第8話 落ちて、堕ちて、どこへ?

「ここにも紙が、えっと『二度と過ちをおかすな』か。ふむ、興味深い……はぁ、レオンもう泣くな、男、ではなく君の涙ほど見苦しいものはないぞ」

「な、泣いてねえよ! あとどういう意味だお前!」


 レオンが言っていることは嘘ではない、ただ泣きそうになっただけだ。普段は乱暴な物言いで、誤解されやすいのだが、彼の心根はお人よしで、お節介焼きなのである。人の幸福を自分の幸福と考えられるような、そんな優しすぎる男なのだ、彼は。そしてそれを、誰よりも知っているのがセオドアだった。


「はあ……君は、昔から変わらなすぎる……」

「そのことなんだけどよ、俺、お前に聞きたいことがあるんだ」


 セオドアがどこか懐かしむように、噛みしめるようにそう言うやいなや、レオンはずっと聞きたかった、彼に確かめたかったことを尋ねた。


「お前、この7年で何があった?」

「——っ」


 セオドアは7年であまりにも変わりすぎた。高圧的な態度を取ったり、人を見下すようなことを何度も言ったり……挙げればきりがない。極めつけは彼が笑わなくなったことだ。レオンの記憶の中にいる彼は、今よりも笑い、今よりも素直で、変わりものであっても、決して嫌な奴ではなかったのだ。

 彼の問いかけに、一瞬だけセオドアは苦しそうに顔を歪ませる。そしてふいと、顔を背けて冷淡にこう言い放った。


「7年もあれば人は変わる。くだらないことを聞いてないでさっさと」

「俺にとってはな! これはくだらないことじゃねえんだよ!」


 自分を見ようとしないセオドアを、レオンは肩を掴んで無理やりこちらに向かせた。セオドアの瞳が、驚きで大きく見開いている様が見える。彼を逃がさないように、腕を掴んで、レオンは続けた。


「少なくとも、俺にとってお前の問題は、くだらないことじゃねえ……今、俺の目だけを見て答えろ。お前に、一体なにがあったんだ?」


 久しぶりに再会した元親友、時折夢を見るほど忘れられなかった元親友。会いたかったのに、会いたくない、そんな矛盾した感情を抱かせた元親友。そんな彼に何があったのか、それを知れば自分と彼の関係が、何か変わるのかもしれない。そんな期待をどこかで抱いていたのかもしれない。

 だが、セオドアからの返事は非常に冷淡なものだった。


「……それを言って何になる? 私がどう変わろうが、君には関係ないだろう。今の私たちはあくまで仕事仲間だ。これが終われば私は研究に戻り、君は君でまた、

「——っっ!」


 7年前の霧雨と同じだ。セント・ジョージ・パーク内にある東屋の中、叔父が失踪したわずか一か月後に、彼はセオドアから言い渡された言葉。レオンが最も傷つき、最も怒りを覚える言葉を、彼は冷淡に、見下した表情をしながら今も変わらず言ってのけたのだ。叶いもしない夢……叔父ジャックを見つけることを、よりにもよってこう言い放ったのだ。

 彼はレオンの腕を振りほどくと、スタスタと振り向きもせずに進んでいった。洞窟の先は階段になっているらしく、彼の体がどんどん下へと消えていく。闇へと消えゆく彼に、レオンは後ろから怒りのままに叫んだ。


「はっ……はは、俺が馬鹿だったよ! 結局お前は、人にそんなことを言える、人の気持ちが何一つわからねえ、最低最悪のだ!」


 ピタリと、機械的に彼の体が止まった。レオンの言葉で、今、ようやく。まだ怒りが収まらなかったレオンは、彼だって酷いことを言ったのだから、自分も言い返してやるという、ドロドロとした感情を抱きながら、どかどかと彼に近づいていく。その途中で、セオドアがこちらを振り向いた。


「え?」

「僕だって……」


 丹精な彼の顔、アメジストの瞳から零れ落ちたのは、一筋の涙だった。鋭い視線でレオンを睨みつけて、唇をぐっと噛みしめた後、くぐもった声で何か言おうとしている。


「僕だって! 本当は君と一緒にい」


——ガコン


 固い何かが外れる音がした。彼の言葉が途切れる。その音と同時に、セオドアが階段に吸い込まれていく。先ほどまで彼が立っていた場所は、ぽっかりとあいた穴に変貌していた。


「テッド‼」


 先ほどまでの怒りが消え失せる。彼を失いたくない、傍にいたいという気持ちが、封印していた彼への親愛が彼の体を動かす。レオンはセオドアを追いかけて、穴の中に飛び込んでいった。

 すぐに飛び込んだおかげで、彼はセオドアを見つけることができた。すぐさま彼を自分の方へ引き寄せ抱きしめる。そして、体を思い切り捻り、。だからといって、安全が確保されたわけではない。体が闇に吸い込まれるように、どんどん下へ、何があるかわからない場所へ、2人して落ちていく。


「——! ——ッ!」

(やっべ、何言ってのかわかんねえ)


 セオドアが何か、こちらに向けて叫んでいる。ゴォォという汽笛のような音を立てる空気抵抗のせいで、ほとんど何も聞こえなかった。表情からして怒鳴っているようだ。あまりの剣幕に一瞬恐れを抱いたが、すぐに安堵が彼の心を包み込む。自分が下敷きになれば、少なくとも彼は死ぬことはないだろう。自分は……確実に死ぬが。


 それでも、彼の存在は確実にセオドアに刻み付けられて、一生忘れられることはないはずだ。元……とはいえども親友の中で生き続ける。悪くない気分だ。ずっと親友だと思っていたのに、別れを突然切り出されて、孤独になって、7年間ずっと忘れられないほどの傷をつけられたのだ。


(お前も俺と同じように、何度も最悪の光景を夢にみればいい)


 お人よしなレオンとは思えないほどに独善的、愛憎によく似た感情に堕ちていく。腕の中の彼は、今なお必死に抵抗してレオンを救おうともがいていた。体勢を逆に変えようと必死に、必死に。


「あばよ、テッド」


 体と地面が接する直前、最後に目と目を合わせて、とびっきりの笑顔でそう言ってやった。


ごちゃ! と


何かが潰れる音がした。

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