第143話

 アズキとアイリスが、由香里を守るように前へ出る。

「ほう、これは」

 ヘザーが熱い視線をアズキに向けると、ぽってりとしたくちびるをべろりとめた。赤い唇がてらてらかがやく。

「アルキス、私の愛しい男。私のこの柔肌やわはだを、で回しめ回し、キスの雨をらせた。この胸をみしだき吸い付いて、お前はわたしに夢中になった」

 ヘザーはねっとりとアズキに視線をからませ、見せつけるように体のラインを両手でなぞる。胸から腰へお尻へと、その豊かな曲線をしなやかになぞってゆく。

「アルキス、この体が欲しいのだろう」

 ヘザーの熱い声。

「いらねーよ。そんな体」

 アズキは冷たく答えた。それは、底冷そこびえするような声だった。

「この私に会いに来たのだろう」

「殺しに来たんだよ」

 アズキの顔、それは、女神の記憶の中で見た女神殺しの顔だった。

 ヘザーの顔から媚笑びしょうが消えた。

「由香里、その男はお前を殺す」

 ヘザーはアズキを指さした。真っ赤なマニキュアが毒々しい。

「でも、ツガイモは女神を守る者なんでしょ。私のツガイモたちが、裸で私を見下みおろしていたのは、あれは私を誘惑していたのかなぁ」

 ヘザーが、キッ、と由香里をにらみつけた。

「あれはお前を手込てごめにしようとしていただけだ。女神を守る? 笑止しょうし! 笑止、笑止、このうつけ! 女神を守る者など皆無かいむ! お前のツガイモだと? 奴らはお前を見捨みすてた。お前が発作を起こすとわかっていながら、追いかけなかった者どもだ。お前のかわりに私が食った。女神の私のにえにした」

 ヘザーは真っ赤な口を開けて笑った。

「……ナマコじゃなくて、アンコウか」

 由香里が呟く。

「チョウチンアンコウだったかな。オスの体が生殖器せいしょくきだけ残して、メスの体に吸収される。……ツガイモを吸収して一体化し、女神の体内でツガイモの精を作れるようになればいい」

「ほう。私と同じことを、お前も考えたのだな」

「……考えたよ。ツガイモの精なしで生きられる体になるにはどうすればいいか? でも、それは無理だとあきらめて、受け入れた」

「そうであろうな。私もそうだった。お前も私も他の女もAもBも全ての女神が、血を吐いてもがき苦しみ、諦めしたがう。だがな、由香里。その後に待つのは絶望よ」

 ヘザーの中で女神たちがざわめいた。

「このモルモフで生きてゆくために、私は体を美しくきたえ上げ、誘惑術ゆうわくじゅつねやわざを学びみがき上げた。だが、それだけでは心許無こころもとなかった。心と体を守るために、他にも武器がしかった。だから私は師のもとで魔術を学んだ。そんな私を奴らは」

 ヘザーの体が怒りに震える。

「女神がどんな力をつけようと、ツガイモの精をてばすぐに死ぬ、と嘲笑あざわらった。私の血のにじむような努力を思いをついやした時間を、意味がない、と一笑いっしょうしたのだ。女神は宮殿の奥で静かにすこやかに生きろだと? 女の幸せをうばい心をみにじり、モルモフは女神の生き血をってさかえてきた。由香里、お前にはわかるだろう。このくやしさが、むなしさが、り切れなさが、怒りが、絶望が」

 絶望の中で死んでいった女神たちが叫んでいる。

 由香里は何も答えずに、息を整え心を静めた。

「私は殺され私の体は捨てられて私は体を失った。だが心は、ここに残りとどまり、同じく死んだ女神の心を集め血を集め肉を骨を集めて集めてツガイモの体も取り込んで、少しずつこの新しい体を作り上げてきた」

 ヘザーの目がギラめいた。

「私は女神だ。唯一無二ゆいいつむにえのきかぬ存在として、私はモルモフに君臨くんりんする。ツガイモをあやつり、ネズミを狂暴化きょうぼうかさせ、魔女の弟子にキルケを殺させ、女神を操り狂わせ取り込んで、石化を起こした」

 ガキッ!

 魔女の青い杖が、金色のヘザーのドレスをつらいて、白い床にあたった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る