32

――詳細を聞いた後、ギンジュはマンションへと戻り、シャワーを浴びていた。


考えるのは仕事のことでなく、キジハたちを殺した犯人だ。


「スクラッチさんなのか……」


後頭部から雑に泡立てたシャンプーを洗い流し、赤いメッシュの男のことが頭をよぎる。


証拠はないが、どうしてもスクラッチがやったのではないかと思ってしまう。


こんな精神状態では仕事に影響が出ると、両手で顔を叩いたギンジュは浴室を後にした。


リビングに布団が敷いてあるのが目に入る。


もう深夜を超えて日をまたいでいるのだから、ふたりが寝ているのも当然だ。


そもそも先に眠っているように言ったのは自分だったと、ギンジュが止めた足を動かすと――。


「おかえり。遅かったね」


ヒバナがキッチンから声をかけてきた。


まだ起きていたのかとギンジュが近づいていくと、彼女は煙草を消して携帯灰皿に吸殻を入れた。


それから換気扇を消して、ギンジュと向かい合う。


「先に寝ててよかったのに。まさかカゲツも起きてるのか?」


「あの子は寝てるよ。アタシだけ。だから静かにね」


ヒバナは、立てた人差し指を鼻に近づけて微笑んだ。


声を小さくしているせいか、彼女のガラガラ声がいつもと違う感じ――妙に色っぽく聞こえる。


ギンジュはそう思いながら頷いて返すと、ヒバナに背を向けて、リビングに歩を進めようとした。


「ねえ、もう眠い?」


「いや、そこまでじゃねぇだけど、なんか話でもあるの? あるなら聞くけど」


「うーん。でも、ここじゃちょっとね」


着替えて部屋を出たギンジュは、ヒバナの運転で街へと出た。


マンションが治安が悪い地区にあるせいか、外はまだ明るく騒がしい。


ふたりが乗っている車は、初めてカゲツから連絡が来たときに、迎えに来たキャンピングカーだった。


てっきりもう処分していたものと思っていたが、どうやらヒバナはまだ乗っているらしい。


考えてみれば当然だ。


この車は、死んだキジハとの思い出がつまった大事なものなのだから。


助手席に乗っていたギンジュは、ハンドルを握るヒバナの横顔を見て思う。


相変わらず自分は気がつくのが遅い。


そして、彼は自嘲するように薄笑いした。


「なに笑ってんの?」


「いや、別になんでもないよ」


「なんか怪しい。言え、アタシに隠し事すんなよ」


「なんでもないって。それよりもどこへ行くんだよ? 話するなら別に遠くに行かなくても」


ムッと不機嫌そうにしていたヒバナは、ギンジュに訊ねられると微笑みを返した。


彼女は、いいところ、とだけ口にし、キャンピングカーはそのまま街を出て、近くに見える山へと向かう。


目的地も言わないのか。


しかも、いいところってなんだ。


ギンジュは、ヒバナにからかわれているような気分になったが、そんなに悪い気はしていなかった。


思えばキジハが死んでから、彼女とふたりだけで話すことがなかったのもあって、いい機会だとさえ思っている。


ふたりはそれから数分間、他愛のない会話をして互いに笑い合った。


ヒバナがギンジュの酒の弱さをいじれば、ギンジュもまたヒバナの口にする小言を茶化す。


車内での時間は、ただの男と女がいるだけだった。


貧困層だとか、犯罪者だとか、薬物中毒者だとかは関係ない。


冗談交じりで話せる友人、恋人、または家族のような暖かさだけがあった。


ギンジュもヒバナも、自分の境遇も過去も、そして未来のことも忘れて、その時間を楽しんでいた。


「着いたよ」


「うおっスゲーな!」


到着したのは山を少し登ったところだった。


周りは岩だらけで人気ひとけもなく、下を見れば街の灯りが見える。


さらに今夜は雲ひとつないのもあって、満天の星空だ。


なんでもヒバナがこの場所を知ったのは偶然で、たまたま仕事で身を隠さなければならないときに見つけたようだ。


「どう? キレイでしょ?」


「ああ、街の近くにこんなとこあったんだな。こりゃいいところだ」


誰にも教えてない秘密の場所。


ここはカゲツにもキジハにも知らせていないところだと、ヒバナは空を見上げながらそう口にする。


無数の光がまるでふたりの時間を祝福するように、そこにはあった。


それは日々の生活に追われている街では見られない、ただひたすらに美しい眺めだった。


気がつけば、ヒバナはギンジュに寄り添っていた。


肩に頭を乗せながら、彼女はただ空を見上げている。


ギンジュは顔には出さなかったが、内心では驚いていた。


ヒバナがこうやって誰かに甘えるなんて見たことがない。


むしろ仲間が悲しんでいたり、泣いていたりしたら、誰よりも先に慰めたり、声をかけたりするのが彼女だった。


それが、こんな風に甘える態度を取るなんて――。


そうか。


それだけ自分と彼女の距離は縮まっていたのだなと、ギンジュはヒバナの頭のほどよい重さを感じながら胸が熱くなる。


誰にも邪魔にされないふたりだけの時間。


しかし、そんなギンジュとヒバナの時間に邪魔が入る。


それは、ギンジュの体の痙攣けいれんだった。


驚いたヒバナは、すぐに彼に訊ねた。


もしかして、強力なスマートドラッグを使っているのかと。


眠気を取るために飲用した大量のカフェインの副作用で手指が震えるように、効果が強いスマートドラッグにはたまにこういうことが起きると、ヒバナは知っていたのだ。


「姉さんから止めるように言われてたでしょ。まさかアンタ、また始めてたの?」

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