二の七 六道、女傑と遭遇する(中)

 六道が旅籠を出て、大通りから南を見ると、一里(400m)弱ほどから先は内城の壁で遮られていた。外壁は一辺がおよそ三里(1200m)に迫るというから、都市の中央部に内城があることになる。

 ということは、衛兵が出張るような事態が街のどこかで起きた時、どこであってもそう時間をかけずにやって来られるということだ。運悪くマンツィの屋敷と内城が近かったら、などと心配する必要がないのは良いことか。


 六道は一度外壁沿いの通りまで戻り、東へ折れた。北東の隅から順に、マンツィの屋敷を尋ねてぐるっと一回りするつもりだった。

 北から南へ、通りと路地を出たり入ったりしながら歩く。一国の王都だけあって、他種族の姿も中小の町より目立っていた。それだけ飯の種が多いということであるが、同時に揉め事の火種も転がっているとも言える。


 しばらくして足が止まる。ここは交易商の屋敷が集まっている一帯のようだったが、その中にひときわ大きな一軒があった。

 他の屋敷の二軒分、いや三軒分はあろうか。石造りの白い壁に囲まれ、内側には二階建ての母屋の他に三階建ての蔵が複数見える。広い中庭には、青楊などの樹が何本も植えられていた。


 少し先に、屋敷の門が見える。どうやら閉じられているようで、槍を持ったスーリ人の門番が一人立っていた。近づくにつれ感じられる気配は、弛緩もせず気張りもせず、といった程度のものだ。

 六道は行き交う人を遮らないよう動きつつ、門番の目の前まで進んでいった。

「ちっと教えて欲しいんだが、この街の交易商でマンツィさんているよな。あんた、お屋敷の場所知ってるかい?」


 門番は、槍を握る手に力を込めたようだった。六道を見た顔に一瞬怯えが走ったのが見えたが、舐められまいと踏ん張るあたりはよく教育されているようだ。

「……何か、用事でもあるのか」

「いやあ、以前隊商サルトの護衛をしたことがあるんだが、最近懐が寂しくてな。金払いのいい人だったから、今いるんならまた雇ってもらえねえかと思ってよ」


 六道は、隊商の護衛を生業とする者かのように装ってでまかせを言った。門番の声が上ずったのは聞かないふりをする。

「マンツィさん、マンツィさんか。うむ……」

「なにもただで教えてくれってんじゃねえさ。ほれ」

 六道は素早く、槍を握っていない手に銀貨を握らせた。横目で手の中を見た門番の頬が緩む。周囲を気にしつつも六道の耳に口を寄せた。


「お前が探しているのはこの屋敷だが、マンツィ様のお屋敷、というのは正しくないとも正しいとも言える。ご主人はあくまでもアパメ様で、マンツィ様は婿養子だからな」

はっ、と六道は驚いたように息を吐いた。

「ってことは、ここから見える蔵の所有者は、そのアパメ様ってことかい?」

「ああ。マンツィ様は、少し南に行ったところにある商家を二軒買い取って、そこの蔵を使っている」


「ふむ。じゃあ、普段寝泊まりしてるのもそっちかな?」

「いや、そうじゃない」

 六道が顎に手を当てて尋ねると、門番は顔を離し、小さくため息をついた。


「庭の南側に離れがあるんだがな。マンツィ様は、護衛の人らと一緒にそっちで寝泊まりしているよ。お気の毒なことだ」

「そいつぁまた、夫婦仲が偲ばれる話だねえ」

 さも同情するように言いながら、六道は閃いた、と内心ほくそ笑んだ。しかし顔には出さず、何食わぬ顔で話を続ける。


「で? 結局、今はいるのかい?」

「ああ。なんでも、西のファジンへ買い付けに出した手代の帰りが遅れてるらしい。出発は、その手代一行が戻ってからだな。戻りに合わせて、人夫や護衛も雇わなけりゃならないし」

「そうか、まだ先になりそうか。なら、今のうちに挨拶だけでもしてくるか」

 ありがとよ、と門番に手を挙げ、六道は離れた。南隣の店にさしかかったあたりで振り返ったが、向こうはもうこちらを見ていなかった。



 街をしばらく歩いた後、六道は堀割沿いの通りで一軒の茶店チャイハナを見つけた。年寄り夫婦でやっているらしいこぢんまりとした店で、客は絨毯の敷かれた店内に数人いるだけだった。見る限り、旅人ではなく近所の住民のようだ。

 張り出した庇の下には、四人ほど座れそうな小上がり風の席と横長の縁台が一つずつ置かれている。椅子のある卓席は見えなかった。


 六道は縁台に腰掛けて、温かい茶と胡餅こへい(羊肉や葱を餡にした、饅頭に似た食品)を注文した。へえい、と返事があってからしばらくして、店主が薄煉瓦れんが色をした素焼きの土瓶と湯飲みを盆に乗せて持って来る。

 六道は受け取った盆を隣に置いて湯飲みに茶を注ぎ、一気に飲み干した。ふうと息を吐いて目を閉じる。腹の中で温もりがじんわりと広がり、冷えかけた体を癒していった。


 目を閉じたまま、マンツィの、正確にはアパメ様とやらの屋敷前で門番に聞いた話を思い出していく。

 母屋ではなく、離れで寝泊まりをしているのなら好都合だ。夜、連中が寝る前に忍び込み、家人に感づかれるよりも先に片を付ける。

 護衛の人らというのは慕容突ぼようとつとロイコーンだろうが、離れならば無関係の者に見られる可能性は低いだろう。


 問題は、チャトがそれを受け入れるかだ。あの明るくも根が真面目なドワーフ娘なら、正々堂々とかかりたい、と言いだしても不思議ではない。正直なところそれは悪手なのだが、説明して納得してくれるだろうか。

 ――下手したら、説得しなけりゃならなくなるかもな。

 六道は困ったように襟首を掻いた。


 加えて、もう一つの問題がある。

 マンツィが買い取ったという二軒の店。六道は実際に場所を確認してきた。盗まれたジランタイの装身具は、そのいずれかないし両方にあるだろう。

 だが、どうやってそれを奪い返すのか。そして家まで持って帰るのか。その方法が皆目思いつかなかった。


 六道が唸りながら首をひねった時、中年の男のだみ声が耳に飛び込んできた。

「ねえ若旦那! 今日という今日は、耳を揃えて払ってもらおうじゃありやせんか! こっちだって、いつまでも子供の使いじゃいらんねえんですよ!」

 目を開ければ、通りの反対側、堀割のすぐ脇でスーリ人の若者が浅黒い肌の男たちに凄まれていた。男たちはスーリの南東遠く、バラタヴァルシャ地方の出だろうが、雰囲気はいずれも堅気のものではなかった。


 ――何だありゃ。ゆすりたかりの類か? こりゃちっと放っとけねえな。

 この町に来た目的を考えれば、目立つ行動はするべきではないのだろう。だが、そんなものは理屈だ。

 六道ら侠客の精神を表す言葉の一つに、「みちに不平(弱い者いじめなど不公平な事)を見れば、刀を抜いてあい助く」というものがある。不平を見て見ぬ振りができるようなら、初めからスーリに流れてきてなどいるものか。

「爺ちゃん、勘定ここに置いとくよ」

 今まで自分の尻があった場所に金額分の銅銭を置き、六道は足早に店を出た。


 堀割を左手に、若者の正面になる位置まで動き、六道は男たちに声をかける。

「ちょいと待ちな。かわいそうに、そっちの兄ちゃん、怯えちまってるじゃねえか。そんなんじゃ碌に話もできねえだろ」

 不意の助けに、泣きそうだった若者がほっとした顔をした。男たちのうち二人が六道を見る。一方で、残る一人が逃がさないよう若者の背後に回り込んだ。なかなかに場慣れしているようだ。


「何だてめえは。こっちは今取り込み中なんだよ。下手に粋がって怪我したくなかったら向こう行ってろ」

「取り込み中でも洗濯中でもいいんだけどよ。どうにも気の毒で見てらんなくてな」

 目の前にいた虎髭の男が凄むのを意に介さず、六道は若者を思いやる顔を見せた。右にいる顔に深い皺を刻んだ男が、白の混じった黒い顎髭を撫でる。


「君は、この若旦那の知り合いかね? 違うのなら、事情を知りもせず首を突っ込むものではないな」

「ごもっともだが、堅気さんをごろつき三人で囲んでおいて言うことでもねえな」

 六道は鼻で嗤った。虎髭が何を! と吼える。皺の男は小さく笑った。若者の背後にいる三人目は懐に手を入れ、油断なくこちらを窺っている。


「いいか、この若旦那はな、商売の元手をマンツィさんから借りたんだ。返済期限はもう過ぎてんだよ。期限が過ぎたら返すのが当然じゃねえか。大損出したから払えねえって、だったら親に話して家でも何でも売りゃあいいだろ。違うか? えぇ?」

 唾を飛び散らしそうな勢いで虎髭がわめく。意外なところから出てきた名前に、六道の眉が一瞬跳ね上がった。

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