第135話

 「由香里にアズキという名をもらった時、俺はアルキスという名を捨てたんだ」

 話を終えるとアズキは、不安げにチャシュを抱きしめた。猫の体はやわらかであたたかい。由香里の反応がこわかった。拒否されたらどうしよう。

「……そうなんだ」

 由香里の反応はそれだけだった。反応がうすすぎて、かえって不安が増すアズキ。

 由香里は考え込んだ。

 大人しく宮殿の奥に引きこもっても病み、宮殿の外に出て好き放題ほうだいしても殺された。すこやかに生きるのは難しい。全てをあきめても、支配しても、満たされぬ女神の心。心の居場所がない女神。……ヘザーは何をしようとしていた? 今何をしようとしている? 泣き怒る血の女神が求めるものは……。

 考えているうちに眠りに引き込まれそうになり、由香里はハッとかたむいた体を起こした。

「由香里、眠らないとダメだよ。君はビーの本に入っていた疲れがまだ残っている。それに夢の疲労が加わって、今の君はいつ発作を起こしてもおかしくない状態だよ」

 そう言って由香里を見る猫の目は、眠そうだ。チャシュはそろそろお昼寝の時間なのかも。私も猫とウサギを抱いてお昼寝しようかなぁ。両手にもふもふなんて幸せ。……ツガイモか。

「アズキはそのうち他のツガイモに私を任せて離れるの?」

「んなわけねーだろ! 他の奴なんて、ぜってーヤダ。俺は離れない。離さないからな」

 思わず前のめりになって独占欲どくせんよくを丸出しにするアズキ。その勢いに由香里がちょっと引いている。

「あ……由香里、俺がイヤか?」

 急に弱気よわきになるアズキ。その膝の上で猫がつぶやく。

「やれやれ。恋する男は気弱きよわだね」

「嫌ではないよ。私はアズキ以外にさわらせないから」

「え?」

 アズキが驚きと喜びの入りまじった声を出す。

「あ、それと。私が狂ったり壊れたりしたら、遠慮えんりょなく殺していいから」

 あっさりと言う由香里。

「えっ⁉」

 アズキとチャシュが驚き百パーセントで聞き返す。

「自分が狂っているかどうかなんて、自分じゃわからないでしょ」

「そりゃそうだけど……」

「でも、狂っているかどうかの判断は、僕たちモルモフの勝手な都合つごうで殺すんだよ」

「うん。でも、私には、ツッチーとミニビィが最期さいごまで一緒にいてくれるから、それだけで十分じゅうぶんだから。アズキは、私にはあたたかい。ビーもナルシィも、私を大切におもってくれた。アイリスもチャシュも、本に入った私を待っててくれた。これだけでも、私にとってはとても幸せなことだから」

 そう言って、ふわりとほほ笑む由香里を、アズキはギュッと抱きしめた。

 チャシュがするりと音もなく、そっと部屋を出て行った。





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