07

深夜の誰もいない街を、ゾンビのように歩くギンジュ。


彼の脳裏には、生前の弟の笑顔だけが編集された映像のように流れていた。


きつい、汚い、危険な仕事をこなし、裕福な人間に馬鹿にされ、さらにろくなものも食べられない貧しい暮らしだったが、それでもコウギョクとの生活は楽しかった。


ギンジュは何も贅沢をしたかったわけではない。


彼は他人に見下されても、人並みの生活ができなくても気にしていなかった。


それは弟がいたからだ。


コウギョクがいたから頑張れた。


コウギョクがいたから幸せを感じられた。


そして将来、弟が成功する姿こそがギンジュのたったひとつの願いだった。


だが、彼の心のよりどころだったコウギョクは病気で亡くなった。


助けられるはずだった。


金さえあれば救える命だった。


その方法も手に入れていたのだ。


なのに、どうしてこんな理不尽なことが起きる?


コウギョクは助かる価値のない人間だったということか?


これも自己責任か?


もっと努力して金を稼げる仕事に就かなかったせいか?


弟に何の罪がある?


ぐるぐると回る不条理の答えは出ない。


そんなギンジュが歩いていると、騒がしい声が聞こえてきた。


そこにいたのは、先ほど自分を叩きのめした大学生の集団だった。


もうすぐ日にちが変わる時間だというのに、彼らはまだ遊んでいたようだ。


ギンジュは彼らを一瞥すると、そのまま通り過ぎようとした。


あんな連中に殴られたことなど、もうどうでもよくなっていた。


だが、彼に気が付いた大学生たちが近寄ってくる。


「なんだ、まだウロウロしてたのか」


絡んでくる。


酒臭い息を吐きながらにやけ面で迫ってくる。


無視して去ろうとしたギンジュだったが、突然胸倉を掴まれて壁に叩きつけられた。


大学生の集団は、呻き声を出したギンジュを見て笑っている。


金持ちに生まれたら偉いのか?


貧乏は罪か?


どうしてこんなことをするんだと思いながら、ギンジュはその隈のある両目で、まだ胸倉を掴んでいる大学生を睨みつけた。


「なんでこんなことすんだよ?」


「また同じこと訊くのか。本当、これだから馬鹿は面倒だな。いいか、よく覚えとけよ。おまえみたいな無能は、僕たちにからかわれることしか生きる価値がないんだよ」


そう言い放った大学生から目をそらさず、ギンジュは、持っていた骨壺を地面に落としてポケットに入れていたものに手を伸ばした。


それは神崎に渡されたピルケース――売られているスマートドラッグのどれよりも効果が強いアンビシャスだ。


ギンジュは、胸倉を掴まれたままケースを開けて錠剤をひとつ口に入れる。


「なんだよ、おまえもスマドラ持ってたのか? でもまあ、どうせ安物――ッ!?」


大学生が言葉を言い切る前に、その顔面が打ち抜かれた。


たった一撃で気を失った大学生を見下ろし、ギンジュは起こそうと首根っこを掴んで引っ張りあげる。


ビクビクと痙攣している仲間を見て、周囲にいた大学生の集団が声を荒げていた。


無能のくせにと、自分たちが誰かわかっているのかと、犬のようにキャンキャン吠えているが、ギンジュの耳には入らない。


仲間から手を離さないギンジュにしびれを切らした彼らは、一斉にピルケースを出し、スマートドラッグを口へと入れる。


彼らはギンジュが使用しているドラッグが、自分たちよりも強力なものであることはわかっていた。


だが、それでも相手は多勢に無勢。


たったひとりで集団に勝てるはずがないと、ギンジュへと殴りかかった。


前後左右から大学生の集団が向かってくる。


スマートドラッグの影響で集団の動きが速い。


これでは勝ち目どころか逃げようがない。


それでもギンジュは落ち着いていた。


その理由は、アンビシャスを摂取した今の彼にとって、集団の動きなどスローモーションに見えていたからだ。


(これがアンビシャス……。マジでスゲー、スゴすぎるぞ、こいつは!)


ギンジュは集団の隙間から抜け出ると、背後からひとりずつ殴り飛ばした。


拳が当たる度に、先ほどまで笑っていた大学生たちの顔が歪んでいく。


殴られた衝撃でまるでゴム毬のように、弾んで飛ぶ。


「う、うぞ……だろ……?」


胸倉を掴んできた男が目を覚まし、その光景を眺めていた。


その鼻からはダラダラと血が流れており、変な方向に曲がっている。


信じられないといった表情で立ち尽くす男に、集団を全員叩きのめしたギンジュが近づいてくる。


「ヒィィィッ! 勘弁してくれ! 金ならいくらでもやるから!」


「俺は金よりもおまえを殴りたい」


男が地面に屈して許しを請うたが、ギンジュは拳を振り上げた。


殺されると恐怖したのか、男はその場で失禁し、涙を流しながら動かずに震えるだけだった。


そんな姿を見たせいか、ギンジュはやる気が失せていた。


周囲に目をやると、他の大学生たちも同じように怯えていて、仲間を助けようともしていない。


絡んで来たときとは別人だ。


こんな情けない連中を殴ってどうする。


もう気分も晴れた。


ギンジュは、落とした骨壺を拾うとヒビが入っており、失禁した大学生へと詰め寄る。


「弁償……」


「へ……?」


「これには弟の骨が入ってんだよ。ちゃんと弁償しろよ。とりあえず、おまえら全員が今出せる額で勘弁してやる」


怯える大学生たちは、慌てて財布から金を出すと、ギンジュの前に置いてその場から逃げていった。


深夜の街中で集団が駆けていく足音だけが響き、金を拾ったギンジュは、それをポケットに突っ込んだ。

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