第105話

「ナルキッスはぁ酒と女にぃ目がない男だったぉ。女弟子にはぁ100パー手を出す色男でぇたまに男にもぉ手を出してたぉ。みぃんなぁあの男にぃメロメロにゃおん」

 ビーが後ろ岸でキャッキャッと笑いながら話しかけてくる。

「へぇー。すごいね。そんな好色男がいたんだ」

 由香里は生返事なまへんじをしながらかたむきかけた姿勢しせいを戻した。由香里は今、川の上に渡した一本の細い糸の上を渡っている。背中に背負ったリュックの中には、おもりとアズキが入っている。着ている服にも錘つき。足の下にはワニがうようよ。水面に顔を出して、由香里が落ちてくるのを今か今かと待ちかまえている。

 正直、ビーのおしゃべりに相槌あいづちを打っている場合ではないのだが、無視するとびーが糸をらすのだ。そのたびに足の下でワニがじゅるりと舌なめずり。怖っ。

 ビーはSかも。私はМじゃないしスリルも嫌い。この異世界モルモフで生きるすべを身につけて平穏へいおんな日々を送りたい。それがなぜ、平穏とは真逆の修業をしている今現在。BGMは好色談こうしょくだん。全ての道はローマに続く。この道も平穏に続いているのだろうか? その前に、ワニに食われて命を落としたりしないよね……。由香里はそろりそろりと足を進めた。

「おいおい、由香里。ナルキッスが誰だかわかってんのか?」

 背中のリュックからアズキの声がした。

「知らないけど。モルモフの好色一代男こうしょくいちだいおとこ

なんでしょ。もしくはナルシストな美少年か美青年か好色かん

「ちけーよ。好色漢はあってるけどな。由香里、覚えてないのかよ」

 アズキはあきれて首を振った。

「ナルキッスは、ナルシィの本名ほんみょうだぞ」

「……えっ? ……えっ⁉ そうだっけ? ……あっ、えーっ!」

 驚き桃の木山椒さんしょの木! 危うく川に落ちかけたー!

うそでしょ⁉ 酒? あのナルシィが、色男? それはないでしょ」

 由香里はくずれたバランスを立て直した。川に落ちたら、ジ・エンド。アズキもろともワニのえさ

「ありありだおん。あのナルキッスがぁ禁酒きんしゅ禁欲きんよくしたなんてねぇ。あの男がねぇ。そんなことがぁできたんだぁ」

「えっ、えっ、でも、ナルシィは、お茶しか飲まなかったし、色気ゼロでれてたし、難しい顔していつも瞑想めいそうしていたし。別人じゃない?」

「本人だよ。ちなみに、迷う方の迷想めいそうな。ナルシィは、由香里の前では尊敬そんけいされる良い師匠であろうとしたんだよ。ビー、おまえはナルシィに、ナルキッスにあった事あるのかよ?」

「あるぉ。抱き合った仲だぉ。熱くてぇ激しくてぇ良かったぉ」

っ……、そうなの? ……そうなんだ」

 唖然あぜん呆然ぼうぜん、糸の上、立ち止まる由香里の後ろでビーが笑った。

「この糸はぁ可燃性かねんせいだぉん。見てぇ」

「……えっ」

 振り返ると、ビーの手の中から火のついたマッチぼうが落ちるのが見えた。


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