第7話 隠世

 とす。

 私たち一派は、軽やかに着地した。

 ま、運動神経が人間じゃないからね。比喩じゃなくて。

 くるっと振り向くとここがどこだかわかる。

 

 高い、建物の上だった。

 眼下に広がるのは、綺麗に建物が並んだ都・一重ひとえの様子だった。

 鋭く広がる山の間を縫うように、浮かび上がる紺の瓦。

 黒々しい屋根が、整備された道に映える。

 隙間の土の道を歩いて行く、人影たち。

 その人影は、ひたいから角が突き出している。

 仲の良さそうな親子。

 仕事を終え、帰路につく男性。

 買い物中の女性たちが、井戸端会議に花を咲かせる。

 井戸の周りを彷徨く、やんちゃな子供達。

 おばばに裁縫を習う女の子。

 緑の葉桜を見上げる少女。

 そろばんを弾く、店の番頭。

 走り回る、店の丁稚でっち

 逢瀬を交わす、若い恋人たち。

 赤子をあやす、若い夫婦。

 空を見上げる、使用人の娘。

 本来、見えないはずのその日常が、私たちの目には確かに映るのだ。

 そして、この街は人間にとって、とても奇異に映るだろう。

 なぜなら、街ゆく人は皆着物を着て、街並みはまるで日本の江戸時代の様だからだ。

 私たちのいる高い建物も、太い丸太の柱や板張りの床、淵から瓦の見える純和風の建物だ。

 タイムスリップしたと、錯覚する者もいるかもしれない。

 しかし、この世界ー隠世においては、これが「今」だった。

 「ただいま」

 誰とでもなく、つぶやく。

 澄んだ青空は、現世と同じだった。

 「ただいまですわ〜」

 「ただいま」

 「ただいま帰りました」

 「帰還しました」

 小牧だけ兵隊っぽいけど、まあ、事実兵と言えば兵だし。

 小牧は手に持っていた巻物を、またえんじ色の紐で巻き始める。

 そして、建物の奥の方から、私の大好きな人の気配を感じる。

 「帰ってきたか、はならんれんふじ小牧こまき

 凛とした声が、辺りに静かに伝わって行く。

 それは鈴の音のように軽やかで、波一つ立たない水面のように穏やかで、戦場の将軍のように意思の強く、自然と相手が聞き惚れてしまう、紛れもない美声だった。

 私はしゃんと背筋を伸ばし、声の主を待つ。

 声に遅れ、柱の影から1人の女性が出てきた。

 外見は十代後半から二十代前半ほど。

 艶やかな髪が、床スレスレまで並々と流れている。

 まさに女の命と言われるような髪だが、少し奇異な点があった。

 髪が、真っ赤なのだ。

 まるで、秋に咲き狂う真っ赤な彼岸花のように。

 鮮やかな赤毛は、どんな赤よりも赤く。

 鮮烈な光を残す茜色の空よりも、林檎のような紅の唇よりも。

 さながら、戦場で血に染まった川のように。

 どこか、狂気を感じさせる赤髪。

 それを持つ、彼女の顔は。

 私たちとよく似ていて。

 この世のものとは思えない、非常に整った顔立ちをしていた。

 尖っため、長いまつ毛、形の良い目鼻筋、艶やかな唇、面長な頬、全体的に濃く強い意思の感じられる、妖艶な絶世の美女。

 楊貴妃、クレオパトラ、小野小町という世界三大美女がいる。

 そいつらがどんな面してるかなんて、未来の半妖である私にはわからないけど。

 その人たちにも、きっと母上には敵わない。

 見た人全てを魅了してやまない、どこにいても視線を集める。彼女を中心に、世界が華やぐ。

 そして、彼女の美しさには、一遍の妖しさ、恐ろしさがあった。

 不用意に触れたもの、自分を傷つけんとするものに対する容赦のなさ。

 毒と棘を兼ね備えたような危険さ。

 確かに若々しいのに、どこか苦労を乗り越えてきた老婆のような老獪さ。

 そんなものが、感じられる。

 しかし、それは確かだった。

 なぜなら、私の母であるから。

 そして、母上の滑らかな額には、本来あるはずのないものがあった。

 斜めの額からするりと生え上がり、真っ直ぐ点を指す棒。

 髪と同じ、赤黒い血に染まった色。

 二つの角が、生えていた。

 まさしく異形と言える形をした角を見れば、彼女が何であるかは、安易に想像がついた。

 ー鬼。

 「はい、ただいま。母上」

 「ただいま帰りましたわ、お母様」

 「帰ったぞ、お袋」

 「ただいま、母さん」

 四者四葉の返事をする四つ子。

 二回めだけど、まあいい。

 「おかえり」

 そう言って、母上は穏やかに微笑んだ。

 それはまさに、大輪の花が咲くような、華やかで。

 「帰還致しました、我が主・薔薇そうび姫様」

 まさに、薔薇ばらという、彼女の名にふさわしかった。


 「さてさて、早く中に入って今日あったことを聞かせてくれんか?子供達」

 いきなり、母上は妖艶さを消すと、子供のようにはしゃいだ声を上げた。見た目とのギャップがすごい。私もだけど。

 柘榴のような瞳が、爛々らんらんと輝いている。

 「たいしたことはないよぉ、母上。今日も今日とて、取り巻きがうざいわ、らぶ、手紙が多いわ」

 「へー、大変だな。脅して出させるのを止めたらどうだ?」

 さらっと物騒なことをおっしゃる母上。

 「えー、気が進まないなぁ」

 「お姉様はやさしすぎますわ!あーゆーやつらは!言っても聞かないのですから!さっさと破いて返しましょう汚らわしいラブレターなんぞ!」

 「勝手に姉のスクールバッグ漁るな……」

 気持ちは分からんでもないが。

 「蓮と藤も、燃やすなら手伝うか?」

 母上、息子に物騒なこと教えないで!

 「あー、大丈夫。遠慮しとく」

 「自分で燃やすので大丈夫です」

 え、らぶ、手紙燃やしてたのか……?

 「ほら!藤もああ言っていることですし!お姉さまも私と一緒に燃やしませんこと?」

 「燃やしません。別にみんなが燃やしてもいいけど、私は呼んで返事書くから」

 「どうせ全部断るんだろ?燃やした方が速くないか?」

 「そーゆー問題じゃないの!気持ちと誠意の話なの!」

 「でも、彼氏できたら焼くの?」

 藤が聞いてくる。

 「ふ、私に彼氏なんてできると思う?」

 言い切ったぁぁぁ。

 あれ、なんか目から水が……。

 「あー、藤!お姉さまになんてこと言わせてるんですのーっ!」

 蘭がキレる。逆効果です。

 「こらこら、そんなこと言ったら、余計華が落ち込むだろ?」

 だから、母上、逆効果です!

 声になら無い精神の叫びに頭を抱える。

 うん、話題変えよう!

 「父上はどうしてるんですか?」

 「執務室で仕事!押し付けちゃった」

 母上は悪びれもせず罪を告白する。

 「早く行かないとじゃないですか!」

 ガバッと顔を上げる私。精神回復。

 「ほんっと華は、親父のことが好きだなー」

 「ファザコンなんで」

 呆れた蓮の声に、キリッと答える私。

 「おい華。夕海はわたしのものだからな?」

 「実の娘にマウンドとらないでください」 

 「実の息子を前に惚気るなよ」

 私と蓮の声が重なる。

 「お父様のとこ、早く行きませんこと?」


 執務室は天守閣の下の会にある。

 階を降りて、父上のもとにいざゆかん。

 ……制服で城にいると、京都に来た修学旅行生みたいだ。

 ここは隠世。あやかしの世界。

 隠世には、十三の国がある。

 その中でも北にあるのが、ここ睦月むつき国。

 鬼が治める、最強の武術国だ。

 睦月国の京都、一重の中心。

 そこに、睦月城は、存在する。

 鬼の長が座す城が。

 「父上ー。お元気ですかー」

 襖を勢いよく開けると、奥で書類の壁に囲まれた青年が見えた。

 薄い色素のクセのある髪に、深い色の着流しを羽織り、筆を硯に近付けている。

 「夕海ゆうみー」

 開けた瞬間、母上が畳を蹴って来ように書類を避け、青年に抱きついた。器用だな。

 「んー、どうしたの薔薇。とりあえず仕事手伝ってくれないかな?と言うか、これ本来国主の仕事だよね?」

 明るいながらも自信の漂う、凛とした声だった。

 上げられた顔は、キリッとした男性にしては線が細く、そこそこ整っている。

 が、隣に絶世の美女がいると、いやでも存在感が薄くなる。

 「私が手伝いましょうか?父上」

 「あ、お姉様が手伝うのなら、私も手伝いますわーっ」

 「俺、鍛錬して来ていいか?」

 「僕も手伝いますよ、父様」

 蓮を除き、手伝いを申す四つ子。

 「いや、大丈夫だよ。きちんと薔薇にやらせるから」

 「えー」

 不満げに唇を尖らせる母上。そんな子供のような仕草さえ、ひどく色気を纏って見える。

 「僭越ながら申し上げます、薔薇姫様」

 キリッとした眼差しになった小牧が、まっすぐと美しい鬼の女性を見据える。

 「執務はきちんとこなしてくださいませんか」

 そこで、小牧は穏やかに微笑む。

 

 「貴方は隠世睦月国国主・鬼月きづき薔薇様であらせるのですから」


 「わかってるよ、小牧」

 そう言って、少し鬼の女王は頬を緩ませる。

 「私には、守るべき夫と子供、そして民がいるんだから」

 その品格に相応しい責任の伴う発言をする。

 「それは違うだろ。薔薇と子供、民を守るのは僕の役目でもあるだろう?」

 穏やかに告げる青年は、私の父であり。

 現世出身の人間であり。

 睦月国国主の夫でもある鬼月夕海だった。

 「そうだよ、母上。私だって、睦月国の姫。いつか、国主になるかもしれない半妖だよ。民も家族も、ちゃんと守るよ」

 それにかけては自信があると言い放つ。

 「お姉様だけが民や家族を守るのは理不尽ですわ。この鬼月蘭、微力ながら国守として馳せ参じます」

 真面目に、でも相変わらずのシスコンぶりで誓う。

 「家族はみんなで守り合いだろ、特に鬼月家は。一応、長男だし、家族は大切だし、たみもいいやつだし。俺も守るぞ」

 不器用でも、きちんと紡ぐ。

 「民を守り家族を慈しむ、国主としても親としても立派な母様と父様の息子として恥じないよう、僕も民と家族を守ります」

 感謝と義理を忘れずに、宣言する。

 

 ……もう二度と、民を害し家族を悲しませることが起きないように。


 「主人の一族を守ることは、家臣の役目です。この小牧、この地の出身でも鬼でもございませんが、鬼月様と運命を共にいたします」

 ……ん?小牧のセリフだけ妙に重くない?気のせい?私たちも結構重いこと言ったっけ?

 「うん、守ろうか。この国を、私たちで」

 重々しく、鬼姫が頷く。

 「と言うわけで、書類仕事やろうか!」

 妙にテンション高く言う父上は、雑務が大好きだ。

 「うへー」

 対して、母上は根っからの武術家で脳筋である。長きにわたり睦月国を守られてきた、賢いお方なんですけどねー。

 「じゃあ、私は訓練場行かせてもらおうかな!カバン置いて来るー」

 「あ、お姉さま、私も行きますわっ」

 私はそんな彼女の娘で、やっぱり脳筋な、格好だけの女子高生なのだ。

 ……あ、なんか落ち込んできたー。

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