06

絡んだ男の無様な姿を見て満足した大学生たちは、笑いながらその場を去っていった。


ギンジュは彼らがいなくなった後、痛む身体を起こして顔についた汚物を拭いながら思う。


なんでこんな目に遭わないといけないんだ。


ぶつかって来たのはあいつらで、それでもこっちが謝ったのに。


どうして叩きのめされなきゃいけないのだと、悔しさに身を震わせる。


「……そんなこと気にしてる場合じゃねぇよな。あんな奴らのことよりもコウギョクのために、金を手に入れねぇと……」


ギンジュは弟のことを想った。


世の中を恨むよりも、今はコウギョクの手術代を稼がねばと、フラフラと立ち上がり、再び歩き出して金を稼ぐ方法を考える。


この国の法律である巨大企業――AISの幹部である神崎かんざき丈三郎じょうさぶろうが一体何を考えて自分に高価なスマートドラッグを譲ってくれたのかはわからないが、ともかく金がいる。


優しい弟には自分と同じ道を歩ませたくない。


そのためにも病気を治して、それからアカデミーに入って、まともな暮らしを手に入れさせてやるのだ。


コウギョクには能力がある。


無能の自分とは違って弟は優秀だ。


病気さえ治れば、こんな理不尽な目に遭うことはない。


ギンジュは再び街を歩き始めると、周囲にいた人間たちが避けていく。


それも当然だ。


今のギンジュは腫れ上がった顔をして、さらに自分で吐いた汚物塗れ。


まともな感性を持っている者なら当然関わりたくない。


煌びやかな夜の街を歩きながら、ふと大型ビジョンが目に入った。


その画面には貿易会社の社長が、得意げに海外から買い付けた金塊について語っていた。


どうやら明日、この街にある会社の倉庫へ運ぶらしい。


まるで狙ってくれとでも言っているような言い草だったが、よほど盗まれない自信があるのだろう。


それも当然のことだった。


能力主義となったこの国で犯罪をする人間などいない。


実力さえあれば裕福になれるのだ。


持たざる者イコール無能であり、そんな人間では犯罪さえできない。


「いっそのこと強盗でもやるか」


金塊の話を聞き、ギンジュは独り言を呟いた。


だが、本気ではない。


そんなことをして手に入れた金で病気が治っても、優しいコウギョクが喜ばないことを知っているからだ。


「何か考えなきゃ……」


それからギンジュは、アパートに戻ると、まずシャワーを浴びた。


殴られた顔や体が痛むが、酸っぱい肉とコーヒーの臭いを取るためだ。


それから裸でベットに横になると、神崎に渡されたスマートフォンが震える。


手に取って画面を見ると、そこには知らない番号が表示されていた。


きっと神崎だろうと思ったギンジュは、面倒くさそうに電話に出る。


「どちらさんですか?」


《私だ》


役者のように通る声。


神崎とちゃんと話したのは今日が初めてだったが、ギンジュは声を聞いただけですぐに彼だとわかった。


一体何の用だとギンジュが訊ねると、神崎はすぐにコウギョクが入院している病院へ行くように言った。


「おい、コウギョクになんかあったのかよ!?」


《医者の話だと、突然病状が悪化したらしい。急いだほうがいいぞ》


「はあ!? 病気がヤバいとは聞いてたけど、そんなすぐに手術しなきゃいけなかったのかよ!? つーかなんで俺じゃなくてあんたに連絡がいくんだよ!?」


《君が連絡先を持っていないからだろう。病院が施設に連絡をして、それで私も知ったんだよ》


ギンジュはスマートフォンを放り投げて慌てて服を着ると、アパートを飛び出した。


身体の痛みも忘れて、再び夜の街を駆けていく。


コウギョクが死ぬはずがない。


あんな優しい人間が死んでいいはずがない。


弟は素直でしとやかで温厚で、誰にだって好かれる善良な人間だ。


両親に捨てられ、施設で育っても、けして腐らずに努力をし続け、それでついにAISアカデミーの入学まで決まった。


これまでたとえ無能でも人生に絶望しなかったのも、そんな弟がいたからなんだと、ギンジュは神に祈りながら病院へと走った。


「遅かったですね。もう手続きも処理も全部終わってますよ」


到着すると、担当医が役人らしき男と一緒におり、ギンジュは弟が亡くなったことを聞かされた。


元々体力がなかったのもあって、急に病気が悪化したことで、コウギョクには耐えられなかった。


食事も栄養バランスより、腹にたまる炭水化物中心の食生活をしていたのもよくなかったのではないかと、事務的に担当医が口にしていた。


側にいた役人は、貧困層ではよくある話だと言い、施設の決まりに乗っ取った方法で遺体を処理したと、ギンジュに伝えた。


どうやらこの病院では、貧困層用の火葬場があるらしい。


ギンジュは最愛の弟の最後の姿を見ることもなく、すでに燃やされた後だった。


その後、担当医と役人は、言葉を失っているギンジュに骨壺を渡し、彼を病院から追い出した。


「待てなかったのかよ……」


病院の裏口の前で、ギンジュはボソッと呟いた。


その両目には、次第に涙が溜まっていく。


前が見えないくらい滲んでいく。


「せめて俺が来るまで待てなかったのかよ!」


真夜中に響く叫び声。


だが、そんなギンジュの悲鳴に、応えてくれる者はいなかった。

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