第5話 平家都落ち
どうやらおれには、逃げ癖がついているようだ。
平氏棟梁の座をめぐり、兄の重盛と比較されたおれは敢えて身を引いた。嫡子云々は別としても、人格者で文武の才にも秀でる兄の方が適任だと思ったからだ。
だが、その重盛が急死したために、おれは図らずもこの座に就く事になる。
あの時、責任を回避しようとしたおれは、今回もまた逃げる事を選択している。
「だがこれは、平家のためなのだ」
「何を独り言を言っているのですか。評議が始まりますよ」
知盛が眉をひそめている。おれは頷いて、立ち上がった。
☆
おれは集まった平家一門を見渡し、ひとつ咳払いをする。
「木曾の大軍が京を目指しているのは皆もご存じでしょう。だが折悪しく都は兵が手薄になっております。ここは一時、福原に拠点を移そうと思います」
富士川そして北陸と、続けて致命的な大敗北を喫した維盛に、ちくりと釘を刺す。
福原(現在の神戸市付近)はかつて父清盛が都とした場所である。それなりに街区も整備され、万一の場合の防柵もまだ残っている。
撤退、いや反撃の拠点とするには悪くない。
だがここで声をあげた者がいる。
「何を言っている。ここは京に残り、一戦交えるべきである。たとえそれで滅んだとて、それこそ武家の誉れではないですか!」
弟の知盛だった。
「老若男女、みな死に絶えるまで戦い、平家の名を後世に残すのです」
拳を握り切々と訴える様は、まさに血涙下る魂の叫びと、誰もが思っただろう。
(これはなかなかの役者だな)
おれは感心した。
先程、知盛と重盛を交え対策を話し合った際に、京の都を守るのは困難だという結論になった。しかし、ここは武士の意地を見せるべきだ、という意見が出るのは目に見えている。
場の空気がその意見に乗せられ、結果、半端な兵力を木曾軍の迎撃に向かわせたとなれば、それこそ無駄な兵力損耗以外の何物でもない。
それを抑えるため、あえて知盛に強硬な意見を述べてもらったのである。
「落ち着け、知盛。そんな、一族滅亡などと縁起でもない。ここはやはり宗盛の言う通りにしようではないか」
平時忠。母時子の兄弟である。
おれと知盛が一番に危惧していたのはこの男だった。必ず、威勢の良い事をぶちあげ、そのくせ自分は真っ先に安全な所に避難するのは目に見えていた。
知盛とおれは、ちらりと目配せし合った。
「時忠どのの仰せとあれば……」
いかにも不承不承といった様子で知盛は頭を下げた。その実、おれと同じく安堵の息をついているだろう。
「では福原へ向けて出立だ。みな、急いで準備を始めましょうぞ」
☆
屋敷へ戻ると、息子の清宗が慌てた様子でやって来た。まだ少年の域を脱しない清宗は頬を染め、険しい顔付きでおれを見上げる。
「都を捨てるとは本当ですか」
早くも噂が伝わっているようだ。おれは清宗を前に、居住まいを正す。
「本当だ。ただし、捨てるのではないぞ。木曽の者共が、空っぽの京で飢えるのを待つのだ」
「その後は」
「西国の兵を集め、都を奪還する」
おれは力強く頷いてみせた。
途端に清宗の顔が輝いた。
「その時は私も戦います、父上」
立派になった息子の姿に、おれも自然と頬がほころぶ。
「頼もしい事だ。期待しているぞ」
「おや」
清宗が庭の方を振り返った。猫の鳴き声がしている。
すると、頻りに鳴きながら肥ったネコが縁側を歩いて来た。いつからか勝手に居着いた年寄りの三毛猫だ。
「おお、ネコ。お前も挨拶に来たのか、賢いやつよの」
だがそいつは、伸ばしたおれの手を前足ではねのけ、清宗の膝に上がっていく。
「ちっ、生意気なネコ畜生め」
おれだって、たまにエサをやっているだろうに。それは憶えていないらしい。
「父上、言葉が汚いですよ」
笑う清宗に、ネコは安心しきった様子で頭を撫でられている。
「このネコも連れて行って貰えるのでしょうか」
猫は昔から不吉な生き物といわれている。此の様な時に、本当なら連れて行きたくはない。
しかしこうして猫を可愛がる清宗を見ると、それも酷な気がするのだ。
「そうだな。では、こいつには福原の屋敷でネズミを狩って貰うとするか」
「ありがとうございます」
ネコはおれを見て、迷惑そうな声で鳴いた。
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