第6話 この海は遥かに続く

 平知盛は、見る者が胸を痛めるほど憔悴していた。


 西進する木曾義仲、源頼朝らに対抗するため、知盛が採った策は壮大なものだった。須磨北部の山地を背負い、瀬戸内海を外堀とした大城郭の建設である。


 さらに海を隔てた対岸である讃岐の国、屋島にも拠点を設けた。

 瀬戸内の両岸を抑え、各地の水軍を味方に付けて海の交通を扼することで、瀬戸内の制海権を完全に手にしていた。


 京で木曾義仲を打ち破った鎌倉軍もこの城塞には歯が立たなかった。何度も苛烈な攻勢を仕掛けるものの、その度に撃破され退却を繰り返している。


 この源氏方の劣勢をみて、西国の豪族たちも平家方に立つものが現れ始めた。


 京へ向けて反攻の時は近い。

 宗盛をはじめとした平家一門はその思いを強くした。


 だが、その期待は突然に打ち砕かれた。

 知盛が文字通り心血を注いで築き上げた城塞は源頼朝の弟、義経の奇襲攻撃によって陥落したのだった。


 鉄壁に思えた福原の大城郭。その“蟻の一穴”とも云うべき場所が、一の谷の間道だった。中央突破を許した平家軍は、同時に総攻撃に出た源氏軍の前に、ついに全軍崩壊に至ったのである。


 ☆


 この戦で平家が失ったものは福原だけではない。

 平家軍の主力となる宿将、そして次代を担うべき青年武将たちである。


 清盛亡き後、平家を代表する名将といえば、まず薩摩守さつまのかみ忠度ただのりだろう。熊野地方を平定した豪勇に加え、和歌の達人としても知られる。

 彼と並ぶのは 重衡しげひら。平家の宿敵である南都の仏教勢力を壊滅させ、無類の戦上手と称される彼は、琵琶、笛など管弦の技にも秀でていた。

 その忠度は討ち取られ、重衡は虜になった。


 そして知盛は嫡子、知章を喪っている。父を救うため敵中へ斬り込んだ彼は、知盛の眼前で無残な死を遂げたのだった。


 知盛は宗盛と二人きりになった時に声を上げて哭いた。


「子を見捨て、自分だけが生き残るなど……ひとの親がすべき事ではありません」

 その知盛の肩に手を置き、宗盛も止めども無く落涙した。



 平家は福原を放棄し、屋島に拠点を移した。


 ☆


「大宰府へ向かおうと思う」

 平家の主だった者たちを集めおれは宣言した。


 知盛の執念というべきだろう、福原を失い屋島へ移った平家だが、その勢威は衰えていない。


 知盛は水軍の指揮を得意とする能登守のとのかみ教経のりつねを主将として抜擢する。その平家水軍は、瀬戸内沿岸各地で蜂起した源氏勢力を片端から叩き潰していた。

 そのため、瀬戸内はやや安定した状態になっている。


「西国に勢力を扶植するには今しかない」

 折しも九州の豪族、緒方惟義が今上帝(安徳天皇)の動座を提案して来ている。


 確かに屋島と比較しても、古来より政庁としての機能が集中している大宰府の方が行在所あんざいしょ(仮御所)として適していた。

 そして、もう一つ理由があった。


「日宋貿易を再開させる」

 宋国との交易による経済力をもって東国の源氏と対抗するのである。父清盛の死によって中断している日宋貿易は平家復活の切り札になるだろう。その拠点として大宰府は最適だった。


 それはまだ夢の段階だ。

「だが、ひとは夢をみることで未来へ向けて進むことが出来る」



 屋島の守りには知盛と教経を残すことにした。彼らがいるからこそ、瀬戸内の海賊水軍も大人しく平家に従っているのである。


「緒方の動向にはくれぐれも、ご注意ください」

 知盛は大宰府行きに賛同しながらも、どこか疑いを捨てきれていない。蛇神の子孫とも伝わる緒方惟義は中央に対し反覆常無い。


 知盛はやつれた顔の中で、瞳だけが鋭い光を放っている。もはや戦う事だけがこの弟の生き甲斐となっているかのようだ。自分は死に場所を求めているのですと、ふと漏らしたことがあった。


 従来から怜悧な頭脳を持つ知盛だが、最近は凄絶なまでの戦術の冴えを見せている。その知盛の危惧を、おれはもっと深刻に受け取るべきだったのかもしれない。



「では行って来る」

 こうして安徳帝を擁したおれたち平家一門は、新たな希望を胸に瀬戸内海をさらに西へ向かった。



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