二の十一 六道、慕容突(ぼようとつ)と再戦す

 星明かりの他には灯りもない路地を、六道は陽の氣を滾らせ、足音を殺して滑るように駆けていく。後ろには、同じく陽の氣を滾らせたチャトが離れずに付いてきている。マンツィがいる離れへの道筋を彼女は知らないが、ドワーフは夜目が利く。撒こうとするのでもない限り、六道を見失う心配はない。



 昼間、ガンビスをマンツィの蔵まで案内した後。六道は作戦を打ち合わせるため、彼女が所属する徒党に会いに行った。ガンビスに伝言を頼むのではなく自らが出向くのが筋だろうと考えたからだが、彼女の同僚を見てみたいという気持ちも多分に混じっていた。


 旅籠の隣の食堂にいた面々は、人間――中年の男が二人にコボルトが一人。そしてゴブリンが一人。大きめの卓席で談笑していたが、ガンビスに気付くと、ゴブリンがどこまで呑みに行ってたんだよなどと軽口を叩いて笑った。他の三人と言われた当人も笑い、六道もまたかすかに笑った。どうやらこの五人、雰囲気からして相当に気心の知れた仲らしい。付き合いもそれだけ長いのだろう。


 笑いがおさまると、六道はジランタイが殺されたこととチャージュ本国まであだ討ちにやって来たことを話した。皆一様に驚き、ガンビスに視線を送る。彼女が重々しく頷き、チャトもこの兄さんと一緒だと言ったことで、席の空気は沈んだものとなった。


 そこから真っ先に立ち直ったのがゴブリンだった。腰掛けから立ち上がると六道の前まで来て、自身の両手で六道の右手を強く握りしめる。目には、大粒の涙が浮かんでいた。

「俺たちはよう、ガンビスの旦那さんも娘さんもよおく知ってる。身内みたいなもんさ。その身内が殺されて、娘さんと兄さんがかたきを討ってくれるってんなら、俺らが協力しない理由なんてあるもんか。できることがあったら、遠慮なく言ってくれ」


 ゴブリンたちは、地上種族の中で最も理屈より感情を優先する。その気性は、一度嫌えば不倶戴天の敵となり、一度親しくなれば莫逆ばくぎゃくの友となる、と言われるほどだ。もちろん大げさに言っている面はあるが、一面の真実でもある。


 六道はゴブリンの肩を抱き、三人を見た。じっと六道を見返す顔が、皆同じ気持ちだと言っている。六人で卓席を囲むと、六道は小声で描いた絵図を話した。

 六道とチャトが、離れに忍び込みマンツィらを始末する。同時に、ガンビスら徒党は蔵に忍び込んでジランタイの装身具を回収しておく。その後速やかに合流し身を潜め、明け方に城門が開き次第町を出る。簡単に言えばそういう筋書きだ。


「成功するかどうかは、あんたの魔法にかかってる。責任重大だが、頼む」

 合流場所などの打ち合わせを終え、六道が頭を下げると、ゴブリンは胸を叩き大声で応えた。

「任せといてくれ! 一世一代の大仕事だ、石にかじりついたってやってやるよ!」


 周りで食事をしている客が一斉にこちらを見る。ゴブリンは気にするそぶりもなく、ガンビスの方を向いた。

「もし倉庫に直接送るなら、一度家に飛んで間取りを把握しなきゃならん。入られたくないなら客間へは送れるが、その時は後で運び直してくれ」


 ガンビスが笑って手を振った。今さら盗まれて困る物もないし、仮にあっても仲間を疑いはしないから行ってきな、と続ける。ここで六道の頭に疑問が浮かんだ。

「なあ、お袋さんと一緒には行けねえのか? 二人なら何も気にする必要ねえだろ」

 冗談じゃない、とゴブリンは顔をしかめ、大きく手を振った。


「転移の魔法っていうのはな、自分か誰か一人を送るのが精一杯なんだ。それだって、ほいほい簡単にできるものじゃない」

「そういうもんか。楽じゃねえんだな」

 六道はため息をついた。してみると、ロイコーンがマンツィと慕容突を連れて転移を行ったのは、当人が凄いのか。それとも、地上種族の中で最も魔法の扱いに長けた北方エルフなら珍しくもないのだろうか。


「行ってくる。戻ったら、夜まで休むからな」

 仲間一同と六道に言うと、ゴブリンは短い杖を手にして円を描くように振るった。一瞬にして姿が消える。魔法使いだからって落ち着いた性格でもねえんだなあ、と六道は苦笑いをした。



 思い返しているうちに、目的の場所までたどり着いた。屋敷を囲む石壁のうち、路地の奥寄りにある一箇所である。歓楽街や住宅街ならまだしも、交易商が軒を連ねる一帯ともなると、昼間の喧噪が嘘のように静まっている。

 六道は陽の氣によって鋭くなった耳を澄ました。聞こえるのはせいぜいが犬の遠吠えで、少なくとも近づく足音はない。


「ここから入るぞ。跳べるか?」

 六道が振り向いて問うと、チャトは大丈夫、と短く答えた。彼女の歩幅を考慮して走る速度を抑えたとはいえ、息に乱れがないのはさすが体力自慢のドワーフである。

 六道は軽く膝を曲げて跳躍した。一丈半(345cm)はありそうな塀の上へ、ふわりと音もなく着地する。続けてチャトが深く膝を曲げ、大きく跳んだ。塀の上に手をかけ、腕力を加えて体を持ち上げる。


 広い敷地の中、二人から見て左手に二階建ての母屋が見える。正面やや左には、三階建ての蔵が三つ。そして右手に平屋の離れがあった。目指すのは離れだが、ここからではまだ距離がある。幸い庭には緑が豊富なので、万一の時に身を隠す場所に困ることはなさそうだ。


「見回りは……、いないみたいだね。離れの方にはいるかと思ってたけど」

 庭を見渡したチャトが、硬い声で呟く。六道は唇の端を歪めた。

「余裕だな、マンツィの野郎。ま、付け入る隙が大きくて助かるってもんだ」

 鼻で笑い、六道は静かに飛び降りた。チャトも続くが、芝を踏む小さな音が出た。


 敵地に踏み込んだことで気負いと緊張が増したか、チャトの呼吸が浅く速いものに変わった。陽の氣も、強くなったり弱くなったりと乱れがはっきり感じられる。これでは、実力を十全に発揮することは難しいだろう。

 六道はチャトに右腕を出させ、肘の内側の安楽穴を突いた。ほう、と息を吐くと、呼吸と氣の乱れが戻っていく。その代わり、今必要な闘争心もほとんどなくなっているだろう。あちらを立てればこちらが立たずとはよく言ったものだ。


 少し離れているようチャトに言うと、六道は離れに向き直り数歩進んだ。

「おじさん? まさか一人で行ったりしないよね?」

 チャトが不安そうに訊いてくる。一人で残るのが怖いのではなく、六道の身を案じてのことだと理解できた。


「自殺願望はねえから心配すんな。ちょいと慕容突の親爺に喧嘩売るだけさ」

 いたずら小僧のように笑ってチャトを安心させると、六道は離れの壁を貫くつもりで剣気を放った。戦意らしい戦意の乗っていない、ただ俺はここにいるぞと教えるためだけのもの。それでも届くはずだ。慕容突あのおとこになら。


 すぐに扉が開き、身をかがめるようにして一人が出てきた。部屋の灯りで浮き上がった黄土色の肌は、まさしくオーガのものだった。この期に及んで別人ということはないだろう。六道はチャトを近くの繁みまで下がらせ、また数歩進んで慕容突を待った。


 平均的なオーガの身の丈は、およそ一丈(230cm)ほど。それを明らかに上回る巨躯が、地を揺らす錯覚とともに迫りくる。六道のすぐ前まで来ると、慕容突はたのしげに笑った。

「待ちわびたぞ。昼間おぬしの姿を見たと聞いてから、どうにも血の滾りが抑えられぬでな。今夜必ず来ると思っていた」


「ずいぶんと嬉しそうじゃねえか」

 笑う慕容突とは逆に、六道は舌打ちをして忌々しげに吐き捨てた。

「てめえは向こうの二人よりはまともそうだから、一応訊く。娘の目の前で親父を失わせて、良心の呵責ってものはねえのか」


 慕容突はうっと喉を鳴らし、言葉に詰まった。唇を噛み、俯く。少なくとも、恥じる心くらいはあるようだ。

「儂は、ジランタイどのには首を縦に振って欲しかった。そうすれば、あんな真似はせずに済んだものを。娘御も……」

「死んで欲しくなかったんなら、マンツィを止めりゃよかったろうが」


 苛立ちを隠さずに六道が言うと、慕容突はのろのろと首を振った。

「マンツィどのには、ひとかたならぬ恩がある。仕官の叶わぬ儂が故郷くにの家族へ充分な仕送りをしてやれるのも、彼がいればこそなのだ」

 慕容突の声に、開き直りはない。むしろ、苦衷の響きすらあった。


 六道の眉が吊り上がった。口調にもはっきりと熱が混じってくる。

「そうかいそうかい。つまりてめえは、義理と人情秤にかけてマンツィぎりを取ったって訳だ。家族が大事なのは解るがよ、だったら何で、その気持ちの一部でも二人に向けてやれなかったんだ。え?」


 記憶の中で、そろそろ結婚も考えねば、とチャトに言っていたジランタイの姿が蘇る。六道は強く強く、血が出るほどに拳を握りしめた。

「親父さん、チャトの花嫁姿見たかったろうになあ……。嫁入り前の娘から父親を奪って金貰って、それで仕送りして満足か! 慕容突!」

「……金に綺麗も汚いもない。人の行いにはあってもな」

「俺も昔はそう考えてたさ。だがな、金に綺麗も汚えもあるんだよ! 人の命と引き換えにした金で、幸せになんぞなれやしねえんだ!」


 瞬間、六道の怒気が炸裂した。ガンビスを納得させた時よりも遙かに荒々しい気が、慕容突の喉笛を引き裂かんと襲いかかる。

 慕容突はとっさに顔を上げ、喉を押さえて後ずさった。


 彼は、怒気の中に何を見たのだろうか。巨大な体躯と凶暴さで知られるファジン虎の爪牙か。それとも、死喪哭泣をつかさどる東方の凶神・喪門神そうもんしんの振るう刃か。

「てめえにゃてめえの言い分があるだろう。俺にも俺の言い分がある。どっちが正しいってこともねえ。なら、こいつで白黒つけようや」


 六道はすらりと曲刀を抜いた。刀身が、僅かな明かりに照らされて冷たくきらめく。慕容突も腰の長剣を抜き放ち、両手持ちで上段に構えた。

 オーガにとっては片手両手使い分けできる長剣でも、人間から見れば大きさも重量も両手でしか扱えない大剣並みだ。使い手の膂力と併せ、下手に受ければ武器ごと身体を砕かれるに違いない。


 六道は中段に構え、殺意のない戦意だけの剣気を放った。これは万が一にもチャトが殺意にあてられらないようにとしたことだったが、慕容突はさすがにそこまで思い至らなかったようだ。この期に及んで舐められたと解釈したか、顔から後ろめたさが消えた。放つ剣気は怒気へ、そして殺気へと変わっていく。


 空気すら震わす慕容突の叫びと共に、夜風をつんざいて凄まじい斬撃が降ってきた。剣気によって対手あいての動きを鈍らせ、巻き込んだもの全てを破壊する颶風ぐふうの一撃。六道はそれを、半身に開いてかわす。

 標的を見失った颶風は、六道がいた場所の地面を砕き、えぐる。いや、その直前で慕容突は剣を止め、全身を捻りながら左手一本で横へ跳ね上げた。凄まじい膂力と体幹に支えられた二段構えの大技が、躱したと思ったところに襲いかかり六道を両断せんとする。だが六道は、その時既に、慕容突の脇を抜けつつ腹を深々と切り裂いていた。


 どうと大きな音を立て、慕容突の巨体が横転する。それでも地面に手を突いて立ち上がろうとするが、そのままずるずると崩れ落ちた。

 最後に震える唇が動き、何事かを言ったが、六道には解らなかった。それは、父親を殺す片棒を担いだチャトへの詫びだったろうか。それとも、故郷の家族に対してか。


 六道は片手で慕容突の亡骸を拝もうとして、あることに気がついた。弱々しくはあるが、呼吸も陽の氣もいまだ消えず残っている。星明かりの下でよく見れば、傷相応の出血こそあるものの、内臓が飛び出たりはしていない。


「おじさん。その人……、死んじゃったの?」

 寄ってきたチャトが、六道の長衣デールを掴んで辛そうに尋ねる。安楽穴の効果が消えていないとはいえ、仇の一人だろうに、それでも心を痛めることができるとは。

 やはり、この娘に手を汚させるのは間違いではないか。今頃になって、またぞろそんな考えが脳裏をよぎる。


 六道は己の手が返り血を浴びていないことを確認すると、そっとチャトの頭に乗せた。

「いや。時間の問題だが、まだ死んじゃいねえ。手加減はしてねえが……、この親爺の度外れた頑丈さなら、運があれば生き延びるかもな」

 手当してる時間はねえぞ、と六道が釘を刺すと、チャトは唇を結んで頷いた。


 慕容突から離れると、六道は離れに向かう足を止めた。片膝を付き、チャトに目線を合わせる。今これを訊く己を卑怯だと感じつつ、願いを込めて口を開いた。

「これで最後だ。チャト、お前は今でも、自分自身の手で親父さんのかたきを討たなけりゃ気が済まねえか」


 否定してほしかった。首を横に振ってほしかった。そうすれば手を汚させずに済むから。汚れ役は自分だけで充分だから。

 そんな生温い感傷を打ち砕くかのように、チャトは燃える瞳ではっきりと首を縦に振った。

「うん。怖くても、苦しくても、あたいがやらなきゃ駄目なんだ。あの場にいたあたいじゃなきゃ」


 六道は、全身から力が抜けるような錯覚に襲われた。

 見誤っていた。ドワーフの、チャトの責任感の強さを。安楽穴によって気負いがなくなったからこそ現れた、彼女の芯の強さを。

 ――だが、だからこそ、避けなきゃならねえことがある。


 復讐心であれ、責任感や使命感であれ、強すぎる感情は諸刃の剣だ。かたきを討ち果たすことによって生きる目的を失い、心に穴が空いて燃え殻のようになった者を六道は知っていた。

 ――万が一にも、チャトを同じ目に遭わせちゃならねえ。


 これが最善の方法なのかは判らない。かといって、悩んでいられるほど時間に余裕もない。六道は安楽穴を再び突いて解除すると、チャトの背後に回った。

「すまねえな。少しだけ触るぞ」

 うん、という声を聞いて、六道はチャトの長衣デールの上から左手を押し当てた。長衣デールが密着し、体の線がはっきりと見える。すかさず右手で背中の一点を突いた。


「あれ、何だろ……?」

 チャトが戸惑いの声を出す。

「なんだか、あたまが、ぼおっとして……」

 言葉は次第に尻すぼみになり、頭がやや前に傾く。すぐに元の位置に戻り振り向くが、たった今まで燃えていたはずの瞳は凍っていた。


「まだ二人残ってる。さっさと済ませないと、待ち合わせに遅れちゃうよ」

 抑揚のない、“黒い砂漠(ビヤーバーネ・サイヤーフ)”のように乾いた声で言うと、チャトは六道の返事も待たず歩き出した。


 六道が突いた経穴は串客(かんきゃく)穴といい、氣功術においては秘中の秘である。串客とは人形使いのことであり、この経穴を突かれた者は著しく感情を抑制され、ただ任務を遂行することにのみ邁進するのだ。


 ――元に戻ったら、恨まれるかもしれねえな。ま、それであいつの心が死ぬ可能性を潰せるなら、安いもんさ。

 かすかに自嘲し、六道もまた離れへと歩を進めていった。

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