第148話

 ゆらゆらふわふわ夢の中。由香里はなつかしい思い出の中にいた。今はき家の中で、今はき祖父母と愛猫あいびょうに囲まれて、幸福にひたっていた。

 夕日にまる台所で、祖母ばあちゃんが夕食を作っている。今日のご飯は何だろな。祖父じいちゃんは、お気に入りの椅子いすに座ってラジオで野球を聞きながら、新聞の囲碁のらんにらめっこ。由香里は窓辺まどべでシマをなでながら、れなずむ景色けしきをながめていた。

 くいっ、と右手が引っ張られた。由香里は手を払った。

「由香里」

 誰かに名前を呼ばれた。五月蠅うるさいな。手で払う。

「由香里」

 邪魔じゃましないでよ。この幸せな閉じた空間の中に、入ってこないで。祖父母とシマと安全な家の中。……何か、りなくない? ピースがひとつ、けている? 私の幸せなピースは、祖父母とシマと……オレンジ色の……?

 くいっ、と右手が引っ張られた。呼んでいる。……行かないと。探しに行かないと。オレンジ色のウサギを。

 由香里はドアに手をかけて、不安にかられて振り返る。ドアを開けたら、この幸せな空間が消えてしまう。黄昏たそがれの家の中、この中でまどろんでいたい。……でも、この中にアズキがいない。

「由香里!」

 アズキが呼んでいる。……でも、ここを出たくない。やさしくてあたたかな愛情にくるまれて、安らかなこの家の中に閉じこもっていたかった。大好きな祖父母とシマと、ずっといたかった……。ドアノブをにぎった右手が、行くな、と痛む。由香里は痛みをこらえてドアを開けた。

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