるが。
僕も見境なく、自業自得だ。
今まで努力を怠ってきたから。
部活ばかりに熱中し、それ以外の暇は同党の連れ合いと三文小説を読むか、スマートフォンで享楽三昧なサイトにヒソヒソと顔を突っ込むか、どちらにせよ、実に僕らは貧弱だった。
試験の最中に頭上から教卓ノートが下りてくるのを僕は幾度もなく目撃した。
ああいう光景を一度でも見たら肝臓の底まで転げ回りそうだ。
特にクラスメートの少女があの空蝉が脱皮するように成長して行くさまは何とも如何わしい。
胸元に秘めたオールドローズが淫らに咲き乱れ、わざと高級娼婦、麗しき椿姫のように下着を透かせ、多数の男に媚びて僕の意中まで腐臭が漂う、悪の華に染まりそうだ。
随分前に一度、少女の一人が僕に手紙を渡して、その場から木枯らしのように駆け足しながら立ち去ったことがあった。
僕はその中身を読んで久しぶりに少女らが愛するミニチュアハウスのような学校で黒っぽい感情を露にしてしまった。
手紙の内容ははっきり言って牡丹の押し花のように定型化されていた。
好きです、と一言から始まってしまいには付き合ってください、で可愛げなピリオドを打つ。
最後に興ざめな矢が射抜かれたハートマークが書いてあった。
これは少女が思索した罠だろう。
よくもまあ、巧妙に作った罠だ。この幼稚な罠に僕は吃驚を禁じ得なかった。
周りの悪童が冷やかしなのか、大声で意味もなく嘲っていた。
が、無論、僕はその場で手紙を破った。
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