三の三 六道、魔女に一杯食わされる(後)

 丸太を組んで建てられた家には、今目の前にいるアレイアという女が一人で住んでいるということだった。

 中はいくつかの部屋に区切られており、六道は客間と思われる広い部屋に通された。部屋には青を基調とした絨毯が敷かれ、中央に長方形の卓がある。椅子は短辺に一脚ずつ、長辺に二脚ずつ備えられていた。


「今、お茶を淹れてくるから。好きなところに座ってて」

 そう言い残すと、アレイアはさっさと出て行った。六道は小さく息を吐き、出入口に最も近い長辺の椅子に腰を下ろす。ずだ袋は卓の下に置いた。


 ふと目を上げると、窓際の花瓶に一輪、可憐な青紫色の花が生けられていた。絨毯といい、彼女は青色を好むのだろうか、などと考えてしまう。

 隣の部屋から途切れ途切れに歌声が聞こえてきた。歌詞は不明瞭で、少なくともスーリ語ではないようだったが、声色が楽しげなことだけは理解できる。


 ――まるで新婚夫婦だな。たちの悪い冗談だ。

 六道は喉の奥でわらった。美貌の若妻が上機嫌で茶の用意をしているともなれば、背後からたわむれたくもなるだろう。

 だが、六道にとってそれは、二度と戻らぬ遠い日の記憶だった。


 未だ消えない感傷を抱いて窓の外の木立を眺めているうち、背後に足音がした。座ったまま振り向くと、アレイアが盆に湯気の立つ器を載せて入ってくる。うなじのあたりでまとめた黒髪と、清潔感のある白い前掛けが対照的で美しかった。


「お待たせ。お茶が少し古いから、香り付けに花びらを浸した花茶にしたわ。お口に合えばいいんだけど」

 アレイアは笑顔で言い、短辺側から器の片方を六道の前に置いた。もう片方は向かい側に。盆を卓上に置き、前掛けを椅子の背もたれに掛けると、向かいの椅子に腰を下ろす。


「ありがとさん。じゃ、いただくぜ」

 六道は微笑み、器を手に取った。中を見れば、なるほど底に細長い花びららしきものが、茶葉に混ざっていくつも沈んでいる。文字通りの茶の色で花びらの色は隠れているが、どうやら淡い色ではあるようだ。


 匂いをかいでみる。甘い。器を離してもなお鼻の中に絡みつきそうな甘さがあった。その甘さは、六道の記憶にある甘ったるさにとてもよく似ている。

 ――これだけじゃ断言はできねえが……。どうも嫌な予感がしやがる。


 予感の正否を確かめるため、六道は茶を一気に飲んだ。

 はたして、普段飲む茶とは似ても似つかない、痺れるような苦味が喉を通り抜ける。それが過ぎると、足が雲を踏んでいるかのように浮つきだした。頭がぼおっとし始め、根拠のない幸福感に満たされていく。


 ――ああ、クロだ。真っ黒だ。この茶葉に見えるものも、花びらも……。

 六道は大袈裟な動作で深く息を吸い、陽の氣を滾らせた。毒を浄化し、感覚はすぐに元に戻る。平然としていてはアレイアに怪しまれるので、満足そうな顔を作ってゆっくりと吐いた。


「気に入ってもらえたようで嬉しいわ。ところで、一つ訊いてもいいかしら」

 屈託のない笑顔でアレイアが言う。六道は「おう、なんでも訊いてくれ」と笑った。

 それじゃあ、と彼女は続ける。そこで、笑顔が消えた。

「六道、って言ったわね。あなた、どうして鎮墓獣から私を助けてくれたの?」


 それはまったくもって予想外で、この上なく馬鹿馬鹿しい問いだった。六道は、演技も忘れて大笑いをした。

「どうしてもこうしてもあるかよ。誰かが獣に襲われていたら、助けたいって思うだろ? そして、俺にはその力がある。なら、何を迷うことがあるってんだ」


 六道には当たり前の答えでも、アレイアには想像の埒外のようだった。口を半開きにして目を丸くしている。そんな姿ですら、美しさを損なわない女だった。

「あきれた……。あなた、そんな生き方してたらそのうち死ぬわよ」

 呆然と首を振るアレイアに、六道はにやりと笑ってみせた。

「もう何度も、三途の川を渡りかけたさ。だが幸いというかあいにくというか、地獄の閻魔と鬼どもにゃ嫌われててな」


 からかわないでと怒るかと思ったが、彼女はむしろ苦しげな顔をした。視線を落とし、唇を結ぶ。肩の辺りがわずかにこわばっているのは、卓の下で手を握りしめているのだろう。

 ややあって、アレイアは意を決したように声を絞り出した。

「じゃあ、もし私が助けてって言ったら、助けてくれる……?」


「当ったりめえよ」

 一切の間を置かず、六道は応える。エジナで、セレスで、そしてこのスーリで。数え切れないほど他人の苦難に奔走した男のかおに、アレイアの顔が歪んだ。両手で顔を覆い、俯いて弱々しく首を振る。

「ばか……。なんで、そうばかなの……。ああ、もっと早く知ってたら、こんな真似はしなかったのに……」


 泣かせそうにするつもりはなかったんだがなあ、と独りごち、六道は困ったように頭を掻いた。とはいえこのままでは話が進まない。

「じゃあ、俺からも訊こうか。姐さん、この死人花しびとばな、どこで手に入れた」


 跳ねるように上がったアレイアの顔から、一瞬にして血の気が引いていった。音を立てて椅子から立ち上がる。

「なんでそれを……。あなた、まさか、どこかの密偵……!?」

 焦る声を鼻で笑い、冗談じゃねえや、と六道は顔をしかめた。低い声で吐き捨てる。

「すまじきものは宮仕え、ってな。俺はただ、死人花の葉やら粉やらを売りさばいてる連中を地獄に送ってやりてえだけよ」


 どうやら彼女は、六道の立場について勘違いをしたようだった。誤解とわかって安心したように息を吐いたものの、表情は晴れない。

「本当に密偵ではないのね? なら、悪いことは言わないわ。今すぐ手を引きなさい。そして全部忘れなさい。いくら腕が立ったところで、あの男には。いえ、あいつが持っている剣には勝てない」


 ぞわり、と六道の背が震え、髪が逆立った。立ち上がると虎のように笑い、アレイアへと一歩近づく。

「面白えこと言うなあ、姐さん。是非とも、そっちの話も一緒に聞きてえもんだ」

「無理よ。あなたは私にさえ勝てない。ましてやあいつになんて」

 アレイアが苦々しげに唇を結び、指を鳴らす。六道の左、部屋の奥に複数の気配が現れた。


 ――昔、話に聞いた、使い魔って奴か!? しかも、複数出せるってか。

 六道はとっさに壁際へ下がった。アレイアと気配、両方を視界に収められる位置を取る。

 そして、六道の動きは完全に止まった。


 気配の正体は、犬の集団だった。大型犬から小型犬まで、仔犬から成犬まで。狼のような姿をした犬もいれば、毛玉が組み合わさったような犬もいる。それらが一様に尻尾を振り、舌を垂らし、小刻みに息を吐きながら「待て」の姿勢で六道をじっと見ていた。


 再びアレイアの指が鳴る音がした。なまじ卓から離れたせいで、犬たちは甘えた声で吠えながら一直線に六道へと向かってくる。たちまちのうちに、六道は飛びかかられ押し倒された。

「おい! 待て馬鹿! そんなとこ引っ張んな! って顔舐めんなやめろ! うわ舌入れやがった! お前メスだろうな!?」


 六道は必死に犬布団から顔を出し、じゃれつく犬たちを脇へどけて立ち上がった。ふと前を見れば、唯一部屋の奥を動かなかった、大きな毛むくじゃらの犬と目が合う。「僕まで行っちゃうと悪いから、ここにいますね」と言いたげな寂しそうな顔に、六道は優しく微笑みかけた。

「馬鹿だなあ。遠慮なんかしてんじゃねえよ。ほら来い」


 毛むくじゃらの大型犬は目を輝かせ、尻尾を激しく振りながら六道の胸へと飛び込んでくる。それを受け止めようとして受け止めきれず、六道は背中から倒れた。

 三たびアレイアの指が鳴る音がする。犬の毛とにおいと温もりに包まれ、六道の意識は闇の中へ落ちていった。


 目が覚めたとき、六道は今自分がどこにいるのかさえ判らなかった。

 知らない天井、知らない卓に椅子。上半身を起こし、記憶をたぐろうとする。たっぷり時間が過ぎて、ようやく犬のところまで思い出した。周りを見てみるが、においも残っていなければ毛の一本も落ちてはいない。


 ――あれは幻覚の魔法だった、ってことか……。完全に引っかかっちまった。

 つまり、彼女がその気であれば、今頃己の命はなかったということになる。

 六道の口から、かすれた笑いが漏れる。それは次第に大きくなり、やがて部屋中に響いた。笑いが止まり、ふっと息を吐き出すや、憤怒の形相に変わって拳を床に叩きつける。


「魔女(アジナ)め……、真似してくれんじゃねえか……!」

 開け放たれた出入口から冷たい風が吹き込んで、六道は大きなくしゃみをした。


 血が上った頭を冷やし、家の中に誰もいないことを確認すると、六道は外へ出た。太陽の位置からすると、時間はそれほど過ぎていなかったようだ。

 周りを見ておく時間は充分にある。六道は左手を壁に付けるようにしながら、魔女の住み家を回っていった。


 家の裏手には、小さな庭があった。その一角が、数本の杭とその間に張られた縄で仕切られている。内側の土が掘り返されており、収穫を終えた家庭菜園のように見えた。

 菜園の隣には一回り以上小さな仕切りがあり、枯れた花の残骸に交じって、見覚えのある青紫色の花が何本も風に揺れていた。


 ――裏庭うらにわには二羽にわにわとりが……、いなかったな。

 六道は力強く頷き、次の角へ向かった。そこを曲がれば、元来た道が見えるはずだ。

 角を曲がろうとして、六道は足を止めた。何か見落としているような不安に襲われ、菜園と花畑の先、木立の向こうに目をこらす。


 ――よくよく見れば、奥に空間があるような……。行ってみるか。

 不安感に唇を引き結びながら、胸元まであるような草をかき分けつつ進んでいく。その先に、確かに開けた場所があった。

 ――こいつぁ……。大当たりだぜ。

 六道は思わず息を呑んだ。そこには、敷き詰めたかのように同じ花が植えられていた。

 骨のように白く細いたくさんの花びらと、光の加減で黒に見えるほど濃い緑色の葉を持った花。


 死人花が。

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