36

アンビシャスを摂取している今のギンジュからすれば、銃口を向けられた状態でも余裕で避けることができる。


――はずだったが、手足のしびれが彼にそれをさせてくれなかった。


(動け……動けッ! なんで動けないッ!?)


引き金を引いたのが見える。


弾丸が自分を目掛けて飛んでくるのが目に入る。


それでも動けない。


先ほどまで自分だけが止まった時間を走り回れていたはずなのに、瞬きすらできない。


スローモーションに見える敵の動きが逆に恐怖を煽っていた。


このまま自分は死ぬのか?


せっかくスクラッチが犯人の目星をつけたというのに、キジハたちの仇も討てずに終わるのか?


手足のしびれに続いてなぜか意識もぼやけていた。


今ギンジュの頭に浮かぶのは、カゲツとヒバナのこと、殺されたキジハたちのチームの仲間、そして弟コウギョクだった。


弟の笑顔が脳裏に浮かんだとき、突然ギンジュの体に衝撃が走った。


「なにやってんの、ギンジュ!?」


カゲツが体当たりをしたのだ。


弾丸はギンジュではなく、飛び込んできたカゲツの肩を貫いた。


男が再び銃を撃とうとしたが、それは叶わなかった。


最初に撃った瞬間に、スクラッチがすでに男に向かって散弾銃を発砲していたからだ。


スクラッチは撃たれた衝撃で宙に浮かんだ男に、弾が尽きるまで弾丸を浴びせた。


空中で何発も鉛玉を喰らった男は、全身を欠損しながら地面へと倒れた。


「ふたりとも大丈夫か!? くッ!? おい、プロテック! カゲツが撃たれた!」


「ああ、わかってんよ!」


スクラッチは慌ててふたりにかけよると、カゲツが撃たれていることに気がついた。


彼はすぐにプロテックに声をかけて、傷の応急処置をするように言った。


プロテックはカゲツの服を脱がせて消毒液をぶちまけ、包帯を巻いて止血する。


「大したこたぁねぇ。弾丸は貫通してる。ヤワな体で助かったな、カゲツ」


皮肉たっぷりに言っていそうなプロテックだったが、その顔には心配している様子がうかがえた。


ギンジュは立ち尽くしていた。


何も言えず、自分を庇って傷を負ったカゲツを見下ろして、体を震わせているだけだった。


そんな彼に詰め寄り、スクラッチが胸倉を掴む。


「ス、スクラッチさん……?」


「正気か、ギンジュ。おまえなら避けられたはずだ。なぜ避けなかった? そのせいでカゲツが死ぬところだったんだぞ」


静かだ強い言葉でギンジュをとがめるスクラッチ。


しかし、何も答えずに身を震わせている彼を見て、その手を放した。


ギンジュの鼻からはまた血が流れていた。


どこかにぶつけたわけでもないのに、ダラダラと止まらずに出てくる血を、ギンジュは拭うこともせずに両目を見開いてスクラッチを見ている。


その焦点の合わない目は、本人も何を見ているのかがわかってなさそうだった。


「おい、まさかおまえ!?」


スクラッチは、ギンジュがスマートドラッグの影響で、オーバードーズになったのかと焦った。


オーバードースとは、身体や精神にとって、急性の有害な作用が生じるような量によって薬物が使用されることである。


それによって一時的、あるいは永続的な影響があり、最悪は死亡することがある薬物の過剰摂取によって出る症状だ。


まだ辛うじて意識は残ってそうだが、今のギンジュはとてもまともな状態には見えない。


「スクラッチさん……。俺、なんか変かな……?」


「変も何も今のおまえは――」


「ギンジュはダイジョブだよ!」


ギンジュがようやく声を発し、スクラッチは彼の状態を伝えようとしたとき。


カゲツはスクラッチの言葉を遮るように叫んだ。


ギンジュに問題なんて何もない。


ただ少し疲れているだけだ。


これまで無理をしてきた彼のことを責めないでやってくれと、痛みで顔を引きつらせながらも笑う。


「ねえ、ギンジュ。ちょっと休めばダイジョブだよね? ダイジョブだって言って……ダイジョブだって言ってよぉッ!」


カゲツが突然叫ぶと、ギンジュは自分の顔を両手で叩き出した。


一度や二度ではなく、頬が腫れるくらい何度も何度も叩く。


それを見ていたスクラッチとプロテックは、ギンジュがおかしくなってしまったのかと、唖然としていた。


だが、ギンジュは垂れていた鼻血をすすって口から吐き出すと、体に垂れた血を拭った。


その目は焦点が合っている。


意識が戻っていることがわかる。


唖然としていたスクラッチとプロテックが何か言う前に、ギンジュはカゲツに向って口を開いた。


「大丈夫、大丈夫だ、カゲツ。ごめんなぁ、俺のせいでケガさせちまって……本当に、本当にごめんな!」


ギンジュは、泣きながら叫ぶとカゲツの体を抱きしめた。


カゲツの手当てをしていたプロテックが驚いて離れると、スクラッチは彼の肩にポンッと手を乗せる。


どうやら意識がはっきりとしたらしい。


まだ不安ではあるが、今のところは大丈夫だろう。


ふたりは声を出さずに、表情だけでそう言い合っていた。


「痛いよ、ギンジュ。こんなケガ、大したことないって」


「わりぃ。そうだ! 早く医者のとこへ行こう! 傷口からばい菌が入ったら大変だ!」


「もう消毒してるよ。まったく、ギンジュは他人のことにはうるさいんだから。そこらへん、ちゃんと自覚してよね」


笑みを交わし合うギンジュとカゲツ。


それからふたりは、スクラッチとプロテックの手を借りて車へと戻り、その場を後にする。


こうして、この街で暴れる人間は誰ひとりいなくなった。


キジハが死んでからずっと荒れていた街に、ようやく平和が戻るはず――ギンジュたちの誰もがそう思った。

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