04

ギンジュは、また遠回しな言い方をした神崎に苛立ちながら目の前のピルケースを手に取った。


どこにでもあるプラスチック製のものだが、そのできないことを可能にするものが、その中身だということは理解している。


苦い顔になったギンジュは、手に取ったピルケースを振りながら神崎に訊ねる。


「ヤバい薬でも入ってんのか? あんたAISの幹部なんだろ? いいのかよ、ドラッグなんか持ち歩いて」


「それはドラッグではあるが、よくある麻薬中毒者が使用するようなものじゃない。君はスマートドラッグというものを知っているか?」


スマートドラッグとは、人間の脳の機能や能力を高めたり、認知能力や記憶力を高めるとされる薬品や物質の総称だ。


基本的には医薬品のみを指すが、広くいえば栄養素やサプリメントや健康食品などを含めることもある。


神崎は、しかめっ面をしているギンジュを煽るように、また質問をした。


いい加減に訊ねられることにうんざりしていたギンジュだったが、それくらいは知っていると答える。


「そのくらいは知ってるっての。じゃあ、こいつの中身はスマートドラッグなのか? たしかに貧乏人の俺にとっては高級品だが、こんなんでコウギョクを助けられるのかよ?」


スマートドラッグには主に知識系と肉体系があり、値段が高い物ほど強力な効果が得られる。


日本が完全にAISによって管理されるようになった頃には、金さえ払えばスキルが手に入るスマートドラッグが市場に販売された。


この錠剤を飲むことで、人は簡単にスキルを手に入れられるようになった。


そんな手軽にどんなスキルでも手に入るようになった日本だったが、当然スマートドラッグを手に入れられない者もいる。


それは貧困層だ。


彼らは高価なスマートドラッグを買うことができないため、手に入れられるスキルがほとんどなかった。


そのため底辺から這い上がれずに、その者の子も、またその子も、永遠に貧しい運命が待っている。


ギンジュが口にしたように、せいぜい貧困層が買えるスマートドラッグは、眠気覚ましやストレスの緩和などのスナック感覚で購入できるものに限られていた。


「そいつはただのスマートドラッグじゃない。使用すれば、脳の能力を100%活用することができるようになるものだ」


神崎が言うには、ピルケースの中には開発中の薬が入っており、それは使用者の脳に眠っている力を最大限に引き出すものらしい。


飲んだ途端、今まで気にしてもいなかったものが鮮明に見え、多少の知識や経験からより深く物事を考えられるようになる。


それは身体能力も同じで、ただ鍛えるだけでは身につかない動きが摂取するだけでできるようになる。


説明を終えた神崎は、怪訝そうな顔をしているギンジュからピルケースを奪った。


ムッ顔をしかめたギンジュは、神崎に向って言う。


「よくわからねぇ……。あんたは俺に薬の実験体になれってのか? それでコウギョクが助かるのかよ?」


「最初に言っただろう。私には何もできない。コウギョク君を助けられるのは君だけだと」


「だからわからねぇんだよ! このスマドラでスーパーマンになってどうやって金を稼ぐんだ!?」


「それは自分で考えるんだな。あと、これも渡しておく」


神崎はピルケースと共に、ポケットから出したスマートフォンもテーブルへと置いた。


連絡用ということか。


それから神崎は立ち上がると、その場から去っていく。


ギンジュはそんな彼を止めようと、同じように席から立ち上がった。


だが、ギンジュが何か言う前に、神崎が先に口を開く。


「そのドラックの名前はアンビシャス。ギンジュ、君にきっかけは与えた。あとはやり方次第でコウギョク君を助けられる」


「ちょっと待てって! 神崎さん!」


「良い結果を待っているぞ」


背中を向けながら手を振り、神崎はレストランから出ていった。


追いかけようと思ったギンジュだったが、あの様子では何も答えてくれないと、再び席に座る。


目の前にある神崎が置いていったスマートフォンとピルケースを見る。


ともかく、このふたつを使って金を稼ぐ方法を考えなければならない。


もし金が手に入らなかったら弟が死ぬのだ。


失敗は許されない。


ギンジュが考え込んでいると、ふと周囲からの視線に気がついた。


先ほどから大声を出していたせいだろう。


他の席に座っている客からは、ヒソヒソと声が漏れ、訝しげな視線が飛んできていた。


今さらながら我に返ったギンジュは、その身を縮めると、神崎の置いていったスマートフォンとピルケースをポケットにしまう。


それから申し訳なさそうにコーヒーカップに手を伸ばし、口元へと運んだ。


「苦ッ!?」


あまりの苦さに思わず荒ぶった声が漏れた。


周囲の客たちの視線がさらに集まると、ついには店員がギンジュの席へと近づいてきた。


ギンジュの前に立った店員は、丁寧に頭を下げると、もう少し静かにしてもらえないかと頼んでくる。


「AISの関係者にこんなこと言いたくはないのですけど、他のお客様から苦情が出ていまして……。こちらとしても何もしないわけにはいかず……」


先ほど一緒にいた神崎の影響か、ギンジュのことをAISの関係者だと思った店員からは慇懃に注意を受けた。


何か勘違いさせてしまったと思ったギンジュは、コーヒーを一気に飲み干して席から立ち上がる。


「すみませんでした。もう出るんで、安心してください」


それから会計が済んでいることを聞き、ギンジュは身を縮めながら店を出ていった。

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