第5話 屋上の午後入り

 「おーい、何戯なにたわむれてるのですか、小牧、お姉様」

 「いつも通り仲良いな、2人とも」

 「扉開けてくれれば、先屋上行っててくれてもよかったのに……」

 階段を早足で登ってきたのは、らんれんふじ。私のかわいい妹と弟たち。

 ……今朝は藤から逃亡しちゃったけどね。 

 「ああ、みんな朝以来なのに久しぶりに感じる……」

 「お姉様はまだ苦労しているのですわね」

 「うっ」

 この意地悪妹めっ。私がクラスと馴染めていないのに対し、蘭はサラーっとクラスメイト勢員をしもべにしているような、腹黒くやりてな女なのだ。

 「あ、藤……」

 朝気まずく別れた?ばかり?の藤と向き合う。

 「ん、まあいいよ。」

 謝る前に許されたーっ。

 て言うか、あっさりすぎない?!

 なんか裏ありそうで勘繰かんぐっちゃうよ?

 「まあ、もういいし」

 投げやりだな、おい。私んな面倒臭い姉っすか?

 「お姉さま、モタモタしてないでさっさといきましょー。蓮のお腹が限界だそうですわ」

 「限界なのはお前のほうだろ……」

 蓮が呆れるのも無理はない。蘭のお弁当を見つめる目はギラギラと輝き、まるで肉食獣のよう。殺気すらこもっていそうな目をしてる。こもってないけど。

 「ていうか小牧こまき、なんで耳出てんの?」

 「あ、そういえばそうですわね。自然すぎて気づきませんでしたわ」

 蘭と連が今更気づく。

 「ええっ、そうなんですかぁ!早く教えてくださいよ、はな様っ!」

 小牧が攻めてくる。かわいー。

 「あれ、藤どうした?」

 ふと隣を見てみれば、藤が何やらぼーっとしていたのだ。

 「…………いいや、なんでもないよ」

 なんか間が長かったような……。

「もう、先行きますわよ!」

 半ギレの蘭が、屋上の扉のノブに手をかけた瞬間。

 さっと、私たち五人は動きを止めた。

「……来たか」

 私がぽつりとこぽす。

 私たちの耳には、厚い扉越しであろうとも、確かにその音が届いていた。

 低く、低く、うなる獣の声が。

 おぞましい、畏怖いふすべき闇からの声が。

 厳しいーと言っても、普通の人から見たら、真顔というだろう表情を浮かべた蘭が、スッとノブを回した。

 かちり、と音と共に、扉に隙間ができる。次に、そのわずかな空間が深い黒に染まった。

 ばん、という大音で、重いはずの屋上の扉を、蘭の細く白い腕一本で、開け放たれたことを知った。 

 そして、それの姿を見た。

 真っ黒で毛深い漆黒の毛並みに、やけに生える白いヒゲ。らんらんと輝く瞳はくらく深い、緑色。ブンブンとはち切れんばかりに振られる長いむちみたいな尻尾。

 荒く息をつく口から、ナメナメと垂れるよだれ。息遣いが、こちらの息を止めてきそうだった。

 太い四肢ししは、ピッタリと、屋上の防水加工のされた床に張り付いていた。

 空は青く透明感があり、浮かぶ雲は白と灰色で立体感があり、青空の中で存在感をビシビシ発揮していた。

 奥のフェンスの向こうには、第二校舎とその屋上や、屋内プールや体育館の丸まった屋根や、楕円だえんのトラックが描かれたグラウンドや、大きな桜の木なんかがある、ごくごく普通の学校に、それが、大きくてけがれた山犬がいることが、ひどく現実味がない。

 しかし、それは私たちにとっては当たり前の、この世界の線を超えた先にいる同胞どうほうであり、敵だった。

 「ハン……ヨウ……」

 不意に、山犬が言葉を発した。

 それは、人間の言語とほぼ同じだった。しかし、その声は本来人間には届かない。

 私たちは、人間ではない。だから、声を意味として受け取った。

 他の4人をちらりと見やると、全員キリッと口を真一文字に固く結び、真顔で山犬を睨んでいた。小牧は耳をぴくぴく動かし、さらに尻尾がピンと伸びていた。かわいい。

 「……ハン……ヨウ……ヨニン……。ヒトリ……タヌキ……?」

 ああ、こいつもか。いつもながら、うんざりする。この山犬は、大方人間の激しい汚れによってあやかしに落ちた、現世の元獣だろう。そして、現世の純血妖怪にそそのかされ、私たちを殺しにきた。いつものパターンだ。早いとこ、元凶を倒さないと。

 「ハン……ヨウ……、…………コ、ロ、ス!」

 そのとき、ずっとうつろだった山犬の目の焦点しょうてんが私とあった。

 そして、山犬は地面から高く跳躍ちょうやくし、私めがけて飛びかかってくる。

 「蘭!」

 私が叫ぶと同時に、キィーンという、耳障みみざわりでありながらどこか清らかな金属音がした。

 「……!」

 山犬の周りに、金色のかかった透明な結界けっかいが張りめぐらさられていた。その結界ーバリアーの事ーは、山犬の動きを拒み、山犬の尻尾は結界の壁に当たって跳ね返った。山犬は、完全に閉じ込められ、屋上の扉のすぐそばで動きを止めた。

 蘭の神術、結界術。森羅しんら万象ばんしょうに宿る八百万やおよろずの神々の力ー神力を蘭が借り、した技。それもかなり高度な結界であり、なかなかのことがないと破れない。当然、山犬もね。

 いつの間にか、屋上の全体にすら、薄くだけど結界が貼られていた。きっと、藤が貼ったんだろう。蓮は、私と同じく神術があまり得意ではないから。

 結界は、バリアーの他に、もう一つ役割を持つ。それは、隠遁いんとん。姿を隠すことだ。今、藤が屋上全体に結界を張ったことにより、この状況ー私たちが、山犬と睨み合っているーを、無関係な人から見えなくさせている。

まっ、山犬は結界がなくても見られないけど。

 とはいえ、結界術はかなり術者の負担となる。だから、早めに終わらせないと。お昼食べたいし。

 「さようなら」

 私は素早くつぶやくと、ダッと床を強くり、屋上へと飛び出す。と、同時に、蘭が結界の一部をゆるめ、私の侵入を許す。

 しかし、山犬に動く間などなかった。

 私は瞬き一回もしないうちに、山犬のそばに駆け下り、その首に手刀しゅとうを落としたからだ。

 ドン、という音と共に、山犬の首が落ちた。少し遅れて、ドバッと血が吹き出した。

 なみなみとした赤黒い血が、屋上に佇む私のローファーまで流れてくる。

 「ふう」

 ずっと黙っていた小牧が息をついた。

 「毎度毎度のことですが、本当に後処理が大変ですよ……」

 「ごめん、小牧。でもこいつ、もうちてたから……」

 「別に華様を攻めてるわけじゃ無いですよ」

 あの山犬は、もう殺さないといけないまでに、深く堕ちていたのだ。

 蘭と藤は、山犬の死体に近づくと、そっと手を合わせてから、手のひらに神力を貯める。

 それはあたたかい太陽みたいな黄金色で、その光が、そっと山犬の体を包み込んでゆく。

 神力による浄化。

 それによって、山犬の体は跡形もなく消え去った。

 神力にわれたのだ。

 「終わったか。今日、俺の出番なしかよ」

 特に何もしてなかった蓮が、沈黙を破った。

 「あら、当たり前ですのよ。お姉さまの霊術れいじゅつにかかれば、並のあやかしなんて、一発で倒せますもの。レンは黙って、さっさとレージャーシートいてくださいませ!」

 「俺はテメーのパシリじゃねーっ」

 「あはは蓮、もう諦めたらー?」 

 「思いっきり他人事だなはーなっ」

 あっという間に、いつもの空気に戻る。

 みんな、屋上にレジャーシートを敷き始めていた。


 この世界には、闇の中にいる生き物がいる。その生き物の名は、あやかし。もののけ、妖魔ようま異形いぎょう、妖怪とも呼ばれる。

 太古の昔から地球に存在し、また、ある特別な目を持つものでしか見ることができず、その存在は明らかになっていない。

 あやかしは時代によって、人間によって祭り上げられたり、邪魔になって退治されたり、その得意な容姿によって見世物にされたり、その力を利用されたりしてきた。

 あやかしを見ることができるのは、見鬼の差異という霊力れいりょくの高い人間だけ。

 あやかしが操ることのできる力は主に三つ。

 霊力。霊的なものや場所に宿る力。人間技では到底為せないことができ、霊力が高い人間は、陰陽師おんみょうじにもなったりする。

 妖力ようりょく。あやかしの命の源。これが切れると、あやかしの命はおびやかされる。人間は通常、持つことはできない。

 神力しんりょく神通力しんずうりきとも呼ばれる、神への奉仕ほうしから生まれる力。人間もあやかしも、持とうと思えば持てる。しかし、霊力や妖力と違い、生まれた時から持てる能力ではない。

 あやかしは、いつの時代も人間とそりが合わなかった。この世界ー現世うつしよのあやかしは、あやかしにとっての理想郷ー隠世かくりよに憧れている。

 隠世は、あやかしの世。あやかしによって支配されている世界の総称だ。つまり、いくつかあるのだ。

 日本に近いところだと、大隠世。一番大きな隠世であり、十三の国がある世界。隠世というと、だいたいここを指す。他の隠世は、ほかの名前で呼ばれていたりする。

 そして、隠世が、私たち四つ子と、小牧の故郷だ。

 

 さて、ここまでが力と世界のお話。ここからは、私たちのお話。


 「にしても、狙われるの多いですわね?今月でもう何回目ですか?」

 卵焼きをついばみながらぼやく。

 お弁当の中身は、三色そぼろご飯、ほうれん草のおひたし、ナスのぬか漬け、塩の厚焼き卵、半熟卵二分の一。

 和風とも洋風とも言えない、でも渋いと思うお品書き。

 文化をとにかく受け入れてきた、日本らしいお品書きじゃない(どんな感想だ)。

 「うーん、五回目くらい?」

 藤が卵を貪りながら、器用に首を傾げる。

 「六回です。うち、四回華様、蓮が二回倒してますね。全員、獣です」

 まめな小牧が、きちんと答えてくれる。

ちなみに、茄子なすぬか漬けをつついている。

 「先月は確か十二回……。今月ももう折り返しか……」

 「年寄り臭いこと言わないでくださいましお姉様!」

 蘭に怒鳴られた。んなダメなこと言った?

  「華はほんっと鈍いなあ」

 む、藤。何を言うのか!

 ……ま、朝藤がなんで怒ってんのかわかんなかったし。鈍感っちゃ鈍感か。

 「ね、あいつらの主人は誰だと思う?」

 私はまた、なんとなく問いかけてみる。

 「この辺りー新宿か渋谷の、有力なあやかしだとすると、蝙蝠こうもりあやかしの黒川くろかわ家とか、木樹きじゅ族鬼の木守きもり家とかですかね?」

 「ま、十中八九、隠世の汚点を消したいがための、頭の悪い妖怪ジジイどもだろーな」

 蓮が乱暴に言い放った。 

 「ちょ、蓮様!汚点とか言わないでくださいよ!……ゲホゲホ」

 声を荒げた小牧は、茄子を詰まらせた。

 「大丈夫、小牧?……まっ、どっちにしろ、早く元凶を捕まえないとだね。でも、蘭が放った式、全部行方不明なんだよね?」

 式というのは、術者ー霊力や神力を用いた技を使う人ーが使う、一種の手下みたいなもので、一番多いのは、紙を使う場合。蘭の場合、神力を込めた紙に念じて作っている。

 「そうなのですわ、お姉様。途中で念が途切れてしまうのです。推測ですが、おそらく、敵側に陰陽師がついているか、陰陽師おんみょうじが首謀者で、陰陽寮おんみょうりょうが絡んでいるのか……」

 陰陽師。陰陽寮。一般人にとっては、平安時代を思い起こさせる単語。

 陰陽師とは妖にも劣らぬ霊力を保持し、陰陽術と呼ばれる術を使うもののこと。古来からあやかしをぶっ倒し、おびやかす天敵だ。

 陰陽寮は陰陽師が集まる組織で、公式じゃ明治初期に潰されて、民間で陰陽道っていう陰陽師の教えを解くことも、明治政府の政策で禁止されても、なんだかんだで今日まで存続しているのだ。

 「陰陽師とあやかしが手を組む、か。時代は変わったねえ」

 水筒に入った緑茶をごくごく飲む。美味しい。渋い。

 「あーもーまた年寄り臭いことを言いなさって!お姉さま、花の十六歳ですわよ!」

 「それどこの話?」

 「さあ……」

 「知らないんかい」

 また蓮に突っ込まれてしまった。


 わたしたちの故郷、隠り世はあやかしの楽園。裏を返せば、人間にとっては地獄、とも言える。現世も、あやかしにとっての地獄だ。

 そして私たちは、どちらの世界であっても地獄であり、楽園でもある。

 あやかしと人間は常に対極。馴れ合うことは稀にしかない……、と、いうわけでもない。

 日本中に残る、人間とあやかしの結婚話。異類婚姻譚。人間とあやかしは惹かれ合い、そしてあやかしは人間の花嫁をさらう。

 そして、罪が残る。


 私たちの正体は、半妖。半分人間、半分あやかしの半端者。人間とあやかし、双方の敵であり、汚点。異類婚姻譚のなれ果て。どちらにもなじむことができないもの。それゆえ、命を狙われ、妨げられる。

 くだらない、と思う。私は半妖だ。そのことを、恥だと思ったことはない。私たちを馬鹿にする奴など、片手で捻り潰してやれる。

 しかしそうしても、狡猾こうかつなものたちは反省などしない。事態が悪化するだけ。

 十六年の悪夢でそれは思い知っているから。

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