第139話

 石の机、その上に実物大の猫の石像。それがチャシュだと、すぐには理解できなかった。

「チャシュ? どこにいる? 返事しろ! チャーシュ!」

 ひっそりと静まり返った館の中に、アズキの声がひびわたる。耳をすませばサラサラと砂の崩れる音がする……。チャシュの返事も姿も気配もなかった。何の反応もなかった。銀地ぎんじに黒の縞模様しまもよう、金色の目をした美しいおだやかな猫が、いなかった。

「チャシュならそこよ」

 色を失ったアイリスが、石の猫をゆびさした。

「え……、でも、これは石だし、チャシュなわけないでしょ? だって、さっきまでチャシュいたし、私さっきチャシュと話したしでたし、石じゃなかったし……。この石は灰色一色だし、縞模様じゃないし……」

 由香里は猫の像に手をれた。それは冷たくかたい、石だった。ザラリとした、血のかよわぬ、ただの石。オレンジ色のウサギが机の上に飛び乗ってきた。石の猫に鼻を近づけ、においをいでめて小突こづいた。石のにおいしかしなかった。チャシュのにおいがしなかった。石の味しかしなかった。

「これが、チャシュなわけねーだろ!」

 ウサギがアイリスをにらみ付けた。

「チャシュよ。チャシュは石になったのよ」

 アイリスの声がふるえる。

「私が今までどれだけ石になった者を見てきたと思ってるの? 石になって……たくさん見てきたんだから」

 砂になりサラサラと死んでいった者たちを。アイリスはその言葉をのみこんだ。

 机の上に静かに座る石の猫。その灰色の目には何もうつらない。由香里はナルシィの話を思い出す。……とにかく眠かった。起きていても石になり……。チャシュはいつから石の眠りにさそわれていたのだろうか……。それでも眠らないとダメだよ。チャシュはそう言っていた……。

「ふざけんな! チャシュ、てめー! 石にならないって言ってたじゃねーか! 何で石になってんだよ⁉ ざけんな!」

 ウサギがダンダン足をみ鳴らし、石の猫に頭突ずつきした。由香里があわてて引き離す。石に怒鳴どなっても当たっても、ウサギの骨が折れるだけ。チャシュには届かない。

「アイリス……部屋に戻ろう」

 由香里はウサギを抱き上げると、アイリスの手を引いて館を出た。机の上に石の猫、石になったチャシュを残して、ドアが静かに閉じた。



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