第14話 蝶の式神、夕陽の神

 清廉な滝の音が鼓膜を震わす。その音を聴きながら、私は大樹の太い幹に立ち、霊験あたらかな森を眺めていた。

 「……いないですわね」

 ふぅ、とため息をつき、右から飛び降りる。ざっと十メートルくらい落下し、同行してもらったお父様の隣に降り立つ。

 「最近、あやかしがこの辺りを荒らしたかな」

 お父様が冷たい目をする。人間はあやかしを化け物だと言うが、人間も大概化け物だ。お父様はその典型例。半妖のお姉様より残酷だ。

 「先程も妖力の痕跡を見つけましたわ。傍迷惑な侵入者ですわね。見つけたら殺しましょう」

 「そうだね。でもはなは殺さなかったみたいだね」

 それは、侵入者がいたということ。

 「お姉様が襲われたんですの!」

 「まて行くな。もう逃してしまった」

 ぎりっ、と唇を思いっきり噛んだ。鉄の味がする。

 「……お姉様は甘すぎますわ」

 優しい、とは言いたくない。

 「僕もそう思う。でも好きにさせるしかないだろう」

 「放任主義が」

 私の睨みをお父様は無表情で見つめる。ああ、これは「神様」の顔だ。大嫌い。

 「また結界を抜けて……」

 「お父様、後でその侵入者殺してくれません?」

 お父様は非力ではない。武術はお母様に仕込まれている。なにより、

 「……華が神力を辿れないからと言って、僕にやらせないでくれよ」

 神力量が私より多い。

 「私じゃ神力でお姉様にばれないように殺せないので。代わりに肩叩き券やりますわ」

 「髪結んでくれた方が嬉しいかな。らんとっても上手だから。でも殺しはしないよ。華の選択を否定したくはない」

 あ、これは「お父様」だわ。安心する。

 「そうですか。……髪、ほつれてきたら言ってくださいまし。結びますわよ」

 「ありがとう。でもその前に神候補を見つけないとだね」

 「移動しましょう、霊山の山頂なら二、三匹ぐらいいるでしょう」

 「……蘭も一応神力を持つ神子なんだから、流石に匹で数えるのはやめようよ」

 「まあ、そうですわね。私には、神がそんなに尊いものには思えないのですけれども」

 「僕もだよ」

 「……ブーメランって知っていますの?」

 「あはは」

 乾笑いするお父様に裏拳ぶちかましたろうかと一瞬思ったが、お母様に怒られそうなのでやめておく事にした。


 私たちが今霊山で探しているのは、式神の元になる神候補だ。見習いの神、半人前の神とも言う。その神を式神として支えさせる事を式神作りと、私たちが勝手に呼んでいる。

 魂とは簡単に作り出せる様なものではない。出来るのは、神の証たる神格を持つものだけ。私は神力をもつ神子だが、神格は持っていない。故に、式神は神候補にお願いして従ってもらうしか無いのだが。

 「はあ?お前、防御術のひとつもつかえないんですの?それでよく神候補を名乗れましたわね」

 呆れた眼差しを向けると、男の稚児ちごの格好をした神候補が縮こまった。

 「あ、う、えっと、その……」

 「あら、人の言葉もろくに喋れないのかしら?」

 目線を彷徨わせる神候補に追撃をかけると、大袈裟なくらい肩が跳ねた。

 「……っ」

 瞼から零れ落ちる涙が地面に染みる。

 「えっと、蘭さん……?」

  遠慮がちな後ろからの声を遮るように、

 「うわぁぁぁん」

 神候補が泣きながら山奥へと走り去った。

 「鳴き声すら情けない。びっくりするほど尊敬できるところがありませんわね」

 侮蔑を吐き捨てると、新たなる神候補を求めて稚児の神候補が逃げた反対の方向にずかずかと歩いていく。

 「……蘭、ちょっとキツすぎやしないか?」

 木の影でスカウトを見守っていたお父様が小走りで私を追いかける。

 「はぁ?どの辺りがですの?」

 「上から目線な『はぁ?』から言葉を始める辺りからだよ」

 呆れたようにため息をつくお父様を、私はジロジロと観察してみる。

 癖のある薄い色素の髪を一つに束ね、タレ目がちな淡い茶色の瞳を持つ、見た目だけの好青年。

 とても高校生の子を持つ父親には見えない。

 確かに人に見えるが人外の雰囲気も併せ持つあやしき人物であるはずなのに、なぜだか警戒心を抱かせない。……あ。

 「ああ、お父様って物腰だけは柔らかいですものね」

 「だけ、ってなんなんだよだけって。まるで僕の長所がそこしかないような言い方を……」

 「事実でしょう」

 「嘘だよね?」

 大袈裟に驚く白々しい演技に顔を顰めると、

 「えーっ、お父さん蘭ちゃんが嘘なんてついたことないよー。信じて〜」

 上目遣いで言葉を変えてみたところ、

 「露悪的になるのやめようか」

 バッサリ切られた。

 「お父様割と辛辣ですわね」

 「蘭がキツすぎるんだよ……。……まぁ、そうだね。僕としては蘭がそのくらい辛辣な方が助かるけれど。僕の性格はお世辞も良くないだろう?」

 「娘を人格修正に使うな」

 「蘭だって華を人格修正に使っているだろう」

 「お姉様を使うだなんて言い方するな」

 「じゃあ、手助け、と言っておこうか」

 お父様は鷹揚に頷いた。分かってんだか。

 「……あと、蘭も僕を使っただろ」

 「お互い様、ということにして置いてやりますわ」

 お父様の視線の先、木の影には、私の肩ぐらいの身長の神候補がいて、こちらをじっと見ていた。

 姿形は人間の女の童。市松人形のような格好をしており、着物の柄は蝶。手に持っている鞠は様々な濃淡の紫で彩られている。

 「現人神あらひとがみ様でしょうか」

 銀鈴のように涼やかな声は質問ではなく確認の言葉を紡いだ。

 この娘はお父様の神力を嗅ぎつけ、接触しようとしている。

 「そうだよ、僕は鬼月きづき夕海ゆうみ。こちらが、」

 「鬼月蘭といいます。現人神こいつの娘で神子ですわ」

 「えぇ、こいつ呼び……?」

 情けない声を出すお父様は無視する。

 「わたくしは、涼音すずねと申します」

 女の童ー涼音は、そう言って頭を下げる。しゃらり、おかっぱ頭に付けた簪が鳴った。

 「現人神様にお会いできて光栄でございます」

 「ありがとう、涼音さん」

 物腰だけは柔らかな現人神さまは、凛とした声を神見習いに向けた。

 そう、この男は只人ではなかった。

 現人神。人でありながら神であり、神でありながら人である半人半神。

 かつては現世で人として生を受け、その後、隠世かくりよへと渡りお母様と出会い、長寿種であるお母様と同じ時間を生きるために神の世界へと足を踏み入れた元人間。それがお父様、鬼月夕海である。

 神嫌いの私が神への信仰心から生まれる神力を多く持ち合わせているのは、お父様という信頼できる神を信仰しているからだ。

 私がお父様を式神作りにやってきたのは、ほとんどのものに神だと知られていないほど神力を隠す事に長けたお父様の神力を嗅ぎ取れるほどの実力者を炙り出すためだった。

 「ところで君、蘭の式神になる気はない?」

 直球であったが、同じく直球にものを言う涼音とは相性の良い声がけだろう。

 「あります、が……」

 涼音が切れ長の瞳でこちらを見た。漆黒の瞳の奥から覗くのは、思慮の色。私が本当に涼音を式神として欲しているのか確認したいのだろう。身勝手なものが多い神の中では少々異端な気配り屋のようだ。

 「蘭様は本当に納得しておられるのでしょうか」

 「実力についてはお父様を試金石にしたので問題ありませんわ。気掛かりなのは、貴方がどの立場でいるのか、ですの」

 「わたくしの、立場、ですか……。私は生まれてすぐに神の世である高天原たかまがはらを出て現世の常世神とこよのかみ様のもとでお世話になりました。その後しばらくして神として修行するためこの隠世にやってきました」

 常世神とは。

 飛鳥時代に東国の富士川のあたりで盛んに祀られていた神である。この信仰を広めた、ないしは神候補を神へと作り上げたのは信託を授かる力を持つとされた大生部多おおうべのおおという人物だ。彼とその仲間達はある虫を常世の神といい、祀れば富と長寿、老人の若返りが得られる届いた。人々はそれを信じ、家財を投げ打ち、歌い踊り富を求めたが、逆に貧しくなってしまった。それに怒った有力者・秦河勝はたのかわかつが、大生部多を討ち取ったという。

 これは推測だが、その大生部多は神力など持っていなかったのだろう。しかし、それを見た神候補は大生部多が作り上げた虚像の神に沿って「生まれた」。とはいえ、神が人に干渉する権限には色々と制限があるため、神も見えない様な物に干渉するなど無理だっただろう。

 「へえ、現世育ちなんだね」

 「はい、現世のことには詳しいです」

 涼音が力説する。

 どうやら、私が現世と隠世を行き来していることは知っている様だ。

 「涼音、と言いましたわね。私が貴方に求めていることはただ一つ。お姉様と、れんと、ふじ……。私の姉弟を守り、そのために、私の命令とあらば、神でもあやかしでも人間でも殺すことですわ」

 「……常世神様の味方でなければ、大抵は戦えます。わたくしの実力では難しいかもしれませんが」

 涼音は妙に真っ直ぐで、それでいてどこも見ていない様な陶酔した瞳をしていた。その奥に、神候補らしい狂気と傲慢さが見えた。

 ……すこしだけ、同族嫌悪に陥る。

 「まあ、及第点ですわね。それでは、契約成立でよろしくって?」

 私は涼音に右手を差し出す。

 「はい、蘭様」

 神候補は左手で私の右手に握った。

 「さあ、鈴音。君は実体化はまだだよね。儀式の支度はしてある。君を作る時間だよ」

 「存じ上げております」

 涼音は私たちに話しかけてきた時から覚悟を決めていた。

 神は人間やあやかしよりも地位の高く、別の次元を生きる生き物だ。

 先ほども述べた様に、神が人に鑑賞するのには様々な条件がある。

 しかし、それらを吹き飛ばし、人が神を自らの駒として扱える方法がある。

 それが、式神作り。神として人間に近しいも別の世界に魂が存在している神をこの世界に引っ張り出し、より人に近しいものとして生まれ変わらせる、重要な儀式である。

 「お父様、勝手に話をとらないでくださいまし。さ、涼音、向かいますわよ」

 「勿論でございます」

 涼音は私を主として扱うが、真の忠誠は常世神に向いている。だが、涼音は主の為に賢明な立ち回りをするだろう。要は、裏切らなそうだから手下にするのだ。

 おたがいの目的のための、仮初の主従関係に人生を賭けられるあたり、鈴音も肝が座っている。

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あやかしの四つ子 市野花音 @yuuzirou

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