第三話 魔女(アジナ)
三の一 六道、魔女に一杯食わされる(前)
六道は深く息を吸い、陽の氣が全身を巡る速度を速めた。体中がかっと熱くなっていく。
そうやって陽の氣を滾らせ、絨毯の上に敷かれた毛布に
男の顔色は青白く、呼吸はか細い。陽の氣もだいぶ弱まっている。
死人花(ゴルィ・モルデ)と呼ばれる植物の葉を乾燥させてから刻んで固め、火を点けて煙を吸う。得られる恍惚感と引き換えの毒性による中毒症状なのは、既に判っていた。
六道は躊躇なく、自身の陽の氣を男に流し込む。たちまちのうちに毒が消えて顔は血色を取り戻し、呼吸もしっかりとしたものに変わっていく。後は一日二日、不摂生をせず安静にしていればいいだろう。
立ち上がり、何度も頭を下げる中年男に、「二度と手ぇ出すんじゃねえぞ」と釘を刺す。男が出て行ってから広い部屋を見渡せば、同じように寝かされた人間・コボルト・ゴブリンがまだ十人以上もいた。
――ヤクをばらまき、貧富を問わず金を巻き上げ、しまいにゃ血の一滴まで吸い上げる。最初の方の被害者は、もう何人もくたばっちまった。……外道ども、生かしちゃおかねえ。
血が出るほどに強く拳を握りしめ、六道は次の患者へと歩み寄った。
診療所を五軒はしごし、最後の患者を治療し終えると、六道は腕で額の汗を拭った。一人のために使う陽の氣は少ないが、五十人六十人といては消費する量も馬鹿にならなくなる。窓の外を見れば、陽はもう暮れかかっていた。
「いやいやお疲れ様でございました。どうぞお飲みください」
暖炉近くの壁にもたれて休息を取る六道の隣に、太った赤ら顔の医者がやって来た。盆を両手から片手に持ち替え、載っていた
一息に飲み干すと、葡萄の香りと予想外に強い酒の匂いが喉を刺激する。濃いめに割った葡萄酒だった。
「それにしても、ありがたいことでございます。先生がおられなければ、何十人もの犠牲者が出るところでした」
揉み手をし、下卑た薄笑いで医者は六道にすり寄ろうとする。狐野郎が、と六道は内心で唾を吐いた。
「薬はあるんだろう。全員に行き渡るだけの量はそりゃねえだろうが、何人かは助けられたんじゃねえのか」
六道が睨むと、圧に耐えられなかった医者は冷や汗をかいて目を背けた。弱々しく言い訳のように反論する。
「そうは仰いますが、体が元手の先生と違い、こちらは薬を仕入れるのも只ではありませんので……」
「そうだな。お高い薬を使ったところで、
医者は不満げに呻くが、堂々と反論できないところが六道の言の正しさを証明していた。
六道はふんと鼻を鳴らし、杯を床に置かれた盆に戻した。天井を見上げ、低い声で半ば一人言のように言う。
「ヤクを撒いてる連中のところにゃ、巻き上げた金がまだまだうなるほどあるはずだ。使われちまわねえうちに、そいつをそっくり頂く。旅暮らしに必要な分だけ貰ったら、残りは被害者と
隣の医者がよろしいので? とおそるおそる声を出したが、六道は振り向かなかった。
六道がまだスーリ九ヶ国の東、セレス三十六国を拠点としていた頃。やはり
「おい」
六道は、ここでやっと医者を振り向いた。
「大陸で広く栽培される
野生の獣めいた、ぎらぎらとした光に射すくめられ、医者は縮み上がりつつも指を折って数え始めた。
「そうですな……。聞いた話では、スーリ東部のパンジカートから南東部のチャガヤーナにかけて。それから南のバフディ盆地を越えて、ケヌリオ・バフディ国中部から南部。西へ行ってファルシス国北東部。そのあたりの山岳地帯に多く見られるそうです」
出てきた返答に、六道は目を閉じて、案外近かったな、と呟きつつ無精髭の目立ってきた顎を掻いた。
「あの、それを聞いて、何をなさるおつもりで……?」
「売りさばいて儲けるつもりなら、自然のままより畑を作って栽培するだろうさ。そいつを一つでも多く潰しに行く」
「先生お一人で!? いくらなんでも危険すぎるでしょう。お役人に任せるべきではありませんか?」
半ば悲鳴じみた医者の声に六道は目を開け、役人なんぞ当てになるか、と鼻で嗤った。
それに……、と続け、
「……他に、することもねえからよ」
腰の重い役人たちを尻目に、死人花の
途中の町や村でも治療を続けながら旅をしてきた六道は今、地元の村人が“魔女の森(ジャンガルィ・アジナ)”と呼ぶ森の中に拓かれた道を進んでいる。
魔女(アジナ)。元々は、単に女性の魔法使いを指す言葉でしかなかった。
それが時代とともに、森の中の一軒家に住み、大釜で草やキノコ、動物の内臓などを煮て薬を作る「まじない師」との混同が進み、彼らへの恐れもあって、今では「胡散臭い奴、怪しい奴」への蔑称となっていた。
黄色や茶色の落葉を踏み潰す乾いた音を道連れとしていた六道は、ふと足を止めた。それなりに葉の落ちた枝々の隙間に、立ち上る一筋の煙が見える。
――どう見ても火事の煙じゃねえな。素直に考えりゃ、まじない師の家の煙突なんだろうが、さて。
六道は足を速めた。この道を抜ければ、また別の集落が近くにあるという。その前に小休止させてもらえればありがたいのだが。
不意に、動物の怒声に似た音が聞こえた。煙の見える方角からだ。
――近いな。まじない師が年寄りかは判らねえが、身を守る手段がなかったらまずいぞ。
小さく舌打ちをして、六道は走り出す。やがて、左手に開けた土地とそこに立つ一軒家が見えた。
さらに近づくと、人が一人、丸太を組んだ壁に右手をつき、左手を道の方へ突き出しているのが判った。突き出した手の先にいたのは、人間よりも大きな四つ脚の獣。
いや、それは獣ではなかった。橙色をした硬質な肌に、豹のような斑点が見える。頭は獅子のよう、尾は狐のようで、蹄は牛のようだ。頭と背中に一本ずつ、両肩に二本ずつ、細身の剣のような鋭い突起を生やしている。
貴族や金持ちが、主の死後の安寧と副葬品を盗掘から守るため、地下墓に配置する魔法生物、鎮墓獣(ちんぼじゅう)だった。
――なんで鎮墓獣がこんなところに? 守る墓を失った“はぐれ”って奴か?
おい、と六道は声を出した。理由などどうでもいい。今は、この鎮墓獣に襲われかかっている人を助けるのが先だ。
気配は既に感じていたのだろう。鎮墓獣はゆっくりと振り向き、今度は六道に向かって威嚇の
――おとなしく消えれば見逃してやるぞ、ってか? 舐めたこと言ってんじゃねえよ。
六道は薄く笑うと、腰の曲刀に手を掛けた。
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