三の二 六道、魔女に一杯食わされる(中)

 鎮墓獣(ちんぼじゅう)は、一体で複数人の盗掘犯を相手取ることを前提に作られている。

 牛のような蹄で殴りつけ、獅子頭の牙で噛み砕き、頭や肩の突起で刺すもしくは切る。さらに、六道の目の前にいるような獣頭型であればドラゴンのように炎を吐き、人頭型であれば知恵と魔法を使う。

 どだい、一人で立ち向かえるような相手ではないのだ。……本来であれば。


 六道は薄く笑い、右肩に背負ったずだ袋を落とすと曲刀を抜き放った。

 セレス地方で徒党を組み、廃墟や遺跡に入ってお宝探しをしていた頃。ついつい貴人の墓所近くに足を踏み入れてしまい、主の墓を荒らしに来たと判断した鎮墓獣と戦ったことが何度かある。今さら威嚇された程度で引き下がっていては、あの頃の自分に笑われてしまうというものだ。


 鎮墓獣が頭を上げ、大きく息を吸った。逃げて! と奥から妙齢の女の声がする。六道は声を無視し、獣へと走って距離を詰めた。

 爆音とともに、鎮墓獣の口から炎の球が飛び出した。直径は人間の大人の上半身ほどだろうか。六道は瞬時に間合いを見切り、真っ向からそれを両断する。秋風に吹かれ、火球は溶けるように消えていった。


 先手を潰された鎮墓獣だが、魔法生物には動揺などない。ならば次の手とばかりに、咆吼を上げて猛然と突進してくる。頭の突起で突き刺す気か、と六道が意識を下に向けたところで、猪にも勝る巨体が大きく跳んだ。

 ――ああ、そいつも知ってる。

 六道は左脚を大きく踏み込み、膝をぐっと曲げて体を沈めつつ、弧を描く月のごとく刀を振るう。鎮墓獣の勢いも利用して、顔面下半分から腹まで深々と断ち割った。


 鎮墓獣は、着地することかなわずに地面を転がった。が、そのまま何事もなかったかのように立ち上がってくる。

「何!? ……さすがにこいつぁ、見たことも聞いたこともねえな」

 六道は舌打ちをすると、どうしたものかと唇の端を歪めた。


 魔法生物であれば、痛みを感じないのは解る。とはいえ、まがりなりにも生物と呼ばれるのなら、即死してもおかしくない深手のはずだ。あの個体を作った魔法使いというのは、いったいどれほどの力の持ち主なのだろうか。


 ――斬って駄目なら、叩いて潰すか?

 六道は刀を鞘に納めると、万が一にも家の住人を巻き込まないよう素早く来た方向へと動いた。一瞬意識を逸らしたことに隙を見たか、再び鎮墓獣が襲いかかる。

 矢継ぎ早に迫りくる蹄、牙、突起を、六道は両の手刀でことごとく捌いていた。氣功術に頼らずとも、六道の手刀は鉄格子を切断するほどだ。捌くたびに傷が増えるが、それでも鎮墓獣の動きは止まらなかった。


 六道は少しずつ下がりながら、深く息を吸って陽の氣を滾らせる。そのうち背中が大木にぶつかった。

 二足立ちで責め立てる鎮墓獣の蹄を捌き、前脚を掴む。噛み付きにくるところを、跳躍して膝でかち上げた。一度斬った下顎が崩壊し、牙が飛び散る。大きくのけぞった鎮墓獣は、反動を利用して頭の突起を突き刺そうとしたが、六道は両手を離し素早く躱した。標的を見失った突起は、そのまま大木に深々と刺さる。


 六道は虎のように笑い、幹に跳び蹴りをぶつけて隣の大木へと跳んだ。枝を足場とし、力を溜めるように小刻みな動きで、五丈(11.5m)から六丈(13.8m)はあろうかという高さを上っていく。

 最後に体を上下反転させ、両膝を曲げつつ最も上の枝に足裏から触れた。枝は折れることなく、上がる力を受け止めて弓なりに反っていく。


 反った枝が戻り、六道は凄まじい速度で地面へと放たれた。再び体の上下を反転させ、錐揉み回転も加えた蹴りは、流星の勢いとはやさで鎮墓獣の頭部を跡形もなく粉砕した。

「名付けて、破軍流星脚はぐんりゅうせいきゃく。……なんてな」

 もはや動かない鎮墓獣を見下ろした六道は、一度だけ胸を反らせると、おそらくまじない師であろう住人に怪我がないか確かめに向かった。


 住人は、最初に六道が見た位置から動いていなかった。近づくにつれ、姿がはっきりと見えてくる。

 筒型衣トゥニカ鳩尾みぞおちから足首までの長いスカートという、スーリ人女性の一般的な装いに、厚手の外套を羽織っている。肌は褐色で、背中まである長い髪は黒かった。スーリの南方、いずれかの地方の出身だろう。


「危なかったな。あんた、怪我はねえかい?」

 見た目も含め、己が無法者であるという自覚くらいはある。余計な警戒心を抱かせないよう、つとめて穏やかに六道は声をかけた。


「え、ええ……。あり、がとう」

 女は愛想笑いというにもつたない、乾いた小さな笑いを漏らした。明らかに腰が引け、六道を恐れているのが判る。

 よくよく女を見れば、三十路の大年増にはまだ届かないくらいだろうか。知性をうかがわせる切れ長の目をした、相当な美人だった。背はやや高めで、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでおり、人間の男であれば大抵は好むであろう体つきに見えた。


 しかしながら、六道の目を引いたのはそちらではない。人間よりもいくらか長く、先の尖った耳の方だった。

 この耳はエルフに特有のものであり、肌の色からして南方エルフで間違いあるまい。基本的に他種族と交渉を持ちたがらない北方エルフほどではないが、それでも旅の途中で見かけることは少ない。


「南方エルフに鎮墓獣か。珍しいにも程がある組み合わせだな」

 六道は顎に手を当てて呟いた。それを聞きとがめたか、女が半眼になって唇を尖らせる。

「鎮墓獣を一人で、しかも無傷で倒しちゃう人間に言われたくないんですけど。竜種りゅうしゅならまだしも。非常識にも程があるわよ」


 非常識と言われて怒るどころか、六道は思わず吹き出した。違えねえ、と意外に人懐こい笑顔を見せる。

 その顔はまた、女の警戒を解いたようでもあった。引けていた腰が戻り、顔にも微笑みが浮かぶ。

「ごめんなさいね、助けてもらったのに変なこと言っちゃって。お茶の一杯くらいご馳走するから入ってちょうだい」


「おや、いいのか? 知らない男を家に上げたりして。襲われたらどうすんだ?」

 冗談めかして六道は言ったが、女は意に介した様子もなく笑った。

「その時は、魔法でどこかへ飛んでいってもらうわ。誰もいない荒野や砂漠に行っちゃったら大変よ?」

 手を口に当ててくすくす笑う女の姿はなまめかしく、六道は実際にそういう奴がいたんだろうなあと遠い目をして考えた。


「荒野や砂漠ならまだ生き残る目もあるが、石壁の中や川底に飛ばされたら一発だもんなあ。おっかねえおっかねえ」

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