二の六 六道、女傑と遭遇する(前)

 六道とチャトがチャージュ本国の北門前までたどり着いたのは、村を出て十日ほど過ぎた頃だった。

 起伏の多い草原地帯を流れ、大河ヤフシャールへと繋がる大小の河川。オアシス周辺の麦畑や葡萄畑。それらを貫くようにして、隊商サルトがよく利用する街道が通っている。途中、短距離だが危険な山越えと長距離だが比較的安全な迂回路とに分かれた時は前者を選んだのだが、乾期前とはいえ雨が三日も続いたせいで余計な日数がかかってしまった。


 雨は今朝方になってようやくやんだものの、空は相変わらず鬱々とした鉛色の雲に覆われている。向かい風は冷たく、ときおり唸りを上げて二人の長衣デールをはためかせた。

 チャージュの都城は広い台地の上に建てられ、胡楊やポプラの木立に囲まれている。最後の上り坂を前にして、六道は振り返ってチャトを見た。


「城門はもう目の前だからな。あとひと踏ん張りだぞ」

「うん。あたいは平気だから。おじさんは心配しなくて大丈夫だよ」

 気丈に振る舞ってはいるものの、顔には疲労の色が濃い。若者、それも体力の塊が服を着ているようなドワーフとはいえ、背嚢を担いで夜に日を継ぐ旅というのはさすがに未経験だろう。まして、六尺(138cm)に満たない背丈で八尺(184cm)の六道に遅れまいとするのだから。

 背に隠すようにして風から守ってはいるが、やはり厳しかったかという思いが強い。

 ――中に入ったら、すぐに宿を探さねえとな。疲れて体が動きませんでした、じゃ笑い話にもならねえ。


 門の手前には、旅装束の男女が十名ほど並んでいた。大半が人間だが、褐色の肌に黒い髪を持ち、耳の先が少し尖った南方エルフの男が一人いた。その隣には、二足歩行する狐のような頭をしたコボルトがいる。さすがにこれは男か女か判らない。


 人間たちも、白い肌に黄色い肌、茶色い髪に黒い髪とが混在していた。中には白い肌に金色の髪、背丈は九尺(207cm)に届くのではないかという者すらいる。極西人か、それともスーリ地方のやや東南、バベイラの大荒山こうざんに住む少数民族だろうか。


 いずれにせよ、長衣デールの下に革製の鎧のような物が見え、またいささか粗野な空気をまとっているあたり、巡礼ではないだろう。この辺りには何百年から千年以上も昔の廃墟や遺跡が点在しているというから、徒党を組んでのお宝探しか。


 ――セレスの方にもずいぶんいたっけなあ、こういう連中は。

 六道が少し前までいた土地を思い出しながらずだ袋を下ろし、入城の準備をしているうちに、一団は審査を終わらせて門の中に入っていった。


 二人の番が来たところで、門番が槍を交差させて止まれと合図をした。が、こんなところまで人相書きが廻っているはずがない。慌てることなく名乗って出身地を言い、長旅には不可欠の通行手形を見せた。もっとも、六道のは偽手形作りの名人によって精巧に偽造された代物だが。


 門をくぐると、すぐに緩やかな下り坂になっていた。石畳で舗装され、白い土壁や石壁の家屋が建ち並ぶ大通りを、真っ直ぐ進むには少々苦労しそうな数の人が行き交う。

 通りは馬や駱駝を牽いた隊商サルトが余裕を持って通れるほどに広く、左右には家畜を繋いだ隊商宿の庭も見えた。


 急いで旅人向けの旅籠を探し、おとないを入れる。奥の部屋から、にこやかな中年のスーリ人女性が出てきた。どうやら女将のようだ。部屋の空きがあるか尋ねると、二階の二人部屋が一つ空いているという。六道は思わずチャトを見た。


「さすがに二人部屋だけってのは……。なあ?」

 六道の頬が引きつる。本来は、個室を二つ取るつもりだったのだ。それくらいの金銭的余裕はある。

 他に空きがないからといって、若い娘と、明らかに血のつながりのなさそうな強面の男が同じ部屋に泊まっては、痛くもない腹を探られかねない。が、当のチャトは、視線を落として呟くように答えた。


「あたいは構わないよ。父ちゃんの仇を討つためなら、同じ部屋くらい」

 今度は六道の顔全体が引きつった。重苦しい顔と固い声でこんな言い方されたら、まるで俺が謝礼を身体で払ってもらおうとしてるみてえじゃねえかよ。女将さん絶対誤解したぞ。


 いや違うからな、と言おうとして六道が女将を見ると、彼女は何らかの期待に満ちたまなざしを二人に向けていた。にやりとわずかに開いた口元から、こんやは おたのしみですね。と無言の声が聞こえてくる。

「……うん、めんどくせえからもうそれでいいわ」

 半眼になった六道の口から、“黒い砂漠(ビヤーバーネ・サイヤーフ)”よりも乾ききった笑いが漏れた。

 

 結局、一泊の代金を払って二人部屋に泊まることになった。

 部屋に入ると、背嚢を下ろし長衣デールを脱いだチャトが芯からくたびれきったため息を吐いた。上着カフタンの腰帯を外し、重ね合わせの部分がはだけないよう手で押さえつつ寝台に転がる。

 六道は保護者のように微笑み、荷物を寝台の脇に置いた。


「お疲れさん。だが、もっと全身の力を抜かねえとな。いざって時に、体が思うように動かなくなっちまうぞ」

 軽く言って、六道は部屋を出ようとした。するとチャトが体を起こし、顔をこちらに向けてくる。じっと六道を見据える眼は暗かった。


「……あたいはこんなに苦しいのに。怖いのに。おじさんは、なんで平然としてられるの? そんなに……、人を殺し慣れてるの?」

 軽蔑でもない。嫌悪とも、不信とも違う。天下泰平の世ではないことは彼女も理解しているだろうが、それでも言いようのないわだかまりのようなものが伝わってきた。


 六道は、チャトの視線から顔を背けなかった。ジランタイの仇討ちをするのはチャトで、自分は手伝いだと決めたあの時から、彼女を小娘ではなく戦士と思ってきた。この問いをはぐらかすのは、戦士に対して礼を失することになる。


「俺は今まで、数え切れねえほど人を斬ってきた。弱い者を泣かせ、食い物にする悪党どもだけじゃねえ。ただ職務に忠実だっただけの衛兵や捕り方もな」

 自然、六道の声も固くなっていた。悪党外道に対する情けは生まれてこの方持った記憶がないし、持つ必要もないと今も思っている。しかし、兵士たちは別だ。彼らが弱い者たちに何かをしたのか。最も荒んでいた時期だったから、など言い訳にもならない。


 チャトが暗い眼のままゆっくりとうつむき、唇を引き結んで両拳を強く握りしめた。

 仇を討つこと。それは他者の命を奪うということ。そして六道の人物像。彼女なりに、いろいろと折り合いをつけようとしているのだろう。


 六道は再び部屋を出ようとした。どこ行くの、と顔を上げることなくチャトが訊く。

「明るいうちに野郎の屋敷を探してくる。帰り道で迷子にならねえよう、周辺も頭に入れとかねえとな」


 チャトが無言で立ち上がった。睨むような眼が一緒に行く、と主張している。六道は目を細め、両肩に手を置いて座らせた。

「見つけて即乗り込む訳じゃねえ。いるかいねえかも含めて、“その時”を探るんだ。だから、今はしっかり休んでおけ。で、一応でいいから気持ちに結論を出す。その二つができなきゃ返り討ちだ」


 慈しむ表情とは裏腹な、少々きつめの言葉を使ったことで、チャトも思いとどまったようだ。不承不承ながらも、再び寝床に体を横たえる。

「それでいい。まだ昼にはなってねえが、眠れるようなら眠っときな」

 帰りに昼飯買ってきてやるから、と付け加え、六道は部屋を後にした。


 階段を下りながら、六道は強く願う。どこの国の神様でもいい。どうか、あの娘の明るさが、このまま失われたりしないように、と。

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