<わたしは“みき”>

 初潮が来た日の一週間後、「未来」は桜庭小学校の卒業式を迎えていた。

 もちろん、生理はとっくに終わり、体調は万全だ。


 この日の「未来」は、そのまま中学校の入学式に出席しても違和感なさそうな、紺色のブレザースーツを着ていた。同色のボックスプリーツのスカートと、足元の焦げ茶色のローファーもそれっぽい。

 ただ、ブレザーの下に着たブラウスは、つるりとしたポリエステル製でフリルなどの飾りが多いし、胸元を飾るスカーフのデザインなども考え合わせると、むしろ「小さなスチュワーデスさん」と言うべきかもしれないが。


 神妙な顔で席に座り、卒業式の進行を見守る「未来」。

 そしてついに、卒業式のキモとも言うべき「卒業証書授与」の時が来た。


 「6年A組・出席番号6番──霧島未来さん」

 「ハイッ!」


 その名前が呼ばれた時、“彼女”は半ば反射的に返事をしていた。


 「霧島未来」として過ごすようになってはや3ヵ月あまり。

 一度は「桝田聖孝としての自分」を保つため、「霧島未来という立場」に流されないよう決意したはずの“彼女”だが、直後の初潮騒動で、すっかり出鼻をくじかれたようで、もはや「未来」でいることに何ら疑問を抱かぬようになりつつあった。


 スカートの裾を乱さぬように静々と壇上に上がると、礼儀正しく頭を下げて、校長先生から卒業証書を受け取り、客席に向かっても一礼してから、壇を下りて席に戻る。


 それでも、席に座り、改めて証書に記された「霧島未来」の文字を見ると、微妙な違和感、あるいは座りの悪さを感じずにはいられなかった。


 (とうとう、アタシが「未来」として卒業証書を受け取っちゃった──これで良かったのかな?)


 普通なら、一生に一度の晴れ舞台であるはずの小学校の卒業式。

 それを“彼”の方は一度も経験することなく──そして、“彼女”は二度経験したことになる。


 とは言え、現状では他にやり方がなかったことも事実だろう。

 いや、そう思うことで、「未来」は無意識に自分の行為を正当化していたのかもしれない。


 やがて、式典は佳境を迎え、卒業生一同が定番の「仰げば尊し」を歌う場面を迎えると、歌詞を口にする「未来」の胸にも、いつの間にか熱いものがこみ上げてくる。


 (やだ、嘘……なんで?)


 2学期の終わりと3学期だけしかこの学校に通っていないはずの「未来」。

 それなのに、秋の文化祭や運動会、夏の林間学校やプール開き、春の遠足と言った知るはずのない行事の「記憶」が、脳裏に浮かんで来るのだ。


 それどころか、未来が5年生でクラブ活動に選んだ家庭科部でのメンバーとの思い出や、1年生としてこの学校に入学した時のことさえ、今なら思い出せるような気がする。


 (嗚呼、アタシ、今日、この学校を卒業するんだ……)


 あるいは、それは場の雰囲気に流されやすい“彼女”の脳が即興で捏造した偽物の“過去”なのかもしれない。

 それでも、今、“彼女”の両目から流れる涙の熱さと胸を満たす感慨だけは、まぎれもなく本物(しんじつ)だった。


 式のあと、クラスメイトの何人かに別れを告げた後、「未来」は校門前で待ってくれていた「兄」の元へと駆け寄る。


 「おにぃちゃーーん!」


 人目も気にせず、抱きつき、斗至の広い胸元に顔を埋める「未来」。

 “妹”の胸の内をおおよそ理解できたのか、斗至は優しくその頭を撫でてやるのだった。


 * * * 


 そして桜舞い散る四月。

 真新しい制服に身を包んで、新たな学校へと彼女は向かう。


 (ついにアタシも今日から中学生になるんだ──友達、たくさんできるといいな)


 外見は元より、その仕草も思考内容も、ごくありふれた(強いて言うなら、ややウブで結構可愛い)女子中学生そのものだ。


 立場が入れ替わって早4ヵ月。

 その間、「小六の女の子」としてはごく当り前の──けれど、本来の立場では一生知らないままだったであろう、あまりに印象的な出来事を沢山経験した結果、ミキにとって元の「男子専門学校生」と言う身分は、あまりに遠いものとなっていた。


 霧島家の両親から、例の彫像に関する連絡はまだない。

 もっとも、仮にすぐ彫像が手に入ったとしても、「聖孝」との約束で、少なくとも中学校の3年間は、このまま「霧島未来」として過ごさねばならないのだが。


 いや。

 3年後、その時を迎えたとして、果たして自分は元の桝田聖孝の立場に戻れるのだろうか?

 ──あるいは、戻りたいと思うだろうか?


 「あ、かすりちゃんだ。ヤッホー!!」


 ゾクリと背筋を震わせる恐ろしい、けれど甘美な妄想を振り払い、ミキは、同じく涼女の制服をまとった小学校時代の顔見知りの元へと駆けていくのだった。


 遠くない未来、その「妄想」が現実のもとのなるとも知らず。

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