第85話

「いい子ぶるではないぞ、由香里。不死の樹海で多くの者を殺した。その手であやめた。すでにその手は血にまっておるのだ。うむ。相手が誰であれ、ためらいなく容赦ようしゃなくころせる。その自覚じかくはあるはずだぞ、由香里」

 息をひそめてかくれている由香里が、ナルシィの言葉に動揺どうようする。ナルシィは、そのわずかな乱れ、気配をつかみ、由香里の位置をさぐり出す。

「殺さず、など綺麗事きれいごと。うぬ。素手すでであろうが武器であろうが、相手が生き物でもただのモノでも、なぐすぶったる、力を相手にたたきつける行為こうい快感かいかんともなう。うむ。由香里もその興奮こうふんに身をゆだね心をひたしたであろう」

 そう言いざまナルシィは剣をるった。由香里の隠れた大木が、一瞬で微塵みじんに切りきざまれる。由香里は間一髪かんいっぱつで飛び退いた。

「うむ。由香里、逃げてばかりではいつかられる。必ずつかまる時がくるのだぞ。わなければならぬ時がくるのだ。わしを殺さぬかぎり、外には出られぬ。この本に取り込まれるのだ」

「……取り込まれる?」

 ナルシィは声のした方を見たが、由香里の姿はやぶに隠れて見えなかった。

「うむ。由香里がこの本の中で戦った相手はみなわしの弟子だ。このまま逃げ続ければいずれ、由香里もあの者たちと同じになる。本の一部になり不死になり、互いに戦い殺し合いにれる」

「……ナルシィは殺されたいんですか? 自殺するのは怖いから弟子に、ですか?」

 さっきとは別の場所から由香里の声がした。

「むぅん。ちかう。わしは自殺などおそれず自害じがいしたわ。わしの弟子は皆、武術をきわめた者は皆、殺しにはまるのだ」

「……私にも殺しに夢中になれって事ですか? 快楽殺人のすすめ、ですか?」

「むぅん、違う。武術は逃げる術ではなく、殺す術だ。それを学んだ成果せいかを、わしを殺す事で証明するのだ」

 ため息とかすかな足音がして、由香里が出てきた。ナルシィにめんかう。

「うむ。覚悟かくごを決めたか。由香里」

「決めた。ナルシィを殺さずここを出る」

「うむぅん」

 ナルシィは耳を疑った。

「この本に取り込まれても、ナルシィを殺して外に出ても、私がこわれる。私の心が壊れたら、死んだも同じ。私は私を守るために、ナルシィを殺さずここを出る」

 ナルシィは目をいた。

「むぅん。正気か、由香里。殺さずに、わしに勝てると思っておるのか。わしが降参こうさんするとでも」

 由香里はナルシィと目を合わせたまま、何も答えない。

「むぅ。その慢心まんしんを叩きつぶしてやろう。本気でいくぞ」

 ナルシィの全身からき出した殺気が、森の空気をふるわせる。それは、高台から見ているアズキが思わず身構みがまえるほどの強い気だった。



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