三の八 六道、魔女(アジナ)と再会する

 六道がアレイアの家の手前まで戻った時には、既に白く柔らかな西陽が森の木々を照らしていた。


 嫌な予感はあった。

 千年髑髏は、斬った相手の生命力を糧とする。そこへエスキロスが姿を消す前に言った、身内、という言葉が重なった。

 目隠しのジャルクは確かにいい腕だ。しかし、エスキロスの近くにはもっと優れた力の持ち主がいるではないか。


 そこに気付いた六道は、陽の氣を滾らせて翔ぶように駆けだした。効果が切れればまた滾らせる。そうして何度目かに効果が切れたのが、家まで目と鼻の先という場所だった。

 額の汗を腕で拭い、呼吸を整え、六道は早足で歩く。浅手ではあるものの千年髑髏に斬られ、さらにここまで休むことなく滾らせ続けたのだ。陽の氣の消耗は、決して少なくなかった。


 ようやくアレイアの家までたどり着くと、六道は近くの窓まで寄った。室内の灯りを点すにはまだ早いため、今家にいるのか、いるならどの部屋か、外からでは判らない。窓際から人の気配を探れないかと考えたのだ。


 壁に手を突き耳をそばだて、慎重に家の周囲を回っていく。やがて、裏庭に面した一箇所から、人の気配を感じた。

「姐さん! 俺だ! いたら返事してくれ!」

 六道が声を張り上げると、かすかに物音がした。


「その声、六道……? ふふ、今度は本物みたいね」

 中から聞こえてきた声は、弱々しいながらも、聞き覚えのあるアレイアのものだった。しかし、とはどういうことだろう。まさか偽物でも出た訳はなかろうが。小さな疑問が浮かびつつも、六道はそのまま会話を続けた。


「おう! 俺だ! 入ってもいいか!?」

「ええ。悪いけど、玄関にまわってくれる?」

 わかった、と返事をして六道は風のように玄関へ向かう。そこで待つことしばし、扉を開けて姿を見せたアレイアは、一目で判るほど憔悴していた。


 目にも体を支える脚にも力がなく、風が吹けば倒れてしまいそうに感じられる。会わなかった数日のうちに、彼女の身に何かがあったのだ。

 考え得るのは、一つ。

 「エスキロスと千年髑髏の野郎か。女にひでえ真似しやがる」

 六道の顔が険しくなる。名前を聞いたアレイアが六道を見上げ、目を丸くした。


「……驚いた。いつの間にそこまで調べたの?」

「俺とはまた別口で、連中を追ってる奴がいてな。だがそんなことはどうでもいい。俺が千年髑髏を仕留め損なったせいで、姐さんを大変な目に遭わせちまった。詫びても詫びきれるもんじゃねえ」


 六道は唇を引き結び、深く頭を下げた。斬りかかられた時、なぜエスキロスよりも先に千年髑髏をたおそうとして、“得物殺し”を放ったのか。

 今にして思えば、二人の殺意にあてられたとはいえ、己の業前ならば断ち割れるはずだという自惚れがなかったか。それがどうだ。その結果、アレイアをこうも苦しめてしまったではないか。


 自責の念に拳を握りしめる六道にかけられたのは、アレイアの逆に詫びる声だった。

「千年髑髏を仕留め損なった、っていうのは正直信じがたいけど。でも、遅かれ早かれあいつらは私のところに来たわ。それに、それを言ったら私の方こそ、貴方を死人花しびとばなの中毒にして手駒にしようとしたもの。あの時は、本当にごめんなさい」


「死人花の毒だろうと、俺の氣功術なら治せる。姐さんが謝ることなんかねえ」

 六道は首を振り、陽の氣を滾らせた。額や背中から、汗が噴き出てくる。既にかなりの氣を消耗している証なのだが、六道は疲労感を振り払うように腕で額を拭った。


「すまん。ちっと肩に触るぜ」

 断りを入れ、心配そうな顔をするアレイアの両肩を掴んだ。え? と上ずった声がして、何を思ったか頬を赤らめた彼女が目を閉じる。


 アレイアの陽の氣は弱々しく、掴んだ肩は冷えきっていた。六道は己の陽の氣を繋ぎ、それを彼女へと移していく。

「あ、すごく、温かくて気持ちいい……」

 目を閉じたまま、彼女は安堵の息を漏らした。それでも六道は、いたましげに顔を歪める。


「すまねえが、俺にゃあこれが精一杯だ。体力までは戻せねえし、魔法使いに一番大事な魔力に関しちゃどうにもならねえ」

 悔しいが、これが氣功術の限界である。陽の氣を移すことで、体調を整えることはできる。しかしそれだけだ。体力そのものを戻すにはゆっくり休むのが一番だし、魔力に至っては門外漢の六道には見当もつかない。


「そんな顔しないで。貴方のおかげで、ずっと楽になったわ。ありがとう」

 目を開けたアレイアは、優しく微笑むと長いスカートの衣嚢(いのう。ポケット)から手巾ハンカチを取り出した。まだ辛いだろうに、苦しいだろうに、それでも慈しむように六道の汗を拭う。


 ――なんで、こんないい女が苦しまなきゃならねえんだ。

 やり場のない怒りが心中に満ちた。六道の両手が、彼女の肩から落ちる。アレイアは両手で六道の右手を取り、痛くない程度に軽くつねった。六道が意図を図りかねて戸惑うと、彼女はわずかに唇を尖らせ、不満げな視線をよこしてくる。


「まったく。両肩なんて掴まれたから、勘違いしちゃったじゃないの。楽になったからこれで許してあげるけど」

「いや、それはこの状況で勘違いする方がおかし」

「何か言った?」

「いえ何も」

「よろしい。じゃ、入って」


 アレイアは六道ですら小刻みに首を振るほどの冷たい目と声音から一転して笑顔になり、先導して歩き出す。そのまま先日通された客間を通り過ぎた。六道が指摘すると、彼女はいいのいいの、と奥へ進んでいく。


 彼女が入った部屋は、向かいの窓から裏庭の端と死人花の畑を隔てる木立が見えた。そして窓際に寝台がある。先刻六道が声を掛けた時は、あの寝台に寝ていたのだろう。すぐ近くにあるのは衣装棚か。部屋の隅には、ランプを置くための台座も見える。


 六道が部屋の前で止まっているうちに、アレイアは窓際まで進んで寝台に腰掛けた。そこで六道が入ろうとしないのに気付き、どうしたの? と首をかしげる。

「いや、女の寝室で二人きりってのも、どうなのかと思ってよ」


 六道が頭を掻いて気まずそうに答えると、アレイアは小さく笑った。

「意外と律儀なのね。いいから気にしないで入ってちょうだい」

 そう言うなら、と六道は寝室に足を踏み入れる。さすがに隣に腰掛けるのはなかろうと、彼女と相対する方向に距離を取って胡座あぐらをかいた。そこでアレイアが口を開く。


「ずっと貴方に謝りたかったの。あんな物を飲ませてごめんなさいって。もし違う種族の女が嫌じゃないなら、殺す前に好きにしてくれて構わないわ」

 アレイアは六道をじっと見、胸の下でスカートを結わいている紐の結び目に指を掛けた。六道の顔が、苦虫を噛み潰したようになる。


「笑えねえ冗談言うな。弱ってる女に余計な負担かけられるかよ。っていや待て、殺すとかどっから出てきた!?」

「だって貴方、死人花の粉を売っている連中を殺しに来たのよね? 貴方が花畑を見つけたの、私知ってるもの」


 アレイアはきょとんとしている。あの時どこかで見ていたのか、と六道は思った。大きなため息をつき、両腕を組む。

「姐さんが根っから連中の一味なら、とっくに殺しに戻ってるさ。だが、とてもそうは思えなかった。あいつらに、つまりはエスキロスと千年髑髏に、弱み握られてて逃げらんねえんじゃねえか……ってな」


 アレイアがふう、と息を吐いた。深い憂いを帯びた顔に刻まれているのは諦めか。

「悪党の一味として殺してくれても、私は構わなかったわ。それと、弱みを握られた、というよりは作られた、が正しいかしら」

「作られた?」

 六道は腕を解き、アレイアを見た。ええ、と頷いた彼女の目から光が消えていく。

「見せてあげる。あの邪剣が、私に何をしたのか」


 アレイアは立ち上がり、胸元の紐をほどいてスカートを下ろした。筒型衣トゥニカと重なる部分を過ぎ、臍の下、つややかな褐色の肌があらわになる。そこには、幾筋もの紅い刀傷が刻み込まれていた。


 六道は息を呑み、言葉を失った。女の玉の肌に、なんという真似をするのか。

 そこでふと気付く。刻まれた傷は、「縛」という字に見えなくもなかった。

「この傷がある限り、私はあいつに逆らえない。居場所もわかってしまうから、逃げてもすぐに追いかけられる。なぜ逃げないのか、疑問に思わなかった?」


 虚ろなアレイアの声が、六道の耳に響く。心の内で、黒い炎が燃え上がった。

「あいつら、絶対にぶっ殺してやる。これ以上、一日だって生かしとく理由なんかあるか」

「無理よ。あいつは、斬った相手の魔力や生命力をただ食事にしてるだけじゃない。吸い取った分だけ力を増していくの」


 アレイアはスカートを上げると紐で結び、再び寝台に腰掛けた。深く深くため息をつく。

「だからね、貴方が仕留め損なったというのは、もしかすると私のせいかもしれないの。出遭って数年、その間に数え切れないほど吸われたわ」

 耐えきれなくなったか、彼女は両手で顔を覆った。呼吸が速くなり、声が震える。


「あいつが私の魔力を吸って強くなるたび、エスキロスたちが非道を尽くすたび、死のうと考えた。でも、死ねなかった。自分で命を絶つのは怖くて、だけどそれ以上に、覚えてしまったに勝てなかったの。魔法で毒は消せても、染みついた快楽は消えてくれなかった。死人あの花のせいで、大勢の人が苦しみ、死んでいるというのに、私は」


 告白は、途中から悲痛な叫びになっていた。姐さん、と六道が声をかけると、アレイアはのろのろと顔から手を離す。六道を見る目は後悔に濡れ、寄る辺を失った者のように助けを求めていた。

「お願い。殺して。そうすれば、ほんの少しでも償いになるから」


 六道は哀しげに首を振った。ただ罪を償いたいというのなら、大きな町の役所に訴えて法によって裁かれるというやり方もある。しかしその場合、千年髑髏がどこからともなく現れて口を封じるだろう。それではただ彼女の命が失われるだけで、問題の解決にも償いにもなりはしないのだ。

 アレイアもそれを理解しているから、こうして六道に頼んでいる。気持ちは痛いほどに伝わってきた。だからこそ、決して認めることはできない。


「それは違うぜ、姐さん。償いってのは死ぬことじゃねえ。千年髑髏を叩き折って、死人花の毒に苦しむ人たちを治してまわることだ」

「だからそんなこと無理だって言って、っ」

 六道は素早く膝立ちになり、人差し指をアレイアの口に当てた。いきなりのことに彼女が目を白黒させるとおもむろに立ち上がり、そっと抱きしめる。


「俺が絶対にやってみせる。だから、もう自棄やけにならねえでくれ。な?」

 労りを込め、優しく諭すように言う。アレイアは無言で頷くと、強く強く抱きしめ返してきた。

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翠利剣侠行 六道無法剣(スーリけんきょうこう りくどうむほうけん) 吾妻藤四郎 @azumaatuteru

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