第4話 来た、来た、ネブラ!

「ふふ、ふふふ、ふ」

(怖い怖い! 何コイツこんな顔できたの!?)


 レオンは横にいるセオドアに驚怖した。彼の目は爛々と輝き呼吸が荒く、どうみても気持ちが昂っている。これから迷宮周辺区域、最も危険な区域といわれる場所に行くにもかかわらず、この昂ぶり具合……元友人にはマゾヒズムの気でもあるのだろうか? 

 幼い頃、そんな様子はなかったような気がするが、7年もたてば性癖も変わるのだろう。そう思うことにした。


 ここはデルフォイ・迷宮周辺区域。パルナッソス山の屛風岩にへばりつくように建てられた神殿、正確には神殿だけでなく競技場や宝物庫がある巨大な聖域は、7年ぶりに一般人にお披露目されることとなった。

 迷宮周辺区域に一般人が入りこまないよう、その入り口にはフェンスが建てられている。そのフェンスを監視しているのが、対ネブラ特殊部隊だ。彼らはモニターで迷宮がある場所、デルフォイの中心であるアポロン神殿近辺に、ネブラがいないことを確認すると、2人を中へと促す。


「今ネブラはアポロン神殿のさらに奥、競技場に集中しているようです。小型のネブラは点在していますが、撤退しますか?」

「するわけないだろ。あっちはよほど俺に会いたいらしいからな、ファンサービスが必要だろうさ」


 レオンにとってもセオドアにとっても、自分たちの知らない世界に飛び込むことは、非常に高揚することであった。そこに恐怖はなく、悲観もなく、ただ未知の世界を早く見たい、知りたいという期待のみ。

 セオドアのように好奇心で動くわけではないレオンも、フェンスを抜けるのが待ち遠しかった。だが、作戦のことを忘れたわけではない。

(ネブラが少ない今がチャンスだ。気を緩めないように、しっかり横にいるコイツを……)


「って、先行ってんじゃねえ!」


 あろうことか、セオドアはレオンの先をどんどん進んでいっている。その様子は猛牛そのもで、しかも先ほどより感情が高ぶっているのか、子供のようにはしゃぎまわっていた。アイツ何歳だっけ、本当に21歳? 


「ここが! かの光明神がおわした聖地デルフォイ! 舗装された道路のせいで、当時の山道を体験できないのは残念だが、この並んでいる宝物庫尊い……本当に尊い」


 セオドアは舗装された道のわき、小さいパルテノン神殿のような場所に跪き、食い入るようにそれを眺めている。どうやらその小型神殿が「宝物庫」らしい。今は何も入っていないその場所に、なぜそんなに興奮できるのだろうか、そもそも、ここまで興奮する奴だっただろうか……いや興奮してたわ。レオンは段々と思いだしてきた。

 遺跡の話、英雄の話、遺物の話になると彼のマシンガントークが炸裂する。実際に遺跡に訪れたらもう手に負えなかった。


「だからお前、入り口から興奮しきってたんだな。俺はてっきり、恐怖が快楽に変わる人になったのかと」

「誰がマゾだ、誰が。それと私は恐怖を感じてはいない。すぐに済む仕事だからな、今のうちにこの景色を堪能したいのだよ、だから君は口を閉じていろ。じゃ、私は先に」

「いいけどよ、少しでも離れたらだぜ?」

「うっ……興奮が冷めるようなことを言うな」


 ハーネスの効果は絶大で、その一言でセオドアは大人しくなった。飼い主が帰ってきた時の犬のような、あのはしゃぎっぷりをさらしていたセオドアを、一瞬にして落ち着かせたのである。レイラ、恐るべし。

 彼が言うことを聞いてくれたことに安心したレオンだったが、心は完全に晴れなかった。興奮するほどに歴史が好きで、好奇心旺盛で、姉に弱い、変わっていない部分もある。それなのに自分への態度だけは変わってしまった。今より素直で可愛げがあって、2人で笑いあって、喧嘩をしてもすぐ仲直りできて……昔から偉そうではあったが、人を悪意や嫌悪でけなすことはなかったはずだ。特にいつも一緒にいたレオンには。

 彼の変化を受け入れられず、心のどこかで傷ついている自分がいることを、認めたくなかった。それっきり、2人は終始閉口して、ひたすらアポロン神殿を目指した。S字型に曲がりくねった坂道を、ただ黙って登り続ける。標高が高いこともあり、体に叩きつけるような風が痛く冷たい。そう感じながらも黙って進むと、それは徐々に見えてきた……


「うお、でっか!?」

「ま、まさかこれが!?」


 ギリシャ・デルフォイが、彼らの前に立ちはだかっていた。照りつける太陽に照らされた橙色の屋根、それを支えるのは十数本はある巨大な柱、そしてその柱には細かな金の装飾や、神話の一部を描いたのであろうレリーフが掘られている。まるで、古代ギリシャの世界へいざなうようだ。


「他の遺跡とはまるで違うな、ここが迷宮で間違いねえ」

「入りたい近くで見たい眺めたい触りたい匂い嗅ぎたい」

「落ち着け落ち着け、お前は暗号文解いて、俺はその護衛するだけだつっーの」


 迷宮と化した遺跡は、どういうわけかかつての姿を取り戻す。軍学校に通っていた時代、教官からそう学んだ。デルフォイも同様に、かつての、2500年以上前の姿に戻っているのだろう。

 セオドアを制しつつ、レオンは先を行く。特殊部隊に支給された、対ネブラ散弾銃の重みを感じながら進んでいった。軍学校にいた彼にとって、その重みは数年ぶりの、懐かしい重みであった。操作方法も改めて確認したし、ネブラがいつ出てこようが、彼はいつでも撃てる状態にある。


 坂道を登り続け、ついに迷宮前までたどり着いた。迷宮の近くで見るとその大きさ、その厳かな佇まいに、レオンは息をのむ。そして目の前にある、純白の巨石に掘られた碑文をみた。


「どいてくれ、ここは私の専門分野だ」

「天才様の腕を間近で見られるとはな、俺は運がいいらしいぜ」

「末代まで誇るといい。あ、君が末代になるのか」

「これほど殺意を抱いたのは初めてだわ」


 苛立っているレオンを無視し、セオドアは解読を始める。ノートを取り出して、早速ガリガリと文字を書き始めた。すさまじいスピード、まるでペンが踊っているかのようだ。

 すぐさま集中しはじめた彼に、こっそり感心していたその時……


(……来たか)


 ネブラの弱点は脳だ。脳を完全破壊、あるいは大部分を損傷させることができれば、奴らを殺すことができる。レオンは実践訓練を思い出しながら、銃に弾丸を詰めた。ボルトアクション特有の音が、耳に心地よい。これから命をかけた戦いが始まる、その緊張感がレオンにとってたまらなかった。


「ギギ、ぎ、ぎぎギぎ」

「そんなに呼ばなくても、すぐに殺してやるよ」


 彼の視界に入る。ぐちょぐちょ、ごちゃという気味の悪い音を立てながらやったくる、赤い肉塊がこちらに向かってやってくる様を。

 それは人間のような形をしたナニか、それに目はなく耳はなく、以上に膨れ上がった水膨れに、不気味なほど真っ白な歯があった。それには腕四本脚四本、くものように這ってこちらにむかってきている。大きさは3mくらいだろうか。

 ざっと10匹ほどいるそれに対して、レオンは臆することなく吠えた。


「来いよ雑魚共! 俺がてめえらの面に風穴あけてやるからな!」

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