第13話 隠世休日
翌日。
私の一日は五時、隠世風に言うと卯の刻から始まる。あやかしは基本的に夜型である為、こんな朝から目覚めるのは、武術家や奉公人、あと暗殺者だろうな。
私の生活が漏れているから、暗殺者は真夜中に襲ってくるのだ。意味ないのにね。本当に、諦めの悪い。
私だって武術家の一員。きっちり五時に起きるなんて造作もない。暗殺者が自室の前を通れば気づけるほどに、寝ている間も神経は研ぎ澄ましているしね。
薄闇に覆われた自室で布団から身を起こすと、素早く布団を脱出し畳む。
それから、
灯はつけない。この世界では灯は高いから。いや、私は睦月国の姫であるから、貴重な蝋燭を使ってもいいのだか。と言うか、あやかしは基本的に夜目が効くから、灯を付ける事はあまりないのだが。だから生産量が少なく高いって言うのもあるか。
とにかく、使わない。勉強するわけでもあるまいし。
某猫型ロボットが居そうな押し入れに布団を押し込むと、かちゃり、枕元においてあった二振りの刀・花鳥と風月を鞘から抜かないまま手に取った。
睦月国の最高峰の刀鍛冶に作ってもらった、強い霊力をこめても折れない二振りの霊剣。長年共に戦ってきた私の一部。
毎晩丁寧に手入れしている相棒たちを帯刀し、静かに城を抜け出していく。
いつもの、朝のルーティーン。
睦月国の都である一重は、丘陵に囲まれた楕円形の城下町で、街並みは現世の江戸時代風で不規則。ピシッとそろった碁盤の目である大妖帝国の街並みよりも乱雑だ。しかし、それがいい味をしていると観光客は言う。ちなみに観光地としては一重の南にある温泉街や、質の高い酒を作ることで有名な酒蔵の町がある。
私たちが暮らす睦月城は一重の北に位置し、すぐ後ろに山脈を仰ぐ平城だ、
今、
「華姫様、いつもの修行ですか?」
真っ暗な訓練場に降り立つと、
早朝でも訓練をする兵はいる。なにせ夜目がきくからね。
佐助もその真面目な兵の一人だ。
「うん、この辺り一周してくるよ」
「お気をつけて」
手を振る佐助に見送られ、私は早朝の街へと繰り出すために、足に力を込め、跳んだ。
山の方へと。
途端に、視界が茶色い木の幹で満ちる。青々とした葉が、私が疾る度に風に切られ音を立てる。腐葉土を踏み締め目線を上げて、木の幹を蹴る。跳ぶ。蹴る。跳ぶ。人間離れした速さで、森を駆ける。
どこからか水の音が聞こえる。川に出た。あやかしが持つ妖力は、動物の警戒感を刺激する。私が水辺の濡れた岩に足をかけると、魚は全て逃げていた。
此処はあやかしが住む隠世だが、妖力を持たない動物もいる。それは遥か昔、このあやかしの世界を作った者が、あやかしの餌となる様に放った天然の家畜。
石を軽く蹴ると、対岸まで一つ跳ぶだけだ。この川は、睦月川。睦月国の大切な資源。この辺りの睦月川は、本当に狭い。しかしこの川は、一重の町まで降りて行って生活に欠かせない水路となる。
再び、駆ける。蹴る。跳ぶ。
一重の三方を囲む山々を駆けるのは朝のルーティンなのだ。
鬼の娘たる身体能力を存分に活かせるのは、山を駆けるか妖と戦うかの二択だ。私は前者の方が好きだが、世の中とはままならぬもので、後者の方が多い。
戦うあやかしの数は減らないが、山を駆ければ気はまぎれる。
ふと、妖力と敵意を感じる。上空。旋回する鷹を視界に入れた瞬間、私は宙へと躍り出た。
「気づかれたか!」
それは、大人の男の声であった。この鷹が発したものだ。
驚いた鷹が本性を表し、あやかしでなければあり得ない大きさの大鷹になる。大鷹は凶器となり得る翼をふるい、私の喉元を狙う。
しかし、遅い。凶刃より早く、霊力を纏った手刀で翼を切り裂く。喚き声を上げながら、鷹が落下する。パッと広がる、彼岸花。真っ赤な血が石に広がる。意識は飛ばなかったらしい。大鷹の不気味なほど黒い目の殺意が増す。
来る。
まだ薄暗い森の中。弾丸の如く飛んでくるのは、もう一匹の大鷹。先に来た鷹と違い、紅の瞳をしている。強いな、これは。霊力と妖力が黒目鷹より高い。
ぶん、と巨大な翼をふるい、私を飛ばそうとしてくる。そうはさせない、とふたたび手刀を振るう。黒目鷹の時よりも多くの霊力を込めたが、赤目鷹は傷ついた体を無視し、突っ込んでくる。
『黒曜の飛刃』
赤目鷹がぼそり、と呟く。その口からたらり、一滴の血。
これは、赤目鷹じゃなくて黒目鷹のか!
咄嗟に花鳥を抜き放つと、霊力を込め赤目鷹の頭をぶっ叩く。赤目鷹は倒れ、普通の鷹の大きさに戻った。しかし、赤目鷹の背後にいた、黒目鷹の妖力が増大していく。ゆらり、陽炎が蠢く、様な気がした。まだ夏は先なのに。黒目鷹がヨロヨロと立ち、血だらけの羽を広げる。
黒目鷹は火属性のあやかしだ。私と同じ。
次の瞬間、血に濡れた鷹の羽が火矢となり放たれた。火矢はさも刃の様に鋭く速い。とっさに右に飛び退いたが、右目の下に切り傷が出来、鮮血が散る。割とざっくりいった。
赤目鷹がぼそりと言ったのは、あやかしなら誰もが持つ、妖血呪文と呼ばれる、あやかしの血に含まれる妖力を最大開放する妖力を使った術・妖術の奥義である。
自分に近しい妖力、つまり血の繋がりがあるものが自分の妖力に刻まれた呪文を唱えることで、そのものが一番得意な技ー黒目鷹の場合火矢ーが通常の五倍もの威力を持って解き放たれる。効果が高い代わりに、自らの血を能力に換算するので、失血しやすいというリスクもある。
「なん、だと……。この攻撃をかわせるのか?」
愕然として呟く黒目鷹は、もう戦意を喪失している。追い打ちをかける様に、右頬から血が垂れ落ちるが頬を拭った時ににはもう流血は止まっていた。
「あやかし最強の鬼の回復能力を持っているのか……」
呟く黒目鷹を冷たく睨むと、びくり、と体を震わせる。弱いな。
「主人は誰?」
左手で赤目鷹の首根っこを乱暴に掴み、右手に持った花鳥を黒目鷹の首筋に当てる。で、この前天守閣で戦った貂のあやかしの暗殺者と同じ様に、黒目鷹に問いかける。
「居ねえよ」
「出身は?」
「如月国だ」
赤目鷹という人質をとっているせいか、受け答えは明快であった。敵意も消えている。赤目鷹は家族であろうから。卑劣なことをしているという自覚はあるが、こいつらは私を襲ってきたので、慈悲は与えない。与えてはならない。
「この赤目鷹はお前の何?」
「姉だ。一人でやるって言ったのに、いつの間にか来ていた」
慈悲を与えてはならない。自分に言い聞かせる。
「なぜ襲った?」
「金が欲しかった。腰の刀が、高価そうだったから」
「なぜ金が欲しかったの?」
「姉の祝言を上げたかったんだ。けど職を失ったばかりで」
……落ち着け、華。唇を深く噛む。こいつらに慈悲を与えてはならない。どんな事情があろうがひとからものを奪おうとする奴なんて罰が当たって当然だ。こいつは、同情を得て命乞いをしようとしているんだ。
「私が何者か知っていた?」
「いや、散歩中の高貴な女だとは思ったが。腰の刀は飾りじゃなかったんだな」
黒目鷹は大人しい。静かに反省している様にも見える。いや、違う。そんなはずはない。騙されるな。許してはいけない。
「二度とこんな真似はしない?私以外の者にも」
違う、なんでこんなことを聞く。こいつらを許すための理由を作ろうとするな。馬鹿か、私は!
「ああ。俺はどうなってもいい。何でもする。姉は、姉だけは見逃してくれないか。俺が馬鹿だったから、俺が、殺されると思ったから、こんなことをしたんだ。全部俺のせいで、姉は悪くないんだ」
だから、違う!
自分を殺そうとした奴らなんて殺されて当然。そうでしょう、許してはならないでしょう。許してしまったらまた悲劇が繰り返される。だから、だから。
言い訳ばかりだなぁ、私は。
勇気がないのだ。我が身を犠牲にしてでもお互いを助けようとしてしまった哀れで愚かな、名前も知らない姉弟を殺して、その一生を背負うという覚悟がない。
じゃあ、何のために刀を抜いたんだよ。こいつらを殺そうと思ったんだよ。一度決めたことは覆すべきではない。命は軽いから、大切に扱わなければならない。
結局私は、あれこれ理由や理屈や意味を付け加えないと、何もできないみたいだ。なんて愚かで、なんて弱くて、何で甘いんだろう。こんなだから、周りが迷惑するのに。
けれど、私はこうあることしかできない。
かちゃり、花鳥を鞘にしまう。掴んでいた赤目鷹の首根っこも放した。
「……かえって」
もう傷が治った唇から漏れ出た声はひどく弱々しかった。しかし、黒目鷹の耳には届いた様だった。
「……なぜ」
「気まぐれよ。せっかくの休日なの、穏やかに過ごしたいのよ。……二度と、盗みを働こうなんて考えるんじゃない。お前も姉も、生きることすらできなくなってしまう。睦月国にも、一重にも、二度と足を踏み入れないで。わかったら早く帰って」
今度はしっかりと言えた。黒目鷹が見た、「高貴な女」らしかったかな?そうであったらいい。私は心底姫らしくないから。
黒目鷹は呆然と姉を見つめていたが、やがてハッとすると、残る霊力を振り絞り、人型の姿に化けた。私と同い年くらいの、少年の見た目をしていた。
黒目鷹、いや、黒目少年は、優しく赤目鷹を抱えると、こちらを一度見た。まだあどけない、
「悪かった、ありがとう」
それだけ呟くと、森の奥へと消えてゆく。しかし、まだ妖力は感じられる。それすら消えゆくまで、私はただ突っ立っていた。
やがて、ぱたりと座り込んだ。
石がまだ赤目鷹の血で汚れていることに気づき、手で水を
血が流れる様をぼんやりと見ながら、私は正しかっただろうか、なんて意味のないことを考える。
殺しておくべきだったかな。
分からない。ただ一つ明らかなのはあの姉弟を殺していたとしても、今と同じ様な状態だっただろうということだ。
「かえろう」
先ほど黒目鷹に言った言葉を、自分に向ける。
帰ったらみんなも起きていることだろう。父上に
……って、修行の予定しかないじゃない。
仮にでも休日だし、街にでも行こうか。小牧と一緒に。
「……そういえば」
先程の黒目少年をみて思い出した、昨日の図書館の眼鏡生徒、白澤が好きな少年の事。
それに連なって思い起こした、大妖帝国のやたら容姿や声は覚えてるのに名前が出てこない白澤のこと。
「……母上か父上に名前、聞いてみよう」
鷹の姉弟については、言えるか分からなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます