46

錠剤を噛み砕いて飲み込む。


血を通し、脳に達した刺激が全身を駆け巡る。


両目、鼻、耳など、ありとあらゆる穴から血が流れ出ている。


そこにはかつてのような快感も全能感もない。


ただ破裂しそうなほどの興奮だけがあり、息をするのも苦しくなっていた。


以前は痛みなど消え去ってしまうほどの刺激が、今は苦痛だけをギンジュに与えている。


「ぐッ!?……でも、まだ動けそうだ!」


それでも体は動く。


当然それは、アンビシャスで身体能力を上げた状態でだ。


ギンジュは一瞬で神崎の目の前へと行き、今度こそ息の根を止めようと拳を振るったが――。


「なるほど。これがアンビシャスの世界か」


言葉が聞こえたと思ったら、反対に殴り返されてしまった。


施設の壁を突き破って外へと吹き飛ばされたギンジュは、倒れた体を起こしながら、何が起こったのかを考えた。


ひとつしかない。


自分の身体能力――アンビシャスの力に対抗できるのは、同じドラッグだけだ。


「ま、まさか、アンビシャスを……?」


「その通りだよ。さて、これで互角。いや、むしろ副作用のない私のほうが有利かな」


破壊した壁から悠々と出てきた神崎は、人とは思えぬ歪んだ笑みを浮かべてそう言った。


――施設を飛び出したワンボックスカーが街中を走っていた。


時間はもう朝に近づいていたが、まだ暗く、追って来る者が誰もいないまま市街から出ようとしている。


ハンドルを握るカゲツは、撃たれた傷が痛むのを堪え、慣れない運転に集中していた。


後部座席から喚くヒバナを無視して、ただ前だけを見ている。


「戻れカゲツ! 今すぐ戻って!」


車体の揺れで動けなかったヒバナが、ようやく運転席に近づいた。


運転しているカゲツに肩をがっしりと掴み、自分のほうを向かせようと叫ぶ。


「ギンジュを置いていくつもりかよ! アンタはあいつが死んでもいいの!?」


耳元で叫んで力づくでも車を止めようとしたヒバナ。


だが彼女は、カゲツの目から涙が流れていることに気がついた。


手の力が抜ける。


誰よりもギンジュに懐いていたのが、この褐色肌の少年だったことを思い出す。


「ヤダよ、ヤダけど……ダメなんだよぉ、ヒバナ」


カゲツは泣きながら前だけを見て、言葉を続ける。


「ギ、ギンジュに頼まれたんだ……。おまえがヒバナを守るんだって……安全なとこまで運んでやってくれって……。いつもわがまま聞いてたんだから、このくらいは聞いてくれよって……」


「あぁ……」


「ヒバナは生きなきゃ……。じゃないとダメ……。絶対に生きなきゃダメなんだよ!」


泣き叫んだカゲツを見て、ヒバナはそれ以上もう何も言えなかった。


いや、何か喋りたくても涙も嗚咽おえつも止まらず、言葉を発することができない。


その後、カゲツたちが乗ったワンボックスカーは、朝日が昇る前に街から出ていった。


――向かい合うギンジュと神崎。


これからアンビシャスを使用した者同士の戦いが始まる。


ドラッグで高揚感、さらには万能感と全能感が交差し続けている神崎は、すでに体が薬に耐えきれなくなっていたギンジュを見て笑う。


こちらが使用しているのは、ギンジュから得たデータで改良された、副作用なしで使えるアンビシャスだ。


ただでさえ有利なのに、戦う前から血塗れの男に負けるはずがない。


「その様子を見るに、どうやら勝負にならなそうだな」


「まだだ、まだ俺はやれるぞ。今度はその頭を吹き飛ばしてやる」


「ならばやってみろ。ほら、私の頭は目の前だぞ」


神崎の挑発でギンジュが動き出す。


その動きは、ほとんど時間停止も同然の超高速を可能とする。


さらに頭も冴え、敵の動きを最短で計算できるようになっている。


だがしかし、それは神崎も同じだ。


彼はギンジュの動きと先読みに当然ついてくる。


その状態で拳を振るおうが止められ、押さえ込まれてしまう。


ならば足だと蹴りを放つが届かない。


あっという間に背後の回られ、腕の関節を極められ、先ほどのお返しとばかりに右腕をもぎ取られる。


「ぐあぁぁぁッ!」


「それだけアンビシャスを使っても痛みはあるか。なるほど、いいデータが取れたな」


引き千切られた右腕から血が噴き出る。


痛みで叫ぶギンジュを見下ろし、神崎はそこから彼の両足を踏み潰した。


そして倒れたギンジュの残った左腕も蹴り飛ばして、四肢を失ったその体を足で仰向けにする。


このまま放っておいてもギンジュは死ぬ。


もはや戦えなくなった道具を見て、神崎はその首にぶら下がっていたロケットペンダントに気がついた。


「処分する前に種明かししてやろう。おまえのそのペンダントは、いろいろと仕込んであってな」


勝ち誇った神崎は、ギンジュが訊いてもいないことを話し始めた。


キジハたちのアジトと場所や、ギンジュの動向をどうして自分が知ることができたのか。


それは、弟コウギョクの形見であるそのロケットペンダントに、GPSと盗聴器が仕込んであるからだと。


「おまえは、最初から私の掌の踊っていたにすぎなかったのさ」


「へへ、それがどうした!」


悦に入った神崎に、ギンジュは笑みを浮かべながら吠えた。


両手両足を失った状態で、もう触れることもできないというのに、まるで相手を見下すように叫ぶ。


「最後の最後で、なんでも思い通りになると思ってやがったおまえに一泡吹かせてやった! もうカゲツとヒバナは捕まらねぇ!」


「負け惜しみを言う。まあ、使える道具を失ったのは惜しいが、大した損失ではない」


「負け惜しみ言ってんのはおまえだ、神崎。自分がゴミだと思ってた奴に、右腕を折られた気分はどうだ? おまけに自分がスマドラの実験体になってんじゃねぇか」


「……喋るゴミは実に不快だな。だが、もう終わりだ」


神崎の足がギンジュの顔に落とされる。


死の間際、ギンジュの脳内ではこれまでのことが再生されていた。


コウギョクとの日々。


そしてキジハのチームに迎えられ、カゲツとヒバナとの暮らしが。


キジハには仲間というものを教えてもらった。


カゲツは最初から自分に懐いてくれていた。


ヒバナとは次第に打ち解け合い、最後には大事な人と言ってくれた。


関わったすべての人を愛している。


それに、カゲツとヒバナをAISから守れた。


それだけでもう十分だと。


「今、そっちに行くよ、コウギョク……」


満足そうに両目を瞑ったギンジュの顔が、神崎の足で積み潰された。

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