第140話

 部屋に戻ると空気が変わり、木の匂いに包まれた。由香里は、ふっ、と息をついた。

 由香里の腕の中で、アズキはじっと体を強張こわばらせている。ベッドに座ったアイリスは、ドアの消えた壁をじっと見つめている。……かける言葉も見つからない。こんな時はどうすればいいのだろう? 心がザワついて、うまく息が吸えない時は……。心がしずんで、うまく息を吐けない時は……。

 ナルシィは……滝壺たきつぼに飛び込み、滝に打たれ、滝登たきのぼりをして、滝壺に飛び込み、を繰り返す……と言ってたな。うん。イカれてる。参考にならないな。

 ビーは……踊る歌う楽器を鳴らす……と言ってたな。うん。まともだ。……何か楽器でもあればなぁ。由香里は部屋を見回した。何もない。

 「あるお。あたちが楽器になるお」

 声とともにけむりのように目の前に、黒い子豹が現れた。黒い子豹のミニビィは、にぱっと笑うとギターになった⁉

「……えっ⁉」

 黒豹がギターに変化へんかした⁉ けたの⁉ ミニビィは変化へんげの術が使えるの? 妖怪なの? 口をポカンと驚く由香里。アイリスとアズキは無反応。……これは重症だ。とりあえずギターをいて、まずは私が落ちこう。

 由香里はギターを手に取ると、ためしにげんはじいてみた。

 ポロン、と鳴った。おっ、いい音。ポロン、ポロン、ポロポロと、いつしか由香里は全てを忘れ、無心むしんでギターを爪弾つまびいた。由香里のかなでるギターの音が、優しく悲しく流れてみる。すすり泣くアイリスをギターの音色が包み込む……。

 アイリスはひとしきり泣くと、立ち上がった。

「ありがとう、由香里。ん、私はもう大丈夫よ。館に戻って、少しい物をするわ。心が落ち着くから。じゃあね、また明日。昼ごろ来るわ」

 アイリスはヒラヒラ手を振って、ドアの向こうに消えた。

「いい音色だったお。またお。いつでも奏でておん」

 ギターは黒い子豹に戻ると、喉をゴロゴロ鳴らしてスゥーと消えた。

「……アズキ、風呂に入ろう」

 由香里はウサギを抱き上げると、あたたかな湯にかった。強張り冷えたウサギの体か徐々じょじょにほぐれ緊張きんちょうがほどけてゆく……。アズキの心もあたたまるといいのだけれど……。

 とぷん。腕の中のウサギが人に変わる。人の姿になったアズキは、由香里に抱きついた。しがみつくように抱きしめた。

「……チャシュが、女神殺しに手をめたのは、俺のためだ。君は優しすぎて殺しには向かないよ。そう言ってあいつは……。猫は寝るために生まれてきたんだよ、ってすきあらば寝るような奴だから……。くそっ。石になってんじゃねーよ」

 由香里の手が、そっとアズキの背中をさする。アズキの肩が震えた。

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