第144話

「んっ⁉」

 次の瞬間、アイリスは杖ごとはじき飛ばされた。アイリスを後ろから受け止めた由香里ごと、壁際かべぎわまで吹き飛ばされた。

「アイリス!」

 由香里はすぐに体を起こして、床に倒れたアイリスの肩に手をかけた。ケガはなそうだけど……アイリスの様子が、何か変。アイリスの横に倒れた杖が、あわく光った。アイリスと由香里の周りを、淡く青い光のおびがぐるりとかこう。

 ヘザーの金色のドレスのすそから、真っ白なタコ足がうねり出てきた。

 白い床が白いタコ足でうねる。タコ足は、うにょりぐねりと床の上をい回り、すきうかがいシュルッと伸びて攻撃してくる。アズキは極彩色ごくさいしきの布バンドをむちのように振ってヘザーのタコ足を叩き落とすと、青い帯の円の中へ飛び込んだ。タコ足はこの青い結界の中へ入ってこれない。

「マズいな。アイリスの奴、まともに食らったな」

 由香里とアイリスを背にかばい、アズキは極彩色の布バンドをかまえた。

「ほう。チャシュは石になったか」

 ヘザーの冷たい金の目が、アイリスを射竦いすくめる。ヘザーの赤くれた唇がニタリと笑った。

「アイリス! ヘザーの話を聞いちゃダメ!」

 由香里の声がする。体に力が入らない。頭のしんが、ぼぉ~っとする。アイリスは冷たく硬い床の上に倒れたまま、動けなかった。

「アイリス……しっかり……」

 由香里の声が遠のいてゆく……。視界がぼんやり閉じてゆく……。耳元でヘザーの声がした。

「チャシュはアルキスの男だろう」

「ちげーよ。俺とチャ……」

 遠くでアズキの声がする……聞き取れない。ヘザーの声がやけにはっきりと聞こえた。

「チャシュはモテる。アルキスが異界いかいに落ちて傷心しょうしんのチャシュは、お前を抱いた。お前はチャシュを手に入れた。周りは次々と石になり、お前はチャシュと世界に二人きり。そこへアルキスが戻ってきた。チャシュの愛する男、アルキスが。邪魔者じゃまものが」

 アイリスの心を冷たい風が吹き抜ける。

「お前はこの世界にチャシュと二人だけ。互いだけを見つめ合い、抱き合い、むつみ合う、二人の世界」

 チャシュと二人でからみ合う、満ちた世界。アイリスはそこへ行きたいと思った。チャシュと二人で永遠にひたっていたいと思った。

「アイリス……」

 由香里が遠くで呼んでいる。何か言っているけれど、わからなかった。

「チャシュは石になった。お前の横に、チャシュがいない。魔女のお前は、石になれない。魔女は女神を召喚するために、全てが石になった世界でたった一人、生き続けなければならない」

 ヘザーの声がなまあたたかくうなじをなで上げ、耳から心の中へぬるりと入り込んでくる。

「お前は石になったチャシュを抱きキスをして、その灰色の石を涙でらす。やがて石は砂になり、お前の前から消えてしまう。チュシュは死ぬ。お前は永遠にひとり残される」

 アイリスの心に絶望が、真っ黒なすみのように広がってゆく……。



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