三の五 六道、標的と見(まみ)える
薄曇りの昼下がり。六道は雑貨屋の軒先にある腰掛けに座り、買ったばかりの薄いパンを口に入れた。続けて革袋から薄くのばした葡萄酒を入れ、柔らかくして喉に流す。
森を抜けた先の集落は思っていたよりも大きく、また街道沿いであったことから、旅人の姿も多く見られた。そこに一日二日と滞在する間、六道は堂々とエスキロスについて尋ね回っている。ほとんどの相手は曖昧に言葉を濁していたが、中には露骨に迷惑がる者もいた。
――無関係の住民からすれば、関わりたくない公然の秘密、ってところか。
とはいえ。明らかに堅気ではない強面がエスキロスのことを嗅ぎ回れば、この集落にもいるであろう
ひょう、と風が吹く。乾いた音がして、頭上まで伸びている木の枝から枯葉が落ちてきた。
それにしても思い返されるのは、アレイアのことだった。蘇巡(そ・じゅん)の話もあり、彼女がエスキロスとつながっているのは間違いない。しかし六道には、悪事の片棒を担ぐような女にはどうしても思えなかった。
食事は終えたが、立ち上がる気にはなれないまま物思いに
どこにでも転がっているような、珍しくもない話だ。だからといって、慣れることなどありはしない。
六道は目を開け、顔を上げてゆっくりと右を向いた。足音と気配が二人分、こちらに近づいてくる。雑貨屋に用があるのか、それとも。
やがて気配は、目の前の樹を左へ過ぎてから人間の姿を見せた。
向かって左にいる男は、赤みがかった茶色の髪を目にかかるほど垂らしていた。頬の張りからすればまだ若いようで、一目で腕が立つと判る。目が隠れているのは、視線から情報を与えないためか。
続けて右の男へと視線を移し、六道の顔が
四十代半ばから後半くらいだろうか。背はそれほど高くない。痩せ型で、たくましくも見えなかった。茶色の髪を後ろへ流し、口元から顎にかけての髭を綺麗に整えた色男というのがふさわしいだろう。人当たりの良い笑顔を浮かべてはいるが、腕前に見るべきものはなさそうだ。
にもかかわらず、六道が顔を強張らせたのは。男が、生きとし生けるものが生来持っている陰陽の氣とはまた別の、どす黒く濁った気をまとっていたからだった。長年悪党と戦い続けるうちに磨かれた勘が、「真っ当な人間が関わってはいけない者」だと知らせていた。
「六道という人が僕に会いたがっている、と聞いたんだが。人相からして君かな?」
「ああ。あんたがエスキロスさんかい?」
六道は内心の殺意を押し殺し、笑顔を作った。できるなら、今この場で斬り捨ててやりたい。しかし立ち合いの申し込みも同意もなく斬ってしまえば、スーリといえど役人に追われることになる。アレイアとの関係がまだ不明な今、それを選ぶことはできなかった。
「貴様! 座ったまま答えるな! 何様のつもりだ!」
「よせジャルク、僕は気にしない」
六道に怒気を向けた目隠れの青年ジャルクを、エスキロスが鷹揚になだめた。ちんぴらやごろつきがよくやる小芝居である。六道はかすかに笑って「こいつは失礼」と立ち上がった。
「話ってのは他でもねえ。
六道は懐から小袋を出すと、黒光りする石を取り出した。高額で取引される、セレス地方産の
「もちろんこの一つで終わりじゃねえ。回してくれんならまだ出せるぜ」
エスキロスとジャルクは顔を見合わせた。エスキロスが首をかしげ、曖昧な笑顔で六道に答える。
「すまないが、君の言っていることがわからないんだが。誰かと間違えていないか?」
「間違えちゃいねえさ。あんたが元締だってことは知ってるんだ」
エスキロスが、やれやれと言いたげにため息をついた。
「とぼけるのは無理そうだな。その話、誰に聞いたんだい?」
「誰だっていいじゃねえか。で、どうなんだよ。回してくれるのかくれねえのか」
六道はことさら欲深い小悪党を演じ、話を先へ進めようとした。欲深い人間というものは、得てして相手もそうだと思うものだ。
「ま、いいだろう。代価は宝石か? あるだけ持ってついてきなさい」
六道は大袈裟に感謝し、宿へ荷物を取りに戻った。懐に入ることはできたが、まだ安心はできない。怪しまれることなくアレイアについて訊くのは、慎重を要するだろう。万が一にも彼女の迷惑にならぬよう、知り合いというのは伏せておきたかった。
六道が宿を出て雑貨屋に戻ると、二人は無言で背を向け歩き出した。
街道は、なだらかな起伏のある丘を波打つように伸びている。昼頃とあって、通る旅人もそれなりに目立つ。
先を行く二人は、進み始めて早々に、街道をそれて森へとつながる細い道に入った。数歩下がって歩く六道の後ろから、数名の集団がつかず離れずの距離を保って
六道は足を速め、先頭を行くジャルクに並んだ。背丈は頭半分以上六道の方が高いが、前を向いたまま小声で伝える。
「後ろに何人か、妙なのがいるな。心当たりはありそうか?」
「ああ。貴様と同じ、招かれざる客だ」
木で鼻をくくった返答に鼻白みながらも、六道は並んだまま歩を進めた。
「いやいや。僕を追いかけ回してあっちへこっちへ、ご苦労なことだねえ」
正面に回った熊のような髭面の男に、エスキロスがのんびりと語りかけた。熊髭が歯をむき出して笑う。
「なあに。てめえが持ってるって噂の霊剣は、一際すげえ代物だって話だからな。それが手に入ると思えば、苦労のうちにも入らねえさ」
おや、と六道は内心で首をかしげた。
霊剣とは、大地の精霊ドゥエルガルによって祝福を授けられた剣を指す。抜けば氣功術や魔法のように持ち主の身体能力を増強し、ただ身に帯びているだけでも魔法に対する抵抗力や
――エスキロスが持ってるのは、霊剣なんかじゃねえんだがな。ま、知らなきゃそんな噂にもなるか。
とりあえず軽く追い払って……と六道が考えたところで、エスキロスがジャルクに声をかけた。
「皆に伝えて。嗅ぎ回ってた連中は始末したってさ」
「わかりました。ではお先に」
ジャルクは頭を下げ、この場を去ろうとする。六道は驚いて引き止めた。
「おい待てよ。いいのか、親分を一人で残してよ。お前護衛だろ?」
六道の言葉を聞いたジャルクは、見下したように鼻で嗤った。
「
言うやいなや人の背より高く跳躍し、後ろにいた一人の頭を足場にして大きく跳ぶと、人並み外れた速さで小径を戻っていく。氣功術を使った様子もないのにあの身のこなしとは、と六道も舌を巻いた。
男たちもあっけにとられた様子だったが、いち早く立ち直った熊髭が高笑いをして片手剣を抜いた。他の男たちも次々とそれに倣う。さて何人相手にしようか、と六道が考えたとき、かたかたと乾いた音が鳴った。
音のする方を見れば、なんと、エスキロスの腰に提げられた“
それだけではない。剣が、この世の全てを呪うかのようなしわがれ声で喋ったではないか。
「モウ良カロウ、えすきろすヨ。取ルニ足ラヌ小物ドモデハアルガ、私ニ捧ゲルノダ。サア始メヨ、殺戮ノ宴ヲ」
六道は初めて理解した。エスキロスに会った時に感じた「どす黒く濁った気」は、当人ではなく、この千年髑髏からだったのだと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます