第149話

「由香里」

 耳元で声がして、背中からギュッと抱きしめられた。やさしくてあたたかい……。由香里はアズキの極彩色ごくさいしきそでに顔をうずめた。

「嫌な夢でも見たのか?」

「ううん。幸せな夢。祖父母とシマがいて……。でも大丈夫。思い出は持ってきたから。いつでも心の中でアルバムを開くことができるから」

「そうか」

 アズキによしよしと頭をなでられて、由香里は泣きそうな顔でほほ笑んだ。

「……アズキ、服ボロボロ」

 由香里は服の切れ目から中をのぞいて、アズキの肌に傷がないのを確認すると、ホッとした。そして自分の右腕が血だらけなのを見ておどろき、あたりを見回した。

「俺は由香里を追って壁の中へ入ったんだ。由香里は黒いナイフで自分の右腕を切りつけてた」

「……ナイフ?」

 由香里は自分の両手を見た。

「消えたけどな。黒くて禍々まがまがしいナイフだったぜ。ヘザーと同じにおいがした」

 アズキは顔をしかめた。あのナイフをつかまえてへし折りたかったが、由香里が手を離したとたんに消えた。消滅しょうめつしたというより姿を消した、という感じだった。逃げられた、と思った。

「さてと。アイリスのいる部屋に戻るには……どうすっかな」

 アズキは部屋を見回した。真っ白なだだっ広い空間。部屋というより大広間だ。窓もドアも家具も何もない。白い床と壁と天井が広がっている。

「……ここから、出れる」

 由香里が、トン、と裸足はだしの足で床を叩くと、足もとに扉が現れた。



 

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