03

神崎の言葉を聞いたギンジュは、思わず素っ頓狂な声を出した。


この人は何を言っているんだと言わんばかりに、開いた口が塞がらなくなってしまっている。


固まっているギンジュに、神崎は話を続ける。


「コウギョク君のことは残念に思う。だが、会社の決まりでね。私が手を貸すことはできない」


「そ、そんな話は……医者から聞いてるよ」


いくらアカデミー合格者でも、高額な治療を受けるには別途で金銭がかかる。


社会保障が崩壊したAISに管理された日本では、金こそが力であり、なんでも可能にする通行証である。


しかし、施設出身であるギンジュには、そんな大金を手にすることも手に入れる手段もわからない。


とてもじゃないが、何のスキルもない日雇い労働者の彼では弟を助けることなどできない。


もしギンジュとコウギョクの家が、子を捨てることのない裕福な家庭だったら話は違っていた。


能力主義となったこの国では、生まれがすべてを左右するのだ。


持たざる者は自己責任。


成功できない人間は頑張っていないのと同じというのが、AISに管理された日本の価値観だ。


実際に努力して結果さえ出せばいい世界ではあるが、生まれたときから富を手にしている者と、貧困の中で育った者では成功する確率に差がひらいて当然だろう。


コウギョクのように能力がある者でも、病気で身体を壊せば社会からは見捨てられ、成り上がることなど夢のまた夢である。


「なあ、さっきあんたが言ったコウギョクを助けられるのは俺だけって、あれはどういう意味なんだ? ひょっとしてなにか方法があるのか?」


「そのままの意味さ。私は他人に干渉しない主義だが、コウギョク君のことは気に入っている。それと……すまないが、名前を知らなかった。君の名を教えてくれ」


「ギンジュだよ。前に言わなかったか?」


不機嫌そうに答えたギンジュを見て、神崎は肩を揺らしてコーヒーに手を伸ばした。


砂糖もミルクも入れていないブラックコーヒーを口にすると、彼はその口角を上げる。


その顔を見てギンジュがさらに苛立っていると、神崎はコーヒーカップをテーブルへと置いた。


そして、その身をギンジュのほうへ乗り出してくる。


「ギンジュ、君はこれまでに何かひとつのことに打ち込んだことはあるか?」


「なんだよそれ? さっきから意味がわかんねぇ。コウギョクの話となんか関係あるのか?」


「いいから答えてくれ」


じっと見つめてくる神崎の迫力に負け、ギンジュはそんなものはないと答えた。


仕事は毎日必死になって頑張っているが、打ち込んでいるかというとまた違うと。


ギンジュの答えを聞いた神崎は、身を乗り出したまま微笑むと、再び彼に訊ねた。


今の暮らしを変えようと努力したことはあるのか?


本を読んだり、何か特別なスキルを手に入れようとしたことは? と、次々に質問をした。


当然ギンジュは、そんなことをしたことはない。


これまで生きてきて一度もない。


解体作業だってただ自分にできる仕事というだけでやっているだけで、本当はもっと楽に稼げる仕事がしたい。


そう答えたギンジュは、どこにそんな方法があるのだと声を荒げた。


スキルを手に入れたくても毎日の仕事に追われ、そんな時間など作れない。


少しできた時間で本を読んでも内容が理解できないため、そこでまた時間が取られる。


コウギョクのような地頭が良くない自分では、何をどうやっても現状など変えられない。


ギンジュは、突然訪れた弟の不幸に対するやり場のない怒りを込めて、神崎を責めるように言う。


「あんたみたいな金持ちにはわからねぇ! 俺たちみたいな底辺は、病気ひとつで人生が終わるんだ! さっきから関係ねぇことばっか訊いてきやがって……。何もしてくんないならもういいよ!」


「待て。最後にひとつだけ訊かせてほしい」


神崎を無視して席から立ち上がったギンジュ。


彼はこのまま何も答えずに立ち去ろうとした。


だが、神崎が続けた言葉で足を止めてしまう。


「君は弟が助かるなら、すべてを犠牲できるか?」


神崎が最初に助けられるのは君だけと口にしてから、ようやくそれに近い言葉を吐いた。


ギンジュは振り返って再び席に着くと、神崎のことを睨みつけた。


刺青のように消えないくまのある目を細めて、散々もったいぶりやがってと眼光をさらに鋭くする。


そして、口元を緩ませている男に向って言い返した。


「当たり前だ。その方法を知ってんならさっさと聞かせてくれ」


「目が変わったな。いいだろう、ただしこれから話すことは魔法でもなんでもない。さっき言ったように、君のすべてを――」


「いいから早く話せよ。コウギョクが助かるんなら、危ない橋くらい何回だって渡ってやる」


ギンジュは力強くそう言い切ると、テーブルにあったフォークを手に取り、目の前にあったサーロインステーキに突き刺した。


大口を開けて、切り分けずにそのまま食らう。


覚悟を決めた――。


いや、弟が助かるためならばなんでもすると最初から決まっていた男を見て、神崎はジャケットの内ポケットに手を伸ばした。


携帯用のピルケースだろうそれに視線を移したギンジュが顔を上げると、神崎は言う。


「これがあれば、できないことはほぼないだろう」

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