第3話 雛罌粟


 このか弱いなだらかな皮膚を脱がし、露にさせるこの瞬間が何とも癒えない。


 嬌声のような喘いだ悲痛な声と凹んで弾けた風船のような鈍い音とのコラボレーションがたまらなく僕は好きだ。


 図書館で借りてきた本で真紅の雛罌粟を初めて見たときのうっとりした甘美さもこうしてまた味わえるから。


 純粋な乙女が罠に落ち、抱かれた際の涙の代わりに流す血の涙のように僕の哀しみは流れ落ちていく。


 ありふれたこの世からその一つしかない琴線がプツリと傲慢なナイフで切り裂かれると僕の心は穏やかになる。


 僕にとってこうやって血溜りを見て、残虐な恍惚感に浸る行為はあの人たちの攻撃から逃れられる、唯一の常套な手段なのだ。


 僕は僕の腕を優しく、可逆的にさらに切り刻んだ。


 


 妖美をちらつかせた、僕の心の腫瘍をあの世へ連れて逝かせるのは僕にとって最良だ。


 何故なら、この憎悪に満ち足りた暗い森にさ迷い、ビクビクと生きるよりも、こうして初々しい清らかな信条を永遠に残すほうが仕合せだから。


 僕の傷心はしばらくして声を上げるのを終えるとダランと傷がある片方の腕を宙吊りにさせた。


 冷たい漆塗りの床の下で僕の傷心はたゆまぬ不死を拒絶していた。


 可哀想にこのままでは、この僕の傷心は煉獄に堕ちてしまうよ。


 心を突き刺す、ナイフのみが僕が僕を救ってあげられる唯一の道具なのだから。


 被虐的な痛みを軽快に飛ばしながら、笑窪を緩ませて元来、抜け殻に溜まっている緋色の水滴を家から、こっそり持参した硝子のコップに掬いとって少しずつ溜めた。


 そこから滴り落ちる雫は僕が生前、辛苦を味わったゆえの悲しい涙だった。




 双眸を大きく開いて大胆かつ繊細な悲愴感のある、ワンシーンを鑑賞する。


 硝子の静けさが強烈なジェラシーとなるまで僕は、僕自身のその赤い一部一部の結晶体を見つめる。


 名付けようのない、厭悪がこっそりと生えている恥部がジワジワと熱くなり過ぎるのを堪えて僕は冷静を装いながら記憶の海に残す。


 


 あいつらが学校で僕を蹴っては殴り、淫らなままに嬲り、全てを終えた夕間暮れ、静かに凶事に堪えた僕が後日、こっそり悲痛な甘美主義、いや、ロマンティズムに浸るためだ。


 無論、誰にも邪魔されぬよう皆がめったに通ることがない近隣の公園の雑木林の少し奥でこの聖なる儀式を着々と実行している。


 念のためだ。僕は瞼に力を込めながら周囲を窺う。


 時々、小学生がこの先にある小川に遊びにくるから、この崇高な儀式を最後の最後まで行うためにも彼らのような異端児には気を付けならねばならない。


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