第110話

 暗殺術の中で由香里がもっとも苦戦したのが毒だった。

 毒の種類、き目、用法ようほう調合ちょうごう解毒剤げどくざい……、何度も間違まちがえ失敗し、何度も危うく自分を毒殺どくさつしそうになった。

「心配ないぉ。ミスってもぉ飲んでもぉさわってもぉこぼしてもぉしちゃってもぉこの本の中では由香りんはぁ死なないぉ。ビビるとミスるぉ」

 おっかなびっくり毒を調合する由香里に、ビーはキャラキャラ笑いながら言った。

即死寸前そくしすんぜんでぇ由香りんの時を止めてぇ毒消しのツガイモちゃんを持ってくるおん。この本の中にいるうちにぃたくさん死にかけてぇ経験をんでぇ免疫めんえきをつくるんだぉ」

 そして由香里が毒にあたると、ビーはウサギを連れてきて人の姿に戻した。アズキはビーの本の中、毒に苦しむ由香里を抱いた。由香里はアズキに抱かれぬように、毒と格闘かくとうした。

「由香りんはぁ抱かれるのがぁいやにゃのん?」

「えっ……えっとー、うーん。イヤっていうか何て言うか……、しなくて済むならそれにしたことはないかなって思うけど……」

「うにゃにゃ。おんだぉん」

 ビーは作業テーブルの上に座って足をブラブラさせた。その横で、由香里は毒を調合中。アズキは、危険なので別の小屋でお留守番。たぶん今ごろ惰眠中だみんちゅう

「ほとんどの女神がぁツガイモにぃおぼれるんだぉ。狂ったようにまぐわってぇ依存してぇつねに誰かと肌を合わせていないといられなくなっちゃったりするんだぉん」

「……そうなんだ」

 人恋ひとこいしが肌恋はだこいし、ぬくもりを感じたくて、つながりを求めて女神は狂う。由香里は宮殿の文字を思い出す。死んだ女神が残した声を。

「由香りんがぁ抱き合う快楽と聞いてぇ思い浮かべるのはなあにぃ?」

「……両親かな」

 由香里は二種類の粉を加えてかき混ぜた。ボッ、と紫色の炎が上がる。

「二人が快楽にふけった結果、私ができちゃって仕方しかたなく結婚。愛なく離婚。父は他の女性とベッドインして、私には異母弟妹が三人できた。母も他の男の人と、異父弟が二人できた」

 さらに数種類の材料を加えて混ぜ合わせると、色と臭いが消えて、トロリと流れる毒になる。……毒を作りながらする話じゃないよなぁ。由香里はため息をついた。

「うにゃん。にゃんにゃん。由香りんにぃその心配はなくなくなぁぃ?」

「あ、うん。そうなんだけどね」

 女神に子供はできない。

「それにぃアズキはレアだからぁ子供ないんだぉ。ツガイモのレアの精はぁ子供をつくる成分がゼロだぉ」

「え、そうなんだ」

「アズキと体を重ねることはぁ由香りん嫌ではないんにゃない? 気持ちいいはずだぉ」

 由香里の手が止まる。ふーっ、と息を吐いて落ち着いて、慎重しんちょうに毒を容器ようきへ流し込む。ここで手元てもとが狂ったら、解毒剤かアズキのお世話になってしまう。……解毒剤はこれから作るんだった。ビーがニヤニヤしながら顔をのぞき込んでくる。

「快楽はぁ悪いことではないぉ。生きる上でぇこころよく楽しむことはぁ必要だぉ」

「……うーん、そうかもしれないけど……」

 由香里は無事に毒を作り終えると、次は解毒剤作りに取りかかった。

素直すなおにぃアズキと気持ちよくぅなってみるにゃん。由香りんはぁどんな感じがぁ不安かにゃ? 怖いかにゃん?」

「……うーん、何て言うかこう……。なんか自分がなくなって、感覚だけになっていくような、押し流されてのみ込まれるような感じが怖いっていうか……。心拍数しんぱくすうね上がるし平常心へいじょぅしんっ飛ぶし、おぼれて戻ってこれなくなりそうで……」

 由香里はゆっくりと材料をかき混ぜる。

「ならないぉ。快楽にぃどんなに深くもぐってもぉ必ず浮かび上がってくるぉ。快楽にぃひたり続けることはぁできないんだぉ。どう足掻あがいてもぉめてぇ現実にぃ引き戻されるんだぉ。それがぁ男もぉ女もぉ食べくしたぁあたしの答えだぉ」

「え、食べ尽くしたの?」

 思わず由香里は手を止めてビーを見た。

「おん。もうお腹いっぱいだぉ」

 ビーはくちびるめた。ただそれだけの仕草しぐさが、めちゃくちゃ色っぽかった。







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