二の八 六道、女傑と遭遇する(後)
長い距離をゆく
しかし、買い取った店の場所を探る中で聞いた話だが、マンツィはそれを許されなかった。出資者を募ろうとしても、正式な主人であるアパメが妨害していたのだという。
そのためマンツィは、地道に近距離交易で儲けを出していた。それが軌道に乗ってくると、平行して出資者に回るようにもなった。
と言っても、長距離交易ではない。あまり経験の豊富でない若い世代を狙い、近距離交易の元手として多額の資金を貸す。また先輩として助言も大いにする。戻ってきたら利益を相場より多く分配してもらうという条件付きで。
商売が上手くいけばそれでよし。頼れる先輩だと印象づけつつ、条件通りたっぷり色を付けて分け前をもらう。失敗したなら、家財道具を売らせてでも元手を回収した上で、助言と称してその家の商売に口を出す。そこから徐々に主導権を握っていくのだ。
ある時、出資した相手が大失敗をし、店が傾きかねないほどの損害が出たことがあった。そこでマンツィは、一時的な損を承知でその店を買収した。元の主人一家は、奉公人として残るか小作人もしくは奴隷になるかを選ばせて。
買収した店は、マンツィが手腕を遺憾なく発揮して無事に立て直した。代替わり前よりも繁盛するに至って、彼を神のように崇める使用人すら出始める有様だったという。
何年かして、もう一軒大損を出した店を同じように買収し、立て直した。その頃にはもう、マンツィは両手の指では数え切れないほどの商家にがっちりと食い込んでいた。
ついにマンツィは、出資者を募らずとも長距離交易に手を出せるようになった。危険も見返りも大きい長距離交易を独力で行い、幾度も成功させたことで、大商人の一角に数えられる婚家に並ぶまでの財を得ることができたのだった。
六道は瞬時にそこまでを思い出す。さしずめこいつらは食客のようなもので、
――ま、そうなったらなったでどうにかするさ。今はこの兄ちゃん優先だ。
ふんと鼻を鳴らして、六道は口の端を歪めた。
「理屈の上じゃ、お前らの言い分は間違ってねえんだろうがよ。あいにく、俺は間違った方ばっかり選んじまう性分でな」
「そうかよ。なら、俺がその性分を直してやるよ!」
苛立った虎髭が左手で六道の胸ぐらを掴み、右拳を振りかぶった。六道は素早く左手で虎髭の左手首を極め、右手で左肘を弓なりに極める。思わず悲鳴を上げた虎髭の体を、皺の男へ投げつけた。
皺の男が虎髭を受け止めると同時に、三人目が地を這う蛇のように動き、低い位置から貫手を放ってきた。手練れの
「てめえ……! 俺たちに逆らうってことは、マンツィさんに逆らうって……」
言いかけた虎髭の言葉が途中で止まり、顔に醜悪な笑みが浮かんだ。
「
六道が虎髭の呼びかけた方を見ると、五人の男たちが目に入った。六道を上回る体格を持ったスーリ人の男を先頭に、皆腰に長剣を提げている。呼びかけがなければ無法者の集団と思ったことだろう。
男たちがこちらにやってくる。いずれもスーリ人で、油断のならない面構えばかりだ。
「どうした。お前、今日は、例の若旦那を呼び出しに行ったんじゃないのか」
「いや、それが、呼び出して話をしようとしたらこの野郎が……」
虎髭が早口で説明をする。後方の四人が六道を囲むように動いた。大男は黙って頷きながら話を聞いている。若者の姿が消えているのを確認して、六道は安心した。
虎髭の話が終わると、大男は長剣に手を添え、六道の方を向いた。
「斬る前に言い分くらいは聞いてやる。なぜ邪魔をした」
「あの気弱そうな兄ちゃんがかわいそうに感じた、ただそれだけよ」
「……ただそれだけで、我々に喧嘩を売ったか。
六道は平然と答える。それを受け、大男は嘲笑するように吐き捨てた。
スーリ人の価値基準は、基本的に「利」と「武」である。利益もないのに身を危険に晒す六道の行為を、大男は取るに足りないものと切り捨てたようだ。もはや言葉は不要とばかりに鯉口を切る。皺の男を除いた五人もそれに続いた。
いつの間にか集まっていた野次馬のどこかから、危ないぞ! という声がした。
一方で六道は、まったく別のことを考えていた。
――マンツィは今夜のうちに仕掛ける。こいつらの腕一本ずつもらったとして、護衛が
六人が長剣を抜き、六道が両手の指をごきりと鳴らす。一触即発の気配が濃くなったとき、待ちな! と雷鳴のような中年の女の声がした。
六道を含めた全員が、顔を声の方に向ける。野次馬の中から、筋骨隆々としたドワーフの女が姿を現した。
斧頭を布で包んだ、自身の背丈ほどもある戦斧を携えた女。彼女は、地平の彼方に沈みゆく夕陽のような紅い髪をしていた。それを三つ編みにして垂らしている。見た目の年齢としては、六道よりいくらか上だろうか。
スーリ人女性の服装は、頭かぶり式で丈の短い上着を着て、みぞおちあたりから足首までのスカートを穿くのが一般的だ。しかし女の上着は筒袖に前開きのカフタンで、スカートではなくズボンを穿いている。つまりは男装だ。
チャトも同じ格好をしていたが、男装の女は、戦士であればそう珍しいものでもない。
――
六道は小さく口笛を吹いた。相手の腕前は、佇まいを見ればおおよそ判る。
だが、通りすがりの物好きか、それとも男たちの上役のような立場にいる者かまでは判らない。はたしてこの女はどちらだろうか。
「たった一人に七人がかりとはね。あんたらは恥って物を知らないのかい。兄さん、この恥知らずどもはあたしに任せな」
女は六道らのすぐ近くまで来ると、戦斧の石突を地面に叩きつけ、吼えるように言った。そっちだったか、ならお言葉に甘えて、と六道は力を抜く。
「何言ってやがんだこの婆ぁ。てめえが来たって七対二じゃねえか」
虎髭が女を指さして嗤った。途端に、唸りを上げた石突が彼の胸板を直撃する。哀れ虎髭は、堀割の上を高々と飛んでいった。
――打ち所が悪かったら死ぬぞあれ。……俺より容赦ねえな、この姐さん。
内心大いに引きながら、六道は虎髭を目で追った。向こう岸の手前で大きな水しぶきが上がったが、なんとなく死んではいないような気がする。
「……誰が婆ぁだい」
苛立ちを隠すそぶりも見せない女の姿に、皺の男以外の男たちが色めき立った。
「こ、こいつ、本気で俺たちを相手にする気か!」
男たちは、六道に向けていた剣先を女へと向けた。皺の男も、包囲の外から六道の方を窺いつつ鯉口を切る。
「兄さん、そこから落ちたくなかったら耳ふさいでな」
女はそう言うと、返事も待たずに大きく息を吸った。六道はとっさに耳をふさぐ。皺の男も、何かに気付いた顔で慌てて続くのが見えた。
女の口から、獅子にも勝る咆吼が轟いた。敵意を向けられていない六道でさえ、こいつは俺を喰うつもりかと錯覚してしまう。耳をふさがなかった男たちは皆腰が砕け、わけても堀端にいた者などは倒れて転がり落ちていった。
落ちずに済んだ大男と子分たちは、ほうほうの体で逃げていく。場には、六道と女、そして皺の男が残された。
「……参った。危うく腰を抜かすところだったよ。君は大丈夫かね」
皺の男が、大きく息を吐きながら尋ねてくる。なんとかな、と六道は顔をしかめて答えた。
「で、あんた、お仲間を追わなくていいのかい。一人であたしとやろうってんなら、それはいい心がけだけど」
虎のように笑い、女は皺の男に声をかける。男はまさか、と苦笑いで手を振った。
「貴女は、かつてこの地に名を馳せた“紅の獅子(シーレ・ケルメズ)”ことガンビス姐さん。そうだろう? 貴女だけでも私には手に余るが、それ以前に彼がいる。相手にしたら、命がいくつあっても足りんよ」
ガンビスの顔から笑いが消えていく。なんだい、これじゃ暴れ足りないねえ、と物騒なことを言って、追い払うように手を動かした。
「見逃してくれるのか。ありがたい。……縁があれば、次は味方として会いたいものだな」
最後に六道を見て、皺の男は去って行った。
野次馬たちが、三々五々場を離れて行く。六道はガンビスに向き直った。
「おかげで怪我人を出さずに済んだぜ。ありがとさん」
「……怪我しなくて、の間違いだろ。人間にしちゃ腕っ節はありそうだし、自信を持つのも結構だけどさ。足すくわれて、痛い目見てからじゃ遅いんだからね」
呆れた顔と声でガンビスが言う。どうやら、見てくれの割にお節介焼きのようだ。善意は黙って受け取っておけ、と六道は考え、そうだなと笑って頷いた。若い頃なら反論していたのだろうが。
――別にいいさ。さっさと
足を踏み出した六道の前方に、娘が一人立っていた。小柄で丸っこい体つきに、濃い茶色の髪をおさげにしたドワーフの娘。まぎれもなく、宿にいるはずのチャトだった。
「……かあ、ちゃん……? なんでおじさんといるの……?」
「チャト!? どうしてこんなところにいるのさ!?」
困惑するチャトと、血相を変えたガンビスの声が重なる。六道は目を丸くして、二人を交互に見た。
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