三の四 粛殺(しゅくさつ)の氣

 アレイアの家を離れた六道は、再び森の中の道を進み始めた。

 道は緩やかな上り坂になっており、しばらく先で途切れている。そこから下り坂になるのだろう。


 ――あの向こうに、集落があってくれりゃあいいんだがな。正直、酒の一杯でも欲しい気分だ。

 先刻見た死人花の群れが、目に焼き付いて離れなかった。

 あの花畑を世話しているのは、やはり彼女なのだろうか。しかし、どす黒い悪党の臭いはしなかった。きっと何か事情があるのではないか。二つの思いが、澱のように心に沈んでいる。


 六道は顔をしかめながら歩き続けていたが、途中で足を止めた。

 敵意だ。それも相当に腕の立つ相手の。

 曲刀に手を掛け、ずだ袋を下ろして右手の森を向く。そのとき、曲刀がちいんと仏壇の鈴(りん)に似た音を立てた。

 ――何だ!? 一年で二度も音が鳴るか!?


 天地に満ちる陰陽の氣のうち、陽の氣が特に強くなるのが夏という季節である。それが少しずつ弱まり、陰の氣、その中でも万物を枯死させる「粛殺しゅくさつの氣」が強まると秋を迎える。その際に、剣や刀が氣に反応して音を発するのである。

 六道は、今年既に刀の音を聞いていた。


「追い剥ぎだか何だか知らねえが、さっさと出てこい。いるのは判ってるぞ」

 嫌な予感が、己の中で警鐘を鳴らし続けている。顔に出さぬよう抑え、六道は森の中へ呼びかけた。


 がさりと音がして、木の陰から男が姿を見せた。

 十代ではなかろうが、それでもまだ若い男だった。黄みがかった肌に黒い髪と瞳。彫りの浅い顔。六道と同じ東国人タムガジュである。もっともその顔立ちは、強面の六道と違い役者のように整っていたが。


 男は、浅緑色をした、筒袖で前合わせの上着を着ていた。丈は膝下まであり、下に白いズボンを穿いている。

 おおまかな形こそ似ているが、見る限り、スーリ近辺やセレスではなく東方の超大国タブガチの様式だった。それも、どちらかと言えば地位のある人間のものである。上着がくたびれておらず、また前身頃のふちに刺繍が施されていることから、なかなかに高い身分であると察せられた。


 そこまで見て、六道は訝しんだ。腰帯に剣を提げるための金具を付けるのではなく、上下二本締めた下側の帯に片手剣を提げていた。また、長靴ではなく革の靴を履いている。さらに、上着は完全に両脚を包んでおり、脚の脇からズボンが見えていない。

 ――何だありゃ。まるで何百年も前の時代の格好じゃねえか。


 六道の思考は、強まった敵意で中断された。同時に、曲刀が再び音を立てる。

 ――訳がわからねえ。俺を敵視してるようだってこと以外は、普通の人間にしか見えねえが……。

 嫌な予感はますます大きくなる。舌打ちをした六道の首筋と背中に、冷たい汗が流れた。


「地上種族風情が邪魔をしおって……。どうせ責任など取れまい、代わりに痛い目の一つでもあわせてやらねば気が済まん」

「おい。邪魔だの責任だの、いったい何の話だ。俺はお前なんぞ知らねえぞ」

 男は端正な顔を怒りに歪める。六道は尋ねたが、男はこれが答えだとばかりに片手剣を抜いた。


「貴様が破壊した鎮墓獣、あれは私が操っていたものだ!」

 男は叫び、六道に突きかかる。その速さと鋭さは、これまで相対してきた強者たちと比べても見劣りするものではない。六道はかわすも、一日に二度も魔法使いに出会った驚きと、魔法使いにこれほどの手練がいたのかという衝撃から反撃の手が出なかった。


「お前が!? だったら教えろ、どうしてあの姐さんを襲わせてたんだよ!」

 腰を落とし、半身に構えて六道は問う。男も素早く下がりつつ右脚を下げ、突きの構えを取った。


「もう一度同じように躱せたら、教えてやってもいいぞ」

 嘲笑を浮かべ、男はさらなる突きを放った。それに合わせて六道も全身を捻る。

 爪先、足首、膝、腰、背。そこから力は右肩、上腕、右肘へ。行き着く先である手刀が閃き、“得物殺し”が乾いた金属音とともに剣を断ち割った。


 男は呆然としてその場に立ち尽くす。わななく唇から、地上種族ごときが、という呟きが漏れた。

「おい、お前が自分で言ったんだぞ。早く理由を言えよ」

 六道の言葉が聞こえているのかいないのか。男は、もはや六道を見てさえいないようだった。


「半死半生で許してやる。私を舐めた罪、貴様の血であがなうがいい」

 男は深く息を吸った。無論、単なる準備運動などではない。

 ――あいつ、魔法使いで剣術遣いで、おまけに氣功術者だと!? ……駄目だ、

 六道の直感がけたたましく警鐘を鳴らす。迷わず深く息を吸い、陽の氣を滾らせた。


 みるみるうちに、男の体は黒曜石のような漆黒で光沢のあるものへと変わっていった。髪もなく、目は白目ばかりで瞳もなく、さながら黒光りする地蔵である。そこから放たれる威圧感は、先程までとは比べることすらおこがましく思えるほどだ。


 ――まさか飛天(ひてん)!? セレスの石窟寺院で見た壁画のまんまだなおい!

 六道は反射的に中段の構えを取り、唾を飲み込んだ。

 かつて、セレス地方北部、ウルグ・テングリ(大いなる天の意)山脈の山中において。師とともにたった二人で人喰いのドラゴンに挑んだ日を思い出す。歯を食いしばり、気圧けおされてたまるかと闘志を奮い立たせた。


 飛天。「天を飛ぶ者」の名前どおり、天上に住まう種族の一つである。国の歴史書や地域の言い伝えには、飛天が何らかの理由で地上種族と接触を持ったという話が稀に見られる。しかしまさか、自分が当事者になろうとは。


 飛天は袖の中に両手を入れ、勢いよく引き抜いた。両手の指の股に七つ、銀色に輝くうずらの卵のようなものが挟まっている。

 飛天が一喝すると、銀色の卵は宙に浮かび、大小七振の剣へと姿を変えた。

 六道の視界の隅で天から稲妻が走り、猛烈な雷鳴が轟く。気がつけば空は黒々とした雷雲に覆われ、森の中の道を進んできたはずが草の一本もない荒野に立っていた。


「死んで詫びろ! 生意気な地上種族め!」

 飛天が叫ぶや、七振の剣はあるいは炎、あるいは雷をまとい、光の尾を曳いて六道に襲い来る。それも一斉にではなく、ばらばらの方向からわずかな緩急を付けてという念の入れようだった。


 六道は瞬時にして、己の集中力を限界まで高めた。一切の音が消え、七振の剣が描く軌跡が明瞭に視える。亡き師匠の教えによる、日々の鍛練の賜物だった。

 六道の口から、龍の咆吼がほとばしる。極限の集中力と、この時代最高峰の氣功術による身体能力の強化と。その合わせ技によってのみ成立しうるが、七振を全て叩き落とした。


 六道は大きく息を吐いた。顔を上げ、飛天の様子を窺う。地蔵同然の無表情からは、内心を推測することができない。

 ――よくもまあ、我ながらやれたもんだぜ。もう一度続けて、ってのはまず無理だぞ。

 悟られぬよう、半ば以上虚勢を張って六道は飛天を睨みつけた。


 飛天が両腕を前に向けた。すると、七振の剣は卵に戻り袖の中へ吸い込まれていく。姿が黒曜石でできた地蔵から元の人間のように変わっていき、周囲の風景もまた森の中の道へと戻っていった。

 姿と風景が戻りきると、飛天は両脚を肩幅よりいくらか広げて立ち、両手を腰に当てた。六道を見て、重々しく頷く。


「よくぞ試練を乗り越えてみせた。さすがは私が見込んだ人間」

「いっぺんへそ噛んで死ねよてめえ。俺じゃなかったら間違いなく死んでたぞ」

 ――そうかい。そいつぁありがとよ。


 怒り心頭なのを我慢して薄く笑い、六道は刀を鞘に納めた。飛天の前まで歩み寄って尋ねる。

「で、結局、なんでお前はあの姐さんを鎮墓獣に襲わせてたんだよ」

「あの娘ではない。私が追っているのは、あの娘とつながりのある男だ」


 飛天は首を振って答えた。話せば長くなるのだが、と続ける。

「事の発端は、天界の武器庫から“千年髑髏(せんねんどくろ)”という邪剣の封印が解かれ、失われたことだ」

「失われた? 盗まれたってことか?」

「正確なことは判らん。が、大事なのは失われたという事実だ。天界の武具をつかさどる我ら天鎚(てんつい)星府せいふの者たちは行方を追い、ついに現在の持ち主を突き止めたのだ」


「それが、お前が追っているとかって奴か」

 ――そしておそらくは、アレイアの姐さんが言っていたあの男。

 六道の問いに、飛天はそうだと頷く。

「名はエスキロス。死人花とやらを栽培して売りさばく組織の元締でもある」


 六道は虎のように笑った。つまりは、その男を斬れば組織は瓦解する。そこまでいかずとも、大幅な弱体化はさせられるだろう。はからずも、両者の目的は一致したのだ。

「奴は今、数名の側近とともにこの近くにいる。だから手近な花畑を焼き、おびき寄せる算段だったのだが、あの娘に邪魔されたのだ。……そして貴様にな」


 ありゃあ、と声が出た。六道は決まり悪げに頬を掻く。そういう事情だと知っていれば、またやり方があったのだろうが。


 ふと、頬を掻く六道の手が止まった。今、手近な花畑を焼くと言ったか?

「おい、死人花の畑を焼くのはいいがよ。周りに延焼する心配はなかったのか? 近くに集落だってあるだろうに」

 延焼? 集落? と飛天は首をかしげた。


「ああ、そういえばあったな。しかし、仮に燃え広がったところで、また生めばよかろう。貴様らはぽこぽこ増えていくからな」

 何が面白いのか、飛天は愉快そうに笑う。考えるより先に、六道の拳が飛んでいた。飛天は鼻っ柱を殴られ、もんどり打って転がっていく。


「……やっぱてめえここで潰すわ」

「ほぉう? 潰す? 上等だ、粋がるなよ地上種族。尻の穴に手を突っ込んで奥歯ガタガタ言わせてやろう」

 六道が低い声で唸る。飛天もすぐさま立ち上がり拳を握った。


 しばらくの後。飛天は大の字に倒れ、六道もまた胡座で近くに座りこんでいた。

「おう。これに懲りたら、もう地上種族おれら見下すのやめとけな」

「なんたることだ……。元の姿に戻ってなお敗れたなど、他の者に顔向けができん……。というか貴様、本当に人間か? 殺伐をつかさどる天獄(てんごく)星の化身じゃないのか?」

 六道は優しく諭すように言ったが、飛天は両手で顔を覆ってさめざめと泣いている。六道は手元の小石を拾うと飛天の腹に投げつけた。


「何をする! 今は貴様らと同じ姿だから多少は痛いんだぞ!」

「本気出して負けたからって、いつまでも泣いてんじゃねえよ。で? どうすりゃいいんだ? そのエスキロスってのを斬って、千年髑髏とやらを取り返せばいいのか?」

 上体を起こし文句を言った飛天は、六道に問われぽかんと口を開けた。


「貴様……、責任を取るつもりはあったのだな?」

「男相手に責任取るとか言いたくねえけどよ。エスキロスは元々殺るつもりだったし、鎮墓獣については完全に俺のせいだしな」

 飛天はならばよし、と頷き立ち上がる。右手を顔の前に上げて剣訣けんけつ(片手の人差し指と中指を揃えて伸ばし、剣に見立てたいん)を結び、左腕を前に出した。虚空から一振の長剣が現れ、その手に収まる。六道の曲刀が、ひときわ大きなりんの音を立てた。


 一見したところ、装飾のない黒い鞘に収まった、タブガチ様式の長剣にしか見えない。しかし氣功術者である六道には解る。物品には宿らないはずの陰陽の氣が、あの剣には宿っている。それも、まるで幽霊のように、が。


 飛天は六道を見、胸を張った。

「これこそは玄冥太陰剣(げんめいたいいんけん)。万物を枯死させる『粛殺の氣』を、剣の形としたものよ」

「物騒なもん作りやがって……。刀が鳴った理由はそれで判ったがよ、そっちの方がよっぽど封印すべきじゃねえのか」


 六道は半眼で睨んだが、飛天は気にした様子もなく話を続ける。

「天界の邪剣である千年髑髏、地上の手段では折れまい砕けまい。そこで玄冥太陰剣だ。その剣で剣身を砕いたら、後は我々天鎚星府がやる」

「あ? 待てよ。お前は千年髑髏を回収しに来たんじゃねえのか?」


 六道がもっともな疑問をぶつけると、飛天は建前としてはな、と肩をすくめた。

「天界にもいろいろと星府――貴様にわかりやすく言えば役所の部署部門があってな。書類上で物品を管理している天倉(てんそう)星府は回収を望んでいるが、我ら現場の諸星府からすれば、どさくさで破壊してしまった方が後腐れがないのだ。ちなみに、財務管理を担当する天銭(てんせん)星府は黙認してくれる。あれの管理費も只ではないからな」


 はあ、と六道はため息をついた。どうやら、天界という場所もお気楽極楽とはほど遠いらしい。玄冥太陰剣を渡してきた飛天が、重ねて注意をする。

「鞘に収まっているうちはいいが、いざ抜いてしまえば貴様の陽の氣を奪い尽くし、骨すら塵となってしまうだろう。持ち主を斬り、千年髑髏を砕くまで抜くなよ? 絶対抜くなよ?」


 ためらわず六道は玄冥太陰剣を抜いた。輝かない漆黒の剣身が現れると、握った柄が真冬の氷海のように冷たくなる。全身に寒気と刺すような痛みが走り、体内の陽の氣が雲散霧消していく感覚に襲われた。

 六道は慌てず、深く息を吸って陽の氣を滾らせる。そして天地の氣と繋いだ。

 天地を巡る膨大な氣の奔流が、人間という小さな器の中で暴れ回る。六道は己が風の中に溶けていく感覚に身をまかせつつ、玄冥太陰剣に天地の陽の氣を注ぎ込んでいく。


 陽の氣の奔流の前に、玄冥太陰剣が屈するのが先か。それとも、六道という器が砕けるのが先か。一瞬にも永劫にも思えるせめぎ合いの果てに、意思など持たない純粋な力――氣の塊であるはずの玄冥太陰剣が悲鳴を上げた。少なくとも、六道にはそう感じられた。

 これで大丈夫だ、という確信とともに、天地の氣との繋がりを解く。やはり陽の氣を奪われる感覚はなくなっていた。六道は額の大汗を腕で拭い、ざまあみろの笑顔で飛天に親指を立ててみせる。


 飛天は目を丸くし、次いで俯いて、「ありえん……」と絞り出すように声を出した。

「天界の剣でもあり、粛殺の氣そのものでもある玄冥太陰剣が、たかだか地上種族を主と認めただと……? こんなことが報告できる訳なかろう……」

 六道は今にも頭を抱えそうな様子の飛天の肩を叩き、親しげな笑顔を見せた。


「格付けも済んだところでよ、そろそろ教えちゃくれねえか。お前さんの名前」

「私の名前、だと?」

「おう。飛天にも名前くらいあるだろ? これであばよじゃなし、名前の一つも訊かねえままってのはな」


 飛天は少しばかりたじろいだ様子を見せた。どうしたものか迷っているようだったが、仕方ないと呟いて口を開く。

「蘇巡(そ・じゅん)だ。二度は言わんからな」

「蘇巡な。覚えたぜ。俺は――」

 六道が名乗ろうとすると、蘇巡は手を広げて押しとどめた。


「言わんでいい。地上種族の名前など、いちいち覚えていられるか。……貴様が生きて千年髑髏を破壊したなら、その時は聞いてやる」

 六道の返答も待たず、蘇巡の姿は消えていった。後には、秋の風がただ吹き抜けていくばかりである。


 ――やっぱ、もう一発ぶん殴っとくべきだったな……。

 ずだ袋に玄冥太陰剣を入れ、六道は改めて集落を目指し歩き出した。

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