二の五 二人仇討ちを誓う

 ジランタイの弔いを終えた翌日、六道は空き部屋で壁に背中をもたれさせていた。無念にきつく目を閉じ、爪が掌を裂きそうなほどに拳を握りしめている。


 ――また、助けられなかった。

 六道は重苦しい息を吐いた。病や怪我に苦しむ人を少しでも助けたいと覚えた氣功術だったが、これまでに何度も、この世に万能な力などないことを思い知らされてきた。そして今度もまた。

 ――親父を目の前で失わせちまった。チャトに申し訳が立たねえ。


 ドワーフは人前で涙を見せない。その言葉通り、チャトは母親不在の中でも堂々と喪主を務めていた。母親を責める気は毛頭ないが、雑用しか手伝ってやれない自分がもどかしく、それだけにチャトがいっそういじらしく思えた。


 そのチャトは、朝から村の家々を回っているようだ。もはや一人でいても狙われることはない。六道はどうしようもなく苦い物を抱えつつ、あの三人組とこれからのことを考えていた。


 呪術師ダルハトの“呪い”を打ち消すには、同等以上の力量を持ったまじない師ドムチが“祓い”を行うか、呪術師ダルハト自身を傷つけ血を流させる必要がある。師匠の故郷でもある、騎馬民族ガルハの土地に滞在していた時期に覚えたことだった。

 ただ、六道には知識はあっても経験が伴っていなかったため、傷つけるのは呪われた当人に限るとまでは思っていなかったのだ。

 ――苦しんで死に至るまで、未熟な呪術師ダルハトなら数年。特に優れた者なら即座に苦しみだし、まじない師ドムチが祓う間もなく死ぬ、って言ってたっけな。あの野郎は、その少し下くらいか。狙われたらまず助からねえ。


 六道は目を開け、舌打ちをした。実際に関わり合って、呪術師ダルハトの危険さが身に染みる。

 しかし、新たに見えたものもあった。ジランタイを呪殺すると決めたのなら、遠くからすれば済むことだ。そうではなくわざわざ対面した上でということは、少なからず近い距離でなければならないということだろう。また、呪った後は疲労困憊に陥るようでもある。付け入る隙があるのはそこか。


 もっとも、そうなった呪術師ダルハトを護るために護衛がいるのだ。どこで出会ったかは知らないが、あの慕容突を搦め手以外で突破できる者がこの世に何人いるだろうか。

 そしてもう一人、最も魔法の扱いに長けた種族である北方エルフ。雇い主の身を守るためであれば、幻覚や防壁といった魔法の数々は力を存分に発揮してくれることだろう。


 魔法といえば。三人がいなくなった後、未完成品や納得のいかない品物を置いていた倉庫が空になっていた。指輪、腕輪、首飾り……。ロイコーンが客間に戻ってきた時の言葉からして、マンツィの屋敷にあるのは間違いない。


「何の罪もねえ職人を殺した上に、白昼堂々魔法で泥棒かよ。いい根性してやがるぜ」

 六道の胸に、ふつふつと怒りが湧き上がる。この落とし前は必ず付ける。いや、付けずにおくものか。


 ――客が何人いるか知らねえが、親父さんの装身具だけ持って魔法で飛びながら顧客巡りってのは考えにくい。連中に切羽詰まった事情でもない限り、隊商サルトを組んで他の品物を捌きながらやるのが現実的だ。ああそうだよ隊商サルトだよ。まさか、あいつ一人で屋敷の荷物を全部動かせるってことはねえだろう。隊商サルトを組むのに数日はかかる……にしても、ぐずぐずしてたら間に合わなくなっちまう。


 六道は息を吐き、目を閉じて歪めた顔を片手で覆った。

 理屈では、チャトが帰り次第ここを出て、野宿してでも速やかにチャージュに向かった方がいいと思っている。しかし一方で、理不尽に父親を失った者同士の憐れみがそれを拒んでもいた。母親が戻ってくるまでは近くにいてやりたかった。


 ――馬鹿言ってんじゃねえよ。何様のつもりだてめえは。

 再び息を吐き、自分の感情を罵る。つい何日か前に出会ったばかりの俺より、村の人たちの方がよっぽど親しいだろうが。俺なんかいなくたって、きっと皆寄り添ってやってくれるさ。

 実際に弔いの間、村人たちはチャトのために泣き、何かあったら遠慮なく言ってねと慰めてくれていた。親身になってくれる人が既にいるのだから、なにも六道がいる必要などないのだ。


 そうやって感情の否定に理屈を付けた時、玄関からただいまと声がした。チャトが帰ってきたのだ。六道は出迎えると、話があると言った。

「そっか。あたいも、おじさんに言っておくことがあるんだ」

 どこか思い詰めたような面持ちで答えると、チャトは客間に入っていく。


 客間はあの日のままになっていた。慕容突とマンツィの血が、絨毯に赤黒い染みを作っている。片膝でジランタイが座っていた場所を撫でながら、チャトが硬い声で言った。

「あたい、これからチャージュに行ってくる。村の人たちには、いくつかお願いしてきた。だから、名残惜しいけど、おじさんとはここでお別れ」


 チャトが何を考えているか、六道にはすぐに判った。

 かつての自分が、攫われた母親を捜して騎馬民族アシャの地へ赴いた時のように。あるいはただ一人愛した女――アフラシアと、二人の間にできた子供が、恨みの連鎖で殺された時のように。彼女は父のかたきを討つために、マンツィのところへ乗り込むつもりなのだ。


「親父さんのあだ討ちか。お前が行っても死ぬだけだぞ。お前まで死んだら、お袋さんはどうなる」

 あえて突き放すように、低い声で六道は言った。チャトが弾かれたように立ち上がり、六道を睨みつける。拳を硬く握りしめ、歯を食いしばり、ふうふうと荒い息を吐いた。


 その目に悔し涙があふれ、チャトは小刻みな呼吸でそれをこらえようとする。が、ついにこらえきれず流れて落ちた。

「……父ちゃんのかたきを! あたいが討たなかったら! いったい誰が討つって言うのさ!」


 魂からの叫びが、六道の胸を引き裂いた。気持ちは痛いほど解る。だが、自分と違い彼女は嫁入り前の娘だ。その手を汚させたくなどない。綺麗なままでいてほしい。

 だから六道は、チャトの目を真正面から見て答えた。

「俺が討つ」


 え、とチャトの目が丸くなった。その答えは想像もしていなかったのだろう、あっけにとられた顔には年齢相応の可愛らしさが戻っていた。

「で、でも、おじさんには関係……」

「親父さんには、もちろんチャトにもだが、一宿一飯の恩がある。関係ねえってことはねえ。それにだ」


 とまどうチャトの言葉に首を振り、それから一度区切って六道は言った。

あだ討ちと言やあ聞こえはいいが、結局のところ人殺しには違いねえ。そういうのは、俺みてえなろくでなしがやるもんだ。間違っても、嫁入り前の娘がしちゃいけねえ」


 ほ、とチャトの口から息が漏れた。優しげな笑顔になって、ありがとね、おじさん、と呟く。しかし、手の甲で涙を拭った後の顔は、決意に満ちた戦士のかおだった。

「気持ちはとっても嬉しいよ。でもね、それはドワーフあたいらの理屈じゃない」


 六道の胸がまた痛んだ。師匠を通じて知ったドワーフの価値観を、いつの間にか忘れていたと思い知らされた。しかし浮屠ふと教に触れた今思い出せば、それは娑婆道にありながら修羅道を往くように感じられてしまう。

 ――だからって、俺の感傷で否定していいもんじゃねえ。なら、俺がやることは。


 六道は、目を閉じて長い息を吐いた。再び目を開けると、心を決めて口を開く。

「わかった。だったらそのあだ討ち、俺にも手伝わせてくれ」

 チャトの口元がほころび、うん! と強く頷いた。

「ありがとな。じゃ、気合い入れていくか」

 六道はその場に胡座をかき、曲刀を腰から体の前に置いた。ん? とチャトが首をかしげる。


「親父さんは、名前からしてガルハかその周辺の出だろう。あいつらがやる“誓い”は聞いたことあるか?」

 あ、と口を開けたチャトが知ってる! と叫び、走って部屋を出て行った。すぐに戻ってきたが、その手には一丁の手斧が握られている。


 チャトは六道と向かい合う形で胡座をかき、同じように斧を自身の前に置いた。六道は微笑み、それから真顔になってじゃあ俺からいくぞ、と言った。

「この刀にかけて。そして、戦神ヴァルフラーンの持つ黄金のつるぎにかけて。俺は、チャトのあだ討ちに全力を以て手助けしよう」


 六道の“誓い”にチャトが続ける。

「この斧にかけて。そして、“獣の王”バヤン・マーニの白き毛並みにかけて。あたいは六道のおじさんと一緒にかたきを討つ」

「もしも、この誓いに逆らいしことあらば」

「たちどころにして、“冥府の王”エルレック・ハーンのもとに招かれるであろう」


 ガルハの“誓い”の中でも、神の名を出して行われるものは最も重い。逆らうことはもちろん、諦めてしまっただけでも神罰が下ると信じられている。

 六道は、ここが広義のスーリであることを考え、ファルシスからスーリにかけて信仰される戦神の名前を出した。そしてチャトは、父の故郷で信仰されている動物神の名前を。いずれも、それぞれのやり方で亡きジランタイに寄り添ったものだった。


「そうと決まれば、旅の準備ができ次第村を出るか。今のうちに出れば、日が暮れる前に麓の村に入れるだろう」

 六道は立ち上がると、数日前に峠で見た景色を思い出しながらチャトに声を掛けた。チャトも立ち上がり、部屋の一点を見つめる。おそらくはチャージュ本国があるであろう方角を。

「そうだね。道中の食料やら何やらはそこで買って、後は野宿覚悟の強行軍。遅れたら置いてくよ?」


 振り返ったチャトがにひっと笑う。茶化したような態度だが、六道にはその奥の、悲壮なまでの決意がはっきりと見えていた。

 ――背負しょい込むな、って言っても無理だろう。なら俺は、隣で少しでも支えるとするさ。


「言ってくれんじゃねえか。人間だと軽く見てるようだが、旅暮らしを舐めんなよ?」

 内心を悟られないよう、六道も歯を見せて笑った。準備ができたら教えてくれと言い残し、客間を出て行く。

 ――待ってろよ。てめえらが踏み倒したお代は、命で払ってもらうからよ。

 もし隊商サルトが出発していたなら、地の果てまでも追うだけだ。マンツィと己への怒りの炎を燃やし、六道は固く拳を握った。

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