二の九 法で裁かれぬ者(前)

 茶店チャイハナで昼食を買い、ガンビスを伴って旅籠に戻った六道とチャトは、車座になって彼女に村で何があったのか、そしてなぜここにいるのかを語った。

 話を聞くうちにガンビスのあかい髪は天をき、顔が見る見るあかくなっていく。食いしばった歯を剥き出して、激情に燃えるあかいまなじりは裂けんばかり。数え切れない修羅場をくぐった六道でも、軽い恐怖を覚えるほどだ。

 そのまま戦斧を掴んで立ち上がるのを、チャトが体を震わせ怯えた眼で見ている。六道は急いで入口の前に立ちはだかった。


「お袋さん。あんた、一人で乗り込むつもりかよ」

「当たり前だろ。奴らの首を刎ねて、お父ちゃんの納骨器オスァリの前に供えるのさ」

 ガンビスは歯の隙間からふうふうと息を吐きながら、六道を睨みつけてくる。邪魔するならまずお前からぶちのめすぞ、と言わんばかりに。


 これじゃ紅い獅子じゃなくて猛牛だ、と呆れながら、六道は左手を金蛇いなずまはやさでガンビスの右腕に伸ばした。

 親指で肘の内側の一点を突くと、彼女の形相からみるみる険が取れていく。ついには深々と息を吐いて床に座り、戦斧を脇に置いた。六道も元の場所に戻って腰を下ろす。


「神様の名前を出して“誓った”以上、先走られたら俺たちが困っちまうんでな。少しは落ち着いたかい?」

 六道が尋ねると、ガンビスは小さく頷いた。安堵の息を漏らしたチャトが、不思議そうに六道の方を向く。

「おじさん、今の何?」

「ああ、あれは安楽穴って言ってな。怒りや不安を取っ払って、気持ちを穏やかにしてくれる経穴けいけつ(体に氣を巡らせる経脈けいみゃくの要所にあるツボ)さ。頭に血が上った奴を落ち着かせるには、これが一番だ」

へえ、と感心した声を出し、チャトは自分の右腕を左の親指で何度も押した。


「たいしたもんだね。それも氣功術かい?」

 声から完全に棘を失ったガンビスの問いに、広い意味ではな、と六道は答えた。実際、点穴は自身と相手の氣の流れを把握することが肝要なので、素人が見よう見まねでできるものではない。

「しかし、よく氣功術って当たりを付けられたな。お宝探しで旅してた頃に、術者と会ったことがあるとか?」


 違う違う、とガンビスが豪快に笑った。

「お父ちゃんがそうさ。何も聞かなかったのかい?」

親父さんが? と六道は目を丸くした。確かに、チャトは会った時に氣功術を使っていた。誰に教わったのだろうと思ってはいたが、ジランタイならば納得だ。


「まあそこはいいか。で、なんであんな場所にいたんだよ?」

 ふむんと喉から音を出し、六道は今度はチャトに尋ねた。腕から手を離すと、それがさ、と首をかしげて彼女は頬を掻く。

「少しうとうとして、気がついたらなんとなく外が気になってさ。窓を開けたら、外に父ちゃんが見えたんだよ」

「お父ちゃんが!?」

 ガンビスが腰を浮かし、半ば叫ぶような声を出した。


「うん。それで慌てて表へ出てさ。父ちゃんを追いかけてたら、人だかりができてて、母ちゃんのが聞こえて……」

 ふうむ、と六道は唸った。

「親父さんは、俺たちを会わせたかったのかな。チャトが来なかったら、俺とお袋さんははいさようなら、だったもんな」


「かもしれないね。せっかく、三人が近くにいたんだもん」

 チャトは強く頷いたが、六道は渋い顔になった。

「それはいいが、俺が言った結論は出たのか。出てねえなら、一緒には行けねえぞ」

「うん。やるよ。やる。父ちゃんがあたいらを会わせたのは、三人で仇を討ってくれってことだと思うから」

 チャトが唇を引き結び、拳を握りしめる。危ういな、と六道は思った。


 ジランタイの霊が本当に現れたのだとしても、そのつもりだったのかどうか。何か別の理由は考えられないだろうか。今のチャトは、心を殺し、人の命を奪うだけの理由を無理矢理作ろうとしているように見える。

 ――それでも迷い続けて死ぬよりはまし、って言う奴もいるんだろうがよ。迷いを捨てて生き延びても、心が死んじまったら意味がねえ。


 本当は、今からでも思いとどまらせたい。庭の雑草をむしるように人の命を奪える者なら、何の苦しみも感じないだろう。だが、そうではない者が人を殺せば、待っているのは無間地獄だ。恨みの連鎖にも巻き込まれるだろう。チャトにその道を歩ませたくはなかった。

 まして彼女は、父の命を理不尽に奪われてなお、かたきへの憎しみと恨みに囚われていないのだから。


「で、結局、いつやるんだい。連れに伝えなきゃならないから、なるべく早く決めてほしいんだけどね」

 ガンビスが身を乗り出して訊いてくる。猛獣を思わせる笑顔でかけてくる圧が凄まじい。

 六道は上体を反らし、まあまあ落ち着いて、と両手をやや前に出した。彼女の体が元の位置に戻ったのを見て、ふうと息を吐いて自分も戻す。

「奴らを仕掛けるのは今夜だ。お袋さんも顔見られちまってるしな」

 六道はそこで一度言葉を切った。チャトが意外そうにこちらを見ている。これは茶店チャイハナでの予感が当たったかもしれない。


「チャト。まさかとは思うがよ。連中が昼間外へ出たところで、『やあやあ、我こそはジランタイの娘チャト。父の仇マンツィ、いざ尋常に勝負せよ』……なんてやるつもりじゃねえよな?」

「え、駄目なの?」

 チャトが目をしばたたかせる。やっぱりなあ、と六道の口からため息が出た。


「ロイコーンはともかく、マンツィは法に触れるような真似はしてねえ。馬鹿正直に正面から行ったって、連中がすっとぼけりゃあこっちが悪者になるだけだ」

「でも、魔法で悪いことをしたら罪になるよね?」

 食い下がるように言うチャトに、六道は顔をしかめた。


 例えばロイコーンがやったようなことは、明らかになれば罪として罰せられる。それは、魔法を使って盗みをしてはいけないと法で定められているからだ。では、魔法で人を殺してはいけません、などという法があるだろうか。

 問われたチャトが母親を見る。ガンビスは「聞いたことないね」と鼻で笑った。

「お袋さんの言う通りだ。何らかの行為が罪になるのは、過去にそれをやった奴がいたからだ。で、魔法は、他人に危害を加える目的では使えない。最初はなからできねえことをわざわざ禁止しねえよ」


 チャトが俯く。六道は舌打ちをして続けた。

「呪術ならできるが、それを使える呪術師ダルハトは、ガルハの中でも数少ねえ。遠く離れたスーリの法が、そこまで想定するもんか」

「仮に法があったって、金持ってんだから賄賂でどうとでもなるさ。持てる者、黒いトロルも白になる……ってね」


 ガンビスがふんと鼻を鳴らし、忌々しげに付け足す。六道は彼女をちらりと見て頷いた。

「その通りだ。禁ずる法がなきゃ罪にはならねえし、あっても金の力でひっくり返せる。そんな法で裁けねえ相手なら、こっちも別の力を使うしかねえ」

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