第9話 普通になれるよ、俺とお前なら
「……はっ!?」
白い日干し煉瓦で作られた、壁に掛かっている松明が照らす部屋で、レオンはがばりと勢いよく起き上がった。なぜ自分は生きているのだろう。レオンが辺りを見回すと、自分の体中に何かが付着していたことに気づく。
それはネブラの灰だった。サラサラと手のひらから灰が零れ落ちる。それらはレオンの服にも顔にも、というかここ全体に散らばっているようだった。ということはつまり……
「じゃあ俺は、ネブラが下敷きになったおかげで、助かった?」
レオンが上から落ちてきたことにより、この部屋に偶々いたネブラは完全に潰されて、その際脳も破壊されたのだろう。そうじゃなければ、彼が生きている理由がつかない。
「レ、レオン?」
後ろを振り向くと、そこにはセオドアがいた。レオンの頭につもった灰が、振り向いた勢いでさらに散らばる。気がつかなかったが、どうやらすぐ後ろは通路になっているらしい。セオドアはひどく動揺しているようだ。
「なんか俺、助かったぽい?」
「まって、まってくれ……」
セオドアは持っていた荷物を手から離し、レオンの前にしゃがみこんだ。彼はレオンの顔に、体に、そして最後に首筋に労わるように触れた。レオンの鼓動が、体温が、セオドアに伝わっていく。
「う、うう……君ってやつは、君ってやつは……」
セオドアの瞳に透明な涙が浮かぶ。隠す素振りもみせず、はらはらと一筋の光が目から零れ落ちた。彼はしゃがみこんだまま、レオンの首にうでを回す。それは、大事な親友が帰ってきたことへの喜びと、彼の自己犠牲への怒り、申し訳なさで満ちた、温かな抱擁だった。
レオンは彼の行動に、心底驚いたのだが、それを受け入れることにした。死のうとした間際、彼を一人置いていこうとしたのは自分だから。
「悪かったよ……悪かったって」
「ううう、すまない。本当にすまなかった……でも、嬉しいよ。君が生きていて、君も僕と同じで」
「同じって、俺とお前じゃ全然違うだろ……」
「は?」
レオンのその言葉に、セオドアはショックを受けたかのようだった。抱擁をやめて彼から体を離す。その顔は愕然としており、口をハクハクと動かしながら目を大きく見開いている。
「君、なぜ生きているのかわかるか?」
「どうしてって、灰が散らばってるってことは、ネブラが俺の下敷きになったからだろ?」
「……レオン、今から話すことをよく聞いてくれ」
セオドアはレオンの返事を聞くと、何か、固い決意をしたような表情で見つめた。まだその瞳には、若干不安が残っているようだが、ゆっくりと、セオドアは語り始めた。
「僕は7年前、体にある異変が訪れたんだ」
「異変? お前どっか具合悪いのか!?」
「そっちの方がまだマシだ。とりあえず、僕の左腕を見ていてくれるか?」
セオドアが腕をまくり、傷一つない肌が露わになる。そして彼は、おもむろに自身の腕をナイフで切りつけた。彼が痛みに顔を歪ませたのと同時に、鮮血が飛び散る。
「馬鹿! 何やってんだ、おま」
レオンは目の前の光景に、言葉を失った。飛び散った彼の鮮血は、すぐに灰に変わっていく。同時に腕の傷も塞がっていく。そう、これはまるで——
「ネブラみたいだろう?」
今や彼の腕にはなんの傷も残っておらず、床に広がった血も全て灰に変わった。レオンはこの光景が現実なのか、それとも夢の中にいるのかがわからなかった。そしてそれと同時に、あることに気づく。
「ちょっと待てよ、お前『僕と同じ』って言ってたよな。まさか……」
「……ショックを受けるかもしれないけれど。これは、姉さんへの報告用に撮った写真だ」
セオドアは、ジャケットのポケットからスマホを取り出しタップすると、それをレオンに見せつけた。それを見た瞬間、レオンは胃から胃液がせりあがるのを感じ、思わず口を押えた。
「うっ、うぷっ……っはあ! これ、まさか、俺なのか?」
スマホには酷い状態の死体が写っていた。四肢があちこちに曲がり、体中からおびただしい血が流れている。それは彼と同じ服装、同じ体の形、頭部がひしゃげた同じ顔をしていた。
「じゃあ、この床に散らばった灰はもともと俺の血……? いやでも、そんな、まさか」
「試してみるか?」
セオドアは、先ほど腕を切ったナイフを彼に差し出す。震える手で受け取ったレオンは、覚悟を決めて自分の手首を切りつけた。
血が流れていく。流れていったのだが、それらは徐々に灰に変わっていった。やがて傷はふさがって、何事もなかったかのようになる。
「はあ、はあッ!」
呼吸が追い付かない、心臓が叩きつけるように鼓動する。軍学校に入った時、ほとんど怪我をしなかったのも、いつの間にか怪我が治っていたのも、もしかして……全て体質の変貌のせいなのか? あまりにも気づけなさすぎる!
「この事態に気づいた時、僕は今のレオンのようになりながら、君にどう思われてしまうのか、考えたんだ。ただのテッドとして見てくれる君に、君に、嫌われるのが……何より怖かった」
セオドアの声が上ずって、涙をこらえるように時々止まりながらも、真実をレオンに語ろうとしている。段々と俯きがちになりながらも。
「君に嫌われるくらいなら、いっそ、僕の方から突き放せばいいと思ったんだ。あまりにも浅はかで、自分勝手な考えだ、君をたくさん、傷つけてしまった。本当に、本当にすまなかった」
体を震わせながら、セオドアは言った。この謝罪は心からの謝罪だと、心の底から後悔していることがわかる。
7年前、今よりも幼かった彼は、きっと日々を孤独で胸が締め付けられて、不安で吐きそうになりながら過ごしていたはずだ。それをたった一人で背負っていたのだ。そんな彼に向って自分は、「化け物」と言った。罪悪感で胸が締め付けられて、そのまま潰れてしまいそうだ。
「俺も、お前を一人置いていって悪かったよ……」
罵倒されると思っていたセオドアは、レオンの言葉に思わず顔を上げた。驚愕の表情を浮かべるセオドアを見ながら、レオンは続ける。
「なんかあるって、なんで、あの時考えられなかったんだろうな。そうすれば、お前をそこまで追い詰めずに済んだのに……しかも俺、お前がそんな悩みを抱えているのにさ、すげえひどいこと、言っちまった。」
「——っ!」
家柄の重圧に耐えなければならない少年と、乱暴な言動故に誤解されがちな少年、お互い孤独を埋めるように、2人はいつだって傍にいたのに……どうして7年間もそれができなかったのだろうか。
失われた7年間、レオンはセオドアの言葉に深く傷つき、何度もあの日の悪夢を見た。セオドアは秘密を守りながら、何度も不安に襲われた。お互い孤独の7年間を過ごしていたのだ。だったら……もう。
「お前が俺を突き放したことも、言ったことも許す、許すから、もう、何も恨んでねえからさ! 俺はお前と、また馬鹿やりたいんだよ!」
レオンは涙をこらえながら、セオドアを見つめて言う、叫ぶ。今まで隠していた、自分の本当の願い、彼に本当に言いたかったこと。それらすべてをぶつけていく。声が震えていようが、時々言葉を詰まらせようが関係なかった。
「お前は、どうしたい?」
レオンの群青色の瞳が、セオドアを捉える。セオドアの答えが知りたくて、心を知りたくて。
「何も知らねえくせに、勝手に被害者面していた俺を、何も気づけなかった俺を、許してくれるか?」
「……決まっているだろう」
セオドアが目にたまっていた涙を拭う。そして彼に拳を突き出した。これは2人の合図、何かを決めた時、始める時の。
「僕も、君と2人でいたい。もう、人間じゃないかもしれないし、何が起きるかわからないけど……」
「そうかもな……でも、普通になれるよ、俺とお前なら。その方法を、一緒に探していこう、絶対どこかにあるはずだ」
ゴツンと、拳と拳がぶつかる。こうして7年間のすれ違いはここに終わり、今この部屋から、人もどきの2人の旅路が始まったのであった。
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