二の十二 六道、白骨を葬る

 夜の街を駆けたときに滾らせていた陽の氣は、既に力を失っていた。

 六道は足音と気配を殺しつつ進む。先を行くチャトを追い越し、慕容突ぼようとつが出てきた扉の前に立った。幸いこちらは風上なので、慕容突の血の臭いが流れてくることはない。


 身をかがめてそっと扉を開けると、光がはっきりと漏れ出してきた。人の気配はしない。そのまま音を立てないよう慎重に開くと、台座に載ったランプが見えた。

 素早く中へと身を躍らせる。すぐにチャトが続き、慎重に扉を閉めた。手斧の斧頭を包んでいた布を外し、懐にしまう。


 廊下は真っ直ぐ伸び、突き当たりで左右に分かれている。その左手から光が漏れていた。摺り足で分かれ道の手前まで進み、六道が左の、夜目の利くチャトが右の廊下を覗く。すぐ先に部屋の入口があり、光はそこからのものだった。


 二人は顔を見合わせ、頷きあう。六道は素早く入口を越え、チャトと同時に中を覗ける位置に動いた。

 覗いてみると、広い部屋の奥でマンツィとロイコーンが談笑していた。敷かれた絨毯が高価そうなことから一瞬客間かと考えたが、隅に毛布が積まれていることからマンツィの寝室かもしれない。


 行けるか、と六道が目で問う。瞳の情熱を凍らせたチャトが静かに頷いた。

 六道はするすると入り込み、ロイコーンめがけて曲刀を振り上げた。

「マンツィ、覚悟!」

 チャトの叫びに二人が振り向く。驚愕する二人を、六道とチャトはそのまま斬った。が、あまりにも刃の通りが良すぎる。


 ――何だこいつは!? 手応えがなさすぎる!

 六道が不審がると同時に、切り口から勢いよく煙が吹き出して二人を包んだ。途端に体中の力が抜け、刀を落とし倒れ伏す。呼吸だけはできるものの、喋ることも指一本動かすこともできない。


「引っかかったな! ざまあみろ! 突さんの仇め!」

 六道の耳に、部屋に入ってくる二人分の足音と、怒りをあらわにしたロイコーンの声が聞こえた。

「我々が、先生を行かせたまま何もしていなかったと思ったか? 離れの周囲を、ロイコーンさんに魔法で見てもらっていたのだよ」

 冷たくもやはり怒りに満ちたマンツィの声もする。


「まさか突さんが負けるなんて、考えてもいなかったからな。判っていれば、一緒に行ったものを」

 ロイコーンは六道の隣まで来ると、爪先で六道の腹に蹴りを入れた。陽の氣に頼らずとも鍛え抜かれた筋肉を持つ六道だが、力を込められないまま何度も同じ場所を蹴られ、小さく呻いた。


「だからよ、お前らが入ってくる前に魔法で人型を作って、俺たちは隣の部屋にいたのさ」

「魔法……? だが、魔法で、他人に、危害は……」

 辛うじて言葉を絞り出した六道を、ロイコーンは鼻で嗤った。

「そうだな。だから、動けなくする魔法はもう解けた。そうやって喋ってるのが証拠だ」


 ロイコーンが言う通り、僅かになら体を動かせもするし喋れもする。ならばと気合いを入れて起き上がろうとしたところで、ロイコーンに頭を踏みつけられた。

「だが、それだけだったらすぐに動けちまう。体力や気力、魔力なんかをごっそり消耗させる魔法も一緒に仕込んでおかないと、縛って転がせないからな。神様も、この程度なら見逃してくれるようだ」


 そういうことか、と六道は思った。縛って転がすということは、二人は六道とチャトを殺さず、強盗殺人の凶悪犯としてお上に突き出すつもりなのだ。

 生かしておいて「自白」させれば、金一封くらい貰えるだろう。逆に、殺してしまってはそれもできない。それどころか、死体を始末するのにも金がかかる。まさか荒野や森の中に棄てていいという法もなかろう。


「先生の葬儀ならともかく、貴様らのために使う金など、私にはない」

 六道の考えが伝わったのか、マンツィが吐き捨てた。含み笑いとともにロイコーンが足をどける。いまだ動けないチャトの傍らに移動するとしゃがみ込んだ。

「マンツィさん。お上に突き出すのって、一人いればいいんじゃないですか?」


 言わんとするところをマンツィも察したようで、小さく喉で笑った。

「そうですね。娘の方は、娼館にでも売った方が金になりますね」

「でしょ? せっかくですし、先に味見の一つでもしときます? 脂肪でぶよぶよのドワーフ女でもよければですけど」


 ロイコーンが、下品に笑いながらチャトの上着の帯に触れる。マンツィは苦笑いをし、それから首を振った。

「亡き父であれば、父祖の地にいた頃にドワーフの女を抱いたりもしたのでしょうがね。私も興味はありますが、さすがに抵抗できない娘に乱暴する気はありませんよ」


 真面目だね、とロイコーンは鼻を鳴らした。

「だったら、俺が壊してやるよ。かたき討ちなんて考えたことを、せいぜい後悔するんだな」

 その声には、仲間をうしなった暗い怒りと憎しみがあった。食いしばった歯をむき出して、帯の結び目を解こうとする。六道の眉が吊り上がった。


「てめえ……! 薄汚え手で、そいつに触るな……!」

 どうにか体を起こそうとする六道を見て、ロイコーンは目を見開いた。怒りの顔があっけにとられ、侮蔑へと変わっていく。

「え? 何? お前ら、もしかしてできてんの? 人間とドワーフで? こりゃ傑作だ!」

 わざとらしく腹を抱えて笑うロイコーンに、六道は怒りを燃やし立ち上がった。

「そんなんじゃねえよ……! 下衆野郎には解らねえだろうがよ……!」


 ロイコーンから笑いが消える。立ち上がると、醒めた顔で肩をすくめた。再び六道の方へ寄り、拳を固めて殴りかかってきた。六道は殴られる瞬間に合わせて首を捻るも、体が泳いでたたらを踏む。


 右肩に何かが当たった。顔を上げると、目の前にマンツィがいた。その体躯は、六道と並んでもそう見劣りするものではない。

 拳が腹に突き刺さり、六道の体がくの字に曲がる。軟弱では交易商としてやっていけないが、それを考えてもよく鍛えられた拳だった。

 同じ拳で横っ面を殴り飛ばされ、六道は部屋の反対側まで転がっていった。

「先生は貴様に殺された。少しくらい痛めつけたところで、罰は当たらんだろう」


 それを聞いて、六道は血の混じった唾を吐いた。微かな笑みを漏らすと、再び立ち上がる。

「さんざあくどい真似しておいて、お仲間が死んだ時だけ被害者面かよ。笑わせんじゃねえや」

「この野郎、こっちが殺す気まではないからって、調子に乗りやがって! 手出ししない代わりに朝まで転がってろ!」

 ロイコーンが苛立たしげに舌打ちをし、腕を大きく横に振った。首から下を巨大な手に握られ、締め付けられるかのような感覚が六道を襲う。


 ――くそ、頭に血が上ってるようで、冷静さが残ってやがる。あいつはすぐにでも始末しなきゃならねえってのに……。

 ロイコーンを始末するどころか、見えない手に締め上げられて、自身の意識がゆっくりと遠くなっていく。まぶたが閉じる寸前、六道の脳裏に亡き師匠の声が蘇った。


(カイよ。いつか、魔法使いが逃げるのを追いかけることもあるだろう。魔力に乏しい儂らが、眠らされたり惑わされたりしそうになった時にだ。術を打ち破るのに必要なのは……気合と根性だ! 忘れるな!)


 ――ったく。つくづく今回は、とっつぁんに助けられてんな。

 六道は全身になけなしの力を込め、目を開いた。大きく、深く息を吸う。ただし陽の氣を滾らせるためではなく、腹の底から声を出すために。

「しゃらくせえんだよ! この白骨野郎が!」

 六道の気合が束縛の魔法を上回ったか、締め付けられる感覚が弾け飛ぶように消えた。倒れまいと両脚を踏ん張るのを見たマンツィたちの顔が歪む。


「信じられん……。ロイコーンさんの魔法を破るなど……」

 そのロイコーンは呆然として、口元をひくつかせている。

「人間が、魔力抜きで俺の魔法を跳ね返せるもんかよ……。化物が……!」

 かすれた音を立てて笑うと、腰帯に差したアキナケスという種類の片手剣を抜いた。口元の笑みを貼り付けさせたまま、目をぎらつかせ、六道に突きかかる。


 ロイコーンの剣は、慕容突には遠く及ばないとはいえ、文武両道を誇るに差し支えのない鋭さではあった。その辺の遣い手が相手なら、間違いなく狙った箇所を抉っていたことだろう。

 六道の手刀が一閃し、乾いた金属音とともに片手剣アキナケスを両断した。ロイコーンに驚く暇を与えず突き出してきた腕を取ると、肘を支点にして逆関節に極める。肘が砕ける音とロイコーンの絶叫、マンツィがロイコーンを呼ぶ声が続けて響いた。


「“得物殺し”は俺の得意技の一つでな。チャトから離れてくれてありがとよ」

 六道はロイコーンの上着の襟を掴み、背中を向けさせた。膝の裏に蹴りを入れ、正座のような形にさせる。左の袖から飛針とばりを引き抜き、掌で半回転させて逆手に持つと、躊躇なく(首の後ろのへこんだ部分)に突き立てた。


 あ゛、という音を最後に呻き声が止まる。飛針を引き抜くと、体は小さく跳ねてからチャトに向かって土下座をするかのように崩れ落ちた。

 マンツィが蒼白な顔でこちらを見ている。右手がゆっくりと上がった。来る、と六道は確信を持って飛針を握り直した。


「もういい! 貴様は生かしておかん! 金も何も知ったことか! ……黄金の聖君主(アルタン・ボグド・エジン)がお前の首に剣を落とすように!」

 激しい怒りと深い悲しみに顔を歪めたマンツィが、呪いの言葉とともに六道を指差す。瞬間、凍った手に心臓を強く掴まれた。血の流れが止まり、喉をふさがれる苦しさに耐え、飛針を投げる。それはジランタイが殺された日と同じように、マンツィの脚に深々と突き刺さった。


 傷口から血が流れると同時に、六道の血と呼吸も元に戻った。片膝をつき、激しく息を吸っては吐く。倒れ込んだマンツィはどうにか飛針を引き抜こうとしているが、呪殺の直後とあって力が入れられないようだった。

「なあ、チャト」

 六道は呼吸を整えると、ぴくりとも動かず、一言も発しない少女へ向けて穏やかに言った。

「あいつが立ち上がる前にお前が起き上がれなかったら、俺が親父さんのかたきを討つ」


 結局こういう形になったか、と六道は思った。奇妙な偶然だが、感情を抑制する串客かんきゃく穴と、体力や気力を奪うロイコーンの魔法が噛み合った。口ではこう言ったが、チャトが先に起き上がることはないだろう。

 彼女の手を血に染めさせない理由には、充分ではないか。ことによると、これもジランタイの導きなのかもしれない。


 そう考えた時、部屋の中に冷たい風が吹き、ランプの灯りを揺らした。気のせいか、室温も下がったように感じられる。

 チャトの傍らに、人影が立っていた。誰だ、と目をこすってよくよく見れば、それは血の気のない顔をしたジランタイだった。

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