第8.5話 揺蕩う過去
「ジャック……なんで、帰ってこないんだよ」
(あれは……7年前の俺?)
レオンは自分の体が透明になり、どこかを漂っている。最初は真っ暗闇だった世界に、突如見覚えのある光景が広がった。そこは、ロンドンに暮らしていたころの自室、叔父ジャックと暮らした思い出の家。その部屋の中で14歳のレオンは、ベッドの上で毛布にくるまりながら、静かに、泣いてた。レオンは今、過去の自分を見ている。なんとも変な気持ちだ。
大災害が起きた日、ジャックはバックパック片手に家を出た。「迷宮に行ってくる」ただ一言、そう言い残して。ジャックは世界的な冒険家だ。こうして家を空けるのはしょちゅうだったし、レオンもこの時、すぐに帰ってくるだろうと楽観視していた。それ以来、彼が叔父の姿を見ることはなかったのだが……
でもきっと、どこかで生きているはずだ。そう信じて生きてきた。だがこうして、いなくなった事実をまた突きつけられると、その希望も灰色に塗りつぶされたような気持ちになる。心が、重い。
場面が変わる。部屋の光景から、胸が締め付けられるほどに懐かしい場所へと。
ジョーンズ家の地下一階、そこは巨大な物置になっている。古代の遺物から現代アートまで、値段がつけらないほど高価な物で囲まれた物置に、一画だけ小ぎれいになっている場所があった。ピクニックシートを敷いて、自分たちの好きなゲームや漫画を持ち寄って……そこは自分たちの秘密基地、2人が初めて会った場所。
「なら、探しに行こう! 僕と君の2人で! 君みたいに体を動かせないけど、僕の知識が、君の役に立つはずだ」
「テッド、だけど……」
「このまま君を、一人にしてしまったら、僕は、僕は絶対に後悔する」
泣きはらした顔のレオンの横に、14歳のセオドアが座っている。そして彼もまた、目に涙をためながらこう言って、励ましてくれたのだ。
幼馴染のレオンは、彼が純粋ゆえに、思ったことがすぐ口に出ることを知っている。だからこそ、この言葉が決して同情によるものではなくて、憐れみによるものでもなくて、彼の意志だと気づいた時、心が軽く、じんわりと温まるように感じた。
セオドアが、孤独な彼の癒しとなった。こうして2人は、『一緒にジャックを見つける』という固い約束を交わしたのであった。
(そうだ、俺はアイツのおかげで、また頑張れたんだ)
場面がまた変わる。今度は曇天と霧雨の降る音が聞こえてくる。この音は、レオンにとって最も辛い記憶のものだ。親友との別れ、親友からの酷い言葉、それをまた聞かされるはめになるのか……
「そっか……お前、忙しそうだもんな。家のこととかもあるだろうし、別に俺は気にし」
「僕はもう、君とはやっていけない」
ジャックが失踪してから一か月後、レオンはセオドアに呼び出された。昔遊びに行っていたハイド・パーク、その東屋に。そこでセオドアは、約束を破棄することを申し訳相な素振りも見せずに、淡々と言い放った。
レオンは、彼がジョーンズ家の跡取りという特別な立場にいることは知っていたし、断る理由も家の事情のせいだと思っていた。この後に彼が、自分に向けてあの冷淡な、氷柱のような鋭利な言葉を浴びせることを知らずに。
「……は? なんで」
「僕と君とでは、生きる世界がそもそも違うんだ。正直、話が合わない君と一緒にいて、楽しかったことなんて一度もない。身の程を知ったらどうだ?」
普段の彼から想像できないほど、冷淡なアメジストを自分に向けて言い放つ。無慈悲に、冷酷に、傷をつけていく。雨音がかき消してくれない、霧雨のせいで、全て聞こえてしまう。
「さよなら、レオン。叶いもしない夢を、見つかりもしない叔父を、いつまでも追い続ければいいさ」
茫然として動けずにいるレオンに見向きもせず、セオドアは傘を手に持つと東屋から出ていった。この姿を見て、レオンの中でかつてのセオドアは死んだのだ。自分を一人にしないと言ってくれた彼、自分と仲良くしてくれた彼は、もうこの世のどこにもいない。
レオンは傘もささずに駆け出した。怒りで沸騰しそうな心、悲傷に耐えられない。頬伝うのが涙なのか、雨なのかわからないほど、様々な感情が混ざり合っている、絡まった糸くずのように。
「待てよてめえ!」
駆けだした勢いのまま、レオンはセオドアを押し倒す。うつ伏せに倒されて、彼のビンテージ物の服や丹精な顔が泥に汚れる。ぐちゃという音を立てながら、レオンは力いっぱいに押し倒された彼を、自分の方へと向かせた。そして胸倉をつかんで、激情のままに言葉を叩きつける。
「よくも……よくもそんなこと言えたな! お前を信じた俺が、馬鹿みたいだ! てめえみたいな、人の心がわからねえ化け物、俺だって一緒にいたくねえよ!」
この時、この過去の自分の周りで揺蕩うレオンは思い出した。こう言われた時の、セオドアの顔を。彼はひどく、ひどく傷ついた顔をして、涙が顔についた泥をつたって、レオンを睨みつけていた。階段で振り返った時と同じ顔。
(ああ、俺はどうして……)
彼がこうして、突き放すように酷い言葉を言ったのは、何か重要な秘密があったんじゃないか。なぜ、なんで聞けなかったのだろう。彼がそんな人物ではないと、誰よりも一緒にいて、わかっていたはずなのに。
それに、あの時の自分の言動もまた、彼を、親友を追いやるものだった。勝手に彼が変わったと思い込んだうえに、彼に言った言葉を謝りもせず、自分だけ被害者面していたなんて。
「会いたい……」
レオンは呟く。過去の幻影が消えて、再び暗闇の空間の中で。
「お前に会って謝りたいよ……テッド」
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