33

先ほどまでのロマンチックな時間から、一気に緊迫したムードに変わる。


恋人のスマートフォンを覗いて、浮気を発見したらこんな感じになるのか。


修羅場というのは今の状況を言うのかなと、ギンジュは切迫した面持ちで訊ねてきたヒバナとは反対に、実に冷静だった。


いつかはバレると覚悟していたのが、少し早まっただけ。


ギンジュにとっては、ただそれだけのことだった。


だが、彼にとってはそうでも、ヒバナにとってはそうではない。


止めたと思っていたことをギンジュが始めていたのだ。


正直、苛立つ。


口では止めたと言っていたことを止めていなかったことに怒りを覚える。


それでも彼女の驚きには怒りだけでなく、悲しみも交じっていた。


その理由は、実はキジハが薬物中毒者だったという事実を、後から知ったからだった。


ヒバナは、ギンジュからそのことを聞いたわけではない。


キジハが死んだ後、何気なく彼女のことを調べていく過程で偶然知った。


普通ならば死んだ人間に興味なんて持たないと思うが、姉と慕っていた人のことを調べてしまったヒバナの心情は、一般的と言えるだろう。


ヒバナは、ギンジュもまたキジハのように、ドラッグで苦しんでほしくなかった。


同じ道を歩んでほしくなかった。


もし中毒者症状が出ているなら今すぐ治療を受けに行ってくれと、ヒバナは普段とは違い、相手を刺激しないような穏やかな声で言う。


「無理しないでよ。姉さんみたいになんでもひとりで抱えないで。アタシにできることはなんでもするから」


ギンジュは、潤んだ瞳で訴えてきたヒバナを抱きしめた。


彼女の問いには答えず、その背中にそっと両腕を回して、優しく力を込めていく。


それが答えなのか。


言葉を発しない抱擁が返事なのか。


ヒバナは、彼の言いたいことがわかったわけではなかったが、それ以上ドラッグのことを訊ねることはなかった。


「誤魔化すのが上手くなったね。前のアンタならしどろもどろになって、必死に言い訳してそうだったのにさ」


「意地悪なこと言うなぁ。でも、本当に大丈夫だから。心配するなって」


「わかった、もう何も訊かない。アンタを信用する……」


――ふたりはそのままキャンピングカーで車中泊し、朝方にマンションに戻った。


扉を開けて玄関で靴を脱ぐと、キッチンから焦げ臭いがしてくる。


その臭いに異変を感じ取ったギンジュとヒバナは顔を見合わせると、大慌てでキッチンへと走った。


「あッ、ふたりともおはよう。ご飯もうすぐできるよ~」


キッチンではカゲツが料理をしていた。


サイズの合っていないエプロン姿で、適当に包丁を振り落としている。


まな板で野菜を切っている彼の側では、焦げ臭さが強くなっていた。


「おはようってカゲツ、アンタ!? フライパンフライパン! なんか焦げてるぞ!」


ヒバナが慌ててフライパンに駆け寄ると、そこには黒く変色した目玉焼きがあった。


3人分の潰れた目玉焼きは、白身の部分はまるでがん細胞に浸食されたかのように黒くなっており、おまけに煙まで出ている。


ヒバナはちゃんと水や油を入れたかと訊ねると、カゲツは右手で後頭部を擦りながら笑って言う。


「入れなきゃいけなかったんだね。ごめ~ん。頑張ってみたんだけど、失敗しちゃったみたい」


えへへと悪びれずに言ったカゲツに、ヒバナは大きくため息をついた。


だが怒鳴ったりはせずに、自分が作り直すと言って、彼女は側にあったエプロンを手に取る。


冷蔵庫から冷凍したライスとケチャップ、チーズと卵、さらにミックスベジタブルを取り出し、棚からツナ缶と乾燥バジルを用意。


それからマグカップを人数分用意して、チーズと乾燥バジル以外の材料を入れて混ぜ始めた。


混ぜ終えた後、チーズをのせてからラップをかけて、電子レンジで加熱する。


ほんの数分でチンッという音が鳴り、最後にマグカップへ乾燥バジルをかけて完成。


あっという間にトマトチーズリゾットが出来上がった。


「うわー美味しそう! しかもチョー早いし。さすがヒバナ!」


カゲツは彼女の横で切った野菜を皿に移していた。


サラダくらいは自分のをと、不格好に切られた野菜にドレッシングをかけている。


ギンジュは料理をテーブルに運び、3人は席に腰を下ろした。


今朝は突発的にこそなったが、いつもよりもオシャレな料理をカゲツとギンジュは楽しんでいた。


「ウマいなこれ、よくこんなもんをすぐ作れるよ」


「褒めてもなんにも出ないよ」


ギンジュが褒めると、ヒバナははいはいとでも言いたそうだが、少し嬉しそうにしている。


カゲツはそんなふたりを交互に見ると、その口を開く。


「そういえばふたりでどこ行ってたの? まさか朝帰りだったとか? もしかして、とうとうやっちゃった?」


いやらしい笑みを浮かべてカゲツが訊ねると、ギンジュとヒバナはブッと噴き出してしまった。


顔が真っ赤になり、ふたりともカゲツから目をそらしながら、なんとか誤魔化そうとするが上手く言葉が出て来ない。


「否定しないんだね。フフフ、ということは」


「このエロガキ! 朝からサカってんじゃねぇよ! いいからさっさと食っちまえ!」


「怒るってことはホントにやっちゃったんだ。ボクのアドバイスのおかげだね。ふたりともおめでとう~!」


「カゲツゥゥゥ……ッ!」


ヒバナは立ち上がってカゲツに掴みかかった。


だがカゲツは、マグカップとスプーンを持ったままヒョイッと彼女を交わし、そのまま逃げていく。


待てと叫びながら追いかけるヒバナをからかいながら、カゲツはトマトチーズリゾットを食べ続けていた。


朝からずいぶんと騒がしくなったが、ギンジュはこの光景がいつまでも続けばいいと思っていた。


キジハはもういない。


ふたりは自分が守るのだ。


もうとっくに決意していた気持ちが、再び湧き上がってくる。


「ギンジュ、見てないでヒバナを止めてよ!」


「黙れエロガキ! 今日という今日はその根性を叩き直してやる!」


リビングで走り回るカゲツとヒバナを見て、ギンジュは久しぶりに大笑いした。

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