30

ヒバナが待つ家へと戻ったギンジュとカゲツ。


彼らが住んでいるマンションは、居室1部屋に16畳以上のリビングと繋がったダイニングキッチンがあるマンションだった。


これだけ広い空間があるというのに部屋はひとつだけというアンバランスさだが、同じ部屋で布団を引いて寝たいと言ったカゲツが、この部屋に決めたと譲らなかった。


元々カゲツと住んでいたヒバナはもちろんのこと、あまりプライベートな時間を求めないギンジュもそれで良いということになり、3人はこのおかしな空間で暮らしている。


「たっだいま~! 戻ったよ、ヒバナ! ご飯は!? ねえご飯は!?」


「メシの前に先に風呂入れよ、カゲツ! 仕事で体になについてんのかわかんねぇんだぞ!」


部屋に入るなり夕食を求めたカゲツに、ヒバナは体を洗うように怒鳴った。


カゲツは渋々ながらも彼女の言う通りにし、浴室へと向かう。


外から帰ってきたら、いつもうがい手洗いするように注意する。


いつもの光景だと、ギンジュはつい笑ってしまっていた。


ギンジュがふたりのやり取りを見て微笑んでいると、ヒバナに声をかけられた。


「ほら、アンタもついでだから一緒に入っちまいな」


フライパンを振りながら、慣れた手つきでフライ返しを動かしているヒバナは、まるで母親のようなことを言った。


ギンジュがその姿を見てまたも笑い、ヒバナは彼の態度のせいで、不可解そうに小首を傾げる。


何か変なことでも言ったかとでも言いたそうな顔で、彼女は口をへの字口にする。


そこへ、風呂に入るように言われたカゲツが現れた。


カゲツはタオルを羽織っているだけの裸同然の姿で、冷蔵庫を開けて炭酸飲料を手に取る。


シャワーだけにしても早すぎる。


カラスの行水という言葉すら当てはまらないほどの入浴時間で、手に取った炭酸飲料で喉を潤していた。


そんなカゲツをじっと見ているギンジュとヒバナ。


カゲツは今さらふたりの視線に気が付き、炭酸飲料を飲みながら声をかける。


「どうしたのふたりして? ボクの裸がそんなにおかしい?」


「アンタ、ちゃんと体は洗ったのか……」


「ヤダな~洗ったに決まってるでしょ。変なこと言わないでよぉ」


「それにしては早すぎるんじゃないの。ホントに洗ったのか?」


「だから洗ってるって」


言い合いを始めたふたりの傍で、ギンジュはスマートフォンを操作して、ヒバナの口座に今夜の報酬を振り込んだ。


それから、玄関へと歩き出していた。


ヒバナは、ギンジュが外へ行こうとしていることに気がつくと、彼に声をかける。


「おい、どこ行くんだよ? これからメシだぞ」


「わりぃ、仕事の調べものがあるんだ。今夜はちょっと遅くなる。先に寝ててくれ」


「なッ!? またかよ! 今夜だってアンタの分も作ってんだから、食ってもらわないと残っちまうだろうが!」


「帰ってから食べるよ。ラップして冷蔵庫にでも入れといてくれ」


ギンジュはそう言うと、部屋を出ていった。


ヒバナが出ていったギンジュの締めたドアを睨んでいると、カゲツはそんな彼女に視線を移した。


怒っているというよりは、不満があるといった表情か。


このところ調べものがあると言っては、深夜まで出かけるギンジュの体を、心配をしていることがわかる顔だ。


「胃袋を掴むのって簡単じゃないんだね。ギンジュは料理で釣れると思ったんだけどな」


「あん? なに言ってんだアンタ?」


「はぁ、なんとかなんないもんかね……。よしヒバナ、次からアプローチ変えて――イタッ!?」


カゲツがギンジュを落とす方法を変更していこうと提案すると、ヒバナは彼の頭にげんこつを食らわせた。


――マンションを出たギンジュは、そこから少し離れた路地で立っていた。


しばらくすると、彼の前に一台の車――黒塗りのリムジンが停まる。


リムジンの扉が開き、中に入れるように声が聞こえ、ギンジュは車に乗り込む。


「今回の仕事も上手くいったようだな」


後部座席には、スーツ姿の中年男性――神崎かんざき丈三郎じょうさぶろうが座っていた。


ギンジュを雇っていたのは神崎だった。


AISの幹部である彼にとっても、キジハ亡き後の街の現状は放っておけないものだったようで、ならず者たちの抑止力として、彼に暴走する半グレチームの始末を依頼していた。


キジハが仕切っていたときはせいぜい拳銃しか手に入らなかったというのに、強力な銃火器をギンジュたちが使用できていたのは、神崎が彼らのスポンサーになっているからだった。


ちなみに、AISの幹部が依頼主だということをスクラッチたちは知らず、カゲツやヒバナも聞かされてはいない。


それは、彼らがAISのことをあまりよく思っていないからだった。


余計なことは知らせないほうがいい。


ギンジュはそう思って、誰にも自分と神崎の繋がりを教えていない。


手に入れた銃火器は、海外のマフィアとのコネクションで手に入れていると嘘を言っている。


「おかげさんで。それで、なにか進展はあったんですか?」


訊ねられた神崎は、運転手に車を発進させるように言うと、シャンパンとグラスと手に取ってテーブルに置いた。


揺れの少ない安定した走行の中、彼はグラスに泡立つ液体を注いでいく。


「そんなに焦るな。まずは一杯奢らせてくれ」

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