第3話 四面楚歌

「兄上、持ってきましたよ」

 知盛が書籍を抱え部屋にやって来た。


「おお。いつもすまんな」

 おれは枕にしていた本から頭を上げる。途端に知盛は眉を吊り上げた。

「何ですか、せっかく貸して差し上げた本を」

「ああこれか」

 しまった。大人しそうでいて、知盛は怒らせると怖いのだ。


「これはな。こうやって本の上に頭を乗せていれば、寝ているうちに内容を憶えられるのではないかと思ってな」

「そうですか」

 知盛は、がっくりと肩を落とす。

「ではこの本は全部回収させてもらいます」

 いかん。本気で落胆させてしまった。本だけに。


「待ってくれ、まだどれも一回しか読んでいないんだ。あと二、三回は読まないと頭に入らない」

「ほう、これを全部」

 知盛は床に散らばる大量の本に目をやった。


「では兄上。『泣いて』?」

 は?

「いや、泣けと言うならいくらでも泣いてみせるが。なんでだ」

「違います。『泣いて』で始まる言葉があったでしょう、その中に」


 おお。思いだした。

「それは『泣いて馬謖を斬る』だな。命令違反を犯したものは、たとえ期待の若手でも容赦するなという教えだ」

「読んではいるのですね。内容の理解はともかく」

「なんだ、どこか間違っていたか」


「いえ、別に」

 苦笑しながら知盛は部屋を出て行った。


 ☆


 重盛が亡くなったことで、平家内部の対立が急速に表面化している。清盛の後継と決まった宗盛に対し、重盛の嫡子維盛は戦闘の主体となる侍大将の多くを抱き込み、軍事力によって宗盛に対抗しようとしていた。


 侍大将らも、戦場で腰を抜かすような宗盛を総大将とするのは不安なのである。かたや維盛は『光源氏の再来』とまで言われる美貌の持ち主である。戦の才能はまだ明らかではないが、神輿として担ぐなら維盛を、という事らしい。


 そんな折、日本全土から反平家の狼煙が上がる。


 その嚆矢こうしとなったなったのはげん三位ざんみ頼政。君側の奸を除くと称し、以仁王もちひとおうと共に挙兵したのである。




「おれの事なのかな、君側の奸とは」

 うむう、と首筋を掻く。でも全然、心当たりがないが。

「宗盛兄は頼政どのの所の仲綱と仲が悪かったじゃないですか」

 重衡が呆れ顔で言う。


 頼政の子息、仲綱か。ああ、確かに。

「だがあの男、おれに馬をけしかけて来た事があってな。危うく蹴り殺される所だったのだぞ」

 こっちは一方的な被害者と言ってもいいくらいだ。


「でもそれで、宗盛兄が仕返しにあの馬の額に落書きをしたんでしょ」

「仲綱の奴は顔が長いからな、でっかく『仲綱』と書いてやった」

 あははは、と笑う。あれは思い出しても傑作だった。

 それ以来、おれと仲綱は犬猿の仲なのだ。



「笑いごとではありませんよ、兄上」

 暗い表情で知盛もやって来た。


「あの者ども、以仁王の打倒平家の令旨を全国にばら撒いております。それに呼応して、すでに各地で不穏な動きが見えております」

 知盛は指折り数え始めた。


「まずは奥州、藤原秀衡」

「げっ」

 最初から想像を絶する大物だった。


「そして伊豆の流人、源頼朝」

「待て、頼朝というのは源義朝の子で、斬刑に処すところを父上によって救われた、あの男か」

「その通りです」

 許せん、頼朝。あの恩知らずめ。


「そして信濃からは木曾義仲という者が」

 ふむ、……それは知らない。



「なるほど、これは四面楚歌であるな」

 おれが呟くと、重衡は目を丸く見開いて驚愕している。

「まさか宗盛兄からそんな名言が出ようとは。何か悪いものでも食ったのではないか。なあ、知盛兄」

 むむ、弟とはいえ失礼な奴だ。


 だが知盛は固い表情のまま、深く頷いた。

「まさにその通りです。ですが、この包囲網はまだ完成しておりません。打ち破るには速戦即決あるのみ。まずは頼政と以仁王を討たなくては」

 おれは頷いた。


「一門を招集せよ。軍議を開く!」


 知盛と重衡は慌ただしく内裏へと走った。

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