32
見知らぬ人は、絶望に染まった顔のまま私に自己紹介した。
「お、俺は渡辺 鈴佳……えと、出来たらアンジュって呼んでくれると嬉しいかな?」
そう言って無理やり上げられた渡辺先輩の口角が、いやに記憶に引っかかる。なんだろう、初対面のはずなのに、どこかで出会ったような、そんな違和感。
「えと、私は如月 瞳、です。呼び方には拘らないので、お好きに呼んでくだされば……」
「じゃあク……いや、瞳だから、ヒトミンね」
「あ、はあ、どうぞ。」
「で、だ。ヒトミン、俺と友達になって欲しいな?」
「あ、えと、良いですよ」
ここにはたくさんの生徒がいるのに、なぜ見知らぬ私と友達になろうと言ったのだろうか。理由も何も分からないまま、それでも今それを断ったらいけないような直感が私を突き動かした。
そういえば今日は分からないことだらけだ。覚えていない夢も、それを見て涙を流したことも、私を見て辛そうに顔を歪める渡辺先輩のことも。
それらを総合してみると、一つの結論に至る。
『私はナニカを忘れている』
そう気がついた瞬間、グラリと頭が揺れた。思い出そうと考えれば考える程、グラグラと視界が、頭が、揺れ動く。
「クロっ……!!」
私の視界がブラックアウトする直前、渡辺先輩が私のことを知らない名前で呼び叫んだ。
「ん……」
ぼんやりする頭で、今自分が置かれている状況を把握しようと試みる。が、そんな頭で出来ることなんてたかが知れていて。しばらくの間を無駄に過ごすことになる。
それから幾らか時間が経ち、ようやく頭がクリアになった頃。一面の白と消毒液のツンとした匂いを感じ取り、ここが保健室であることを把握する。
ゆっくり上体を起こすと、その布音を聞いた保険医が顔を表した。
「目、覚めたみたいね。大丈夫?」
「はい。随分良くなりました。」
「そう、それは良かったわ。あの鈴佳君が必死な形相であなたを運んでくるから、何事かと思ったわ。」
「はあ、それはすみません。……あ、そうだ。今何時か教えていた」
「失礼します! ク……瞳さんはどうですか!」
「あ、噂をすれば何とやら、ね。如月さん、目を覚ましたわよ。」
「はぁーーーーー良かったぁーーー」
私の姿を見て、渡辺先輩は膝から崩れ落ちた。そんなに心配かけてしまったのか、と罪悪感に駆られたところで、まずは謝罪する。
「渡辺先輩、心配かけてすみません。もう大丈夫です。」
「本当良かったよ……」
何がそこまで渡辺先輩を心配性にさせるのだろうか。とても不思議に思った。
「渡辺先輩、何故見ず知らずの下級生に対してそんなに目を掛けるんですか?」
「あー……うーん……なんて言ったらいいのやら……まあ、色々あるんだよ。うん」
思いっきりはぐらかされた。小声でもボソボソ何か呟いていたようだが、生憎こちらには何も聞こえず。どうすることも出来なかった。
その小声の呟きをきちんと拾えていたら。そうしたら、未来は変わっていたのだろうか。
「あ、そうだ! 目覚めてたら言おうと思ってたんだけど、友達ってことで一緒に帰ろうよ! 今日は入学式だけだからもう放課後だし、特に一年生は皆既に帰途についてるし!」
そう言って無理にテンションを上げる渡辺先輩の姿を見て、私は胸が痛んだ。それが何故なのかはやっぱり分からなかったけれども。
「そのお誘いは勿論お受けします。が、渡辺先輩、無理しなくて良いです。……いや、私がそうさせてしまっている、のでしょうか。」
「違う! 違うんだ……俺の気持ちが追いつかないだけなんだ」
そう言う渡辺先輩の顔は、今にも泣きそうで。私は無意識のうちに先輩の頬を手で包んだ。
「……良くは分かりませんが、何か私に出来ることはありませんか? 今のあなたを見ていて、何故かこう、胸がギュッと押し潰される感じがするんです。」
「……じゃあ、三つだけ……お願いしても良い?」
「私に出来る範囲のことならば。」
「ありがとう……。まずは敬語を取ること、あと俺のことは名前で呼んで欲しい。それから……
このまま少し時間をちょうだい?」
そう言って鈴佳先輩は頬を包む私の手に縋るように、涙をほろりほろりと零した。
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