二の四 呪術師(ダルハト)の“死の呪い”

 客間に敷かれた大きな絨毯の上に、胡座をかいた五人の男たちが左右に分かれて向かい合っていた。


 出入口に最も近い下座に六道。その右に、ジランタイが疲れた顔で座っている。

 向かい側右奥、出入口から最も遠い上座に座るのは人間の男。風貌からは東国人タムガジュに見えるが、血の半分はスーリ人というマンツィだ。隣に、古めかしい貫頭衣と極西人のような金色の髪が目立つ小柄な若い男。北方エルフのロイコーン。

 さらにその隣、六道の前にいるのが身の丈一丈(230cm)を超えるオーガの慕容突。二人の名前はジランタイから聞いている。


 にこやかなマンツィ・ロイコーン両人に比べ、慕容突は真剣な顔でジランタイを見ている。ただ、そこには何らかの懸念もしくは不安があるように六道には思えた。


「さてジランタイさん。早速ですが、話し合いは今日で最後にしましょう」

 予想に反したマンツィの申し出に、ジランタイの口元がほころぶ。

「それはよかった。ようやく諦めていただけるのですな」


 しかしマンツィは、微笑みを顔に貼り付けたまま首を振った。

「ご冗談を。貴方の装身具は、貴方が考えているよりずっと高値で売れるのですよ。今さら他の商人に扱われてたまるものですか」

 マンツィはそこで一度言葉を切り、不吉を形とするかのような声音で続けた。


「契約していただけないのなら、いっそのこと死んでもらいます。それは嫌でしょう? ですから、私の専属になってください」

 ――野郎、言うに事欠いて脅迫か! 腐った性根しやがって!

 六道はすかさず、片膝を立てて右脇に置いていた曲刀を掴んだ。いつでも左手に回せるようにして、眼前の慕容突を見る。


 その慕容突は、六道を一度だけ見て苦しげな顔をすると、後はもうジランタイから目を離さなかった。右脇に置いた長剣の上で、握り拳が震えている。

 六道の右から、歯を食いしばったまま息を吐き出す音が聞こえた。


「マンツィさん。あんたは儂らドワーフを舐めすぎだ。そのような言い方をされて、首を縦に振るドワーフなどおらん」

 ジランタイの返答を聞いた慕容突が硬く目を閉じ、絞り出すように息を吐く。次の挙動に備え注視しながらも、六道の意識はマンツィの気配が一歩下がりながら立ち上がるのを捉えていた。


「残念です。……蒼い狼(ゴッホ・チョノー)に引き裂かれて死ね!」

 六道の背筋を、冷たいものが通り抜けた。反射的に目を向けると、マンツィがジランタイを指差した格好で膝をつき、ジランタイは喉と心臓の辺りを押さえて目を見開いていた。呼吸は荒く、顔色は青ざめている。


「親父さん!?」

 六道はとっさに曲刀から手を離し、両手でジランタイの背に触れた。さすろうとして、半ば無意識に左腕を盾のように上げて頭をかばう。

 が、陽の氣を滾らせていない生身の悲しさか。大きな衝撃を感じるとともに左腕に激痛が走り、六道の体は横転した。蹴りだ、と思った時には慕容突に抱え上げられ、そのまま部屋の外まで放り投げられた。


 背中から落ちて転がる大きな音に、隣の部屋にいたチャトが廊下へと出てきた。

「何、今の音……おじさん!? 大丈夫!?」

「俺のことはいい! 部屋に戻ってろ!」

「父ちゃんは!? 父ちゃんは無事なの!?」

 起き上がろうとする六道の横を、答えも聞かずチャトが駆け抜ける。

 ――やめろ! お前の敵う相手じゃねえぞ!


 背中の痛みをこらえ、遅れて六道も立ち上がった。腕の痛み具合からして、骨にひびが入っているようだ。陽の氣を滾らせて苦痛を和らげつつ、再び部屋に飛び込む。

 マンツィが使ったあれは、直接害をなしていることから魔法ではない。殺意を呪いの文句に乗せ、相手を呪殺するやり方には、一つ心当たりがある。


 ――ガルハの呪術師ダルハトが使う“死の呪い”!


 六道は右手を左の袖に入れつつ、瞬時に部屋の中を見た。苦しむジランタイの背中を、父ちゃん、父ちゃんと呼びかけながらチャトがさすっている。それを慕容突がいたましげに見下ろしていた。マンツィは両膝と両手を床に付けて呼吸を整えようとしている。


 ――“呪い”は、当人を傷つけりゃ……!

 六道は、左袖から長さ七寸(16.1cm)ほどの飛針とばりを引き抜くと同時にマンツィへ投げた。狙いたがわず右太股に突き刺さり、マンツィは悲鳴を上げた。


 慕容突が一度マンツィを見てから振り返る。六道もその動きを視界の隅に入れつつジランタイを見たが、期待とは裏腹に変化は見られなかった。

 ――他人がやっても駄目なのかよ! 畜生め!


 拳を握りしめ、歯噛みをする六道に慕容突が迫る。

 ――邪魔だでかぶつ! どいてろ!

 六道は攻め気を慕容突の顔面に集中させ、右拳を軽く引いた。攻め気にあてられた慕容突が両腕を上げる。そこへ金蛇(稲妻)のごとき右下段蹴りが炸裂した。


 鍛え上げられた筋肉同士がぶつかり合い、大きな破裂音が響く。

 陽の氣を滾らせた六道の蹴りは、並のオーガの脚ならば軽々と粉砕する。しかし慕容突は、少しばかり苦痛に顔を歪めただけだった。他人に迷惑をかけた子供を折檻する父親のように、六道を掴もうとしてくる。


 六道は慕容突の両手首を素早く弾き、空いた脇腹に右の貫手ぬきてを突き込んだ。さすがの慕容突も苦悶の声を漏らす。だが、さらに深く突き入れようとしたところで、右腕をがっちりと掴まれた。

 捕まえたぞ。慕容突の目が語っている。人間にここまでされて、焦りもうろたえもしないオーガなどいない。今の今までそう思っていたが、それは大きな誤りだった。


 打ち下ろし気味の、大岩のような右拳が迫る。六道はそれを、左拳を突き上げて弾こうとした。万全の状態であれば、充分間に合っただろう。

 しかし、動かした左腕に鋭い痛みが走り、六道の意思とは無関係に一瞬の遅れが生まれる。

 その一瞬で、慕容突の拳が六道の側頭部を打ち抜いた。


 六道の体が力を失い、膝から崩れていく。右手が慕容突の腹から抜けたことで、支えを失い右へ流れるように倒れた。

 それでもまだ意識までは飛んでいない。亡き恩師の修練によって肉体に染みついた動きが、首を捻らせ衝撃を殺していたのだ。


 気合いの唸りとともに六道は立ち上がった。だが、視界は眩暈めまいのように回り、脚も小さく震えている。滾らせた陽の氣による頑強さ、身につけた技術、いずれが欠けても頭部に深刻な損傷を負っていただろう。


 予想していた追撃はなかった。顔を上げると、慕容突は片膝立ちのマンツィをかばう位置まで動いていた。立ち上がった六道に驚きはしているが、それ以外に感情の動きは見られない。

 ――オーガのくせに、血に酔うそぶりすらねえのかよ。厄介なんて言葉じゃ軽すぎる親爺だぜ。


 一般的に、手傷を負ったオーガは泥酔して暴れ回るかのような戦いぶりに変わる。未熟な者にとっては非常に危険だが、力量優れた者からすればかえって与しやすくなる。六道もそれを想定しての貫手だったのだが、どちらかと言えば自分の首を絞める結果につながってしまった。


「……親父さんの命がかかってんだ。どけよ」

 呼吸は荒いが、滾らせた陽の氣はまだ途切れていない。引きずるようなすり足で進み、両腕を高く挙げた。

 慕容突の瞳が輝き、口元がほころぶ。やれるものならやってみろと両手で受け止め、手四つの格好になった。


 他種族の追随を許さない膂力を持つオーガの中にあってなお、慕容突は規格外の力の持ち主と言っていいだろう。それでも互いに一進一退を繰り返しつつ、次第に六道が押し込んでいく。

 あと一息で押しのけられるかというところで、部屋の中に風が巻き起こった。


「マンツィさん、品物全部送り終わりましたよ」

 ロイコーンの声がする。いなかったのはまさか、と嫌な予感がしたところで、ロイコーンが慕容突の上着カフタンを掴むのが判った。


「突さん、時間稼ぎお疲れ様。帰りますよ」

 言い終わると同時に慕容突がかき消え、六道は前につんのめった。もちろん、マンツィの姿もない。


 ――やられた……。あのエルフ野郎……。

 愕然としてジランタイを見ると、今にも泣き出しそうなチャトと目が合った。

「おじさん……。父ちゃんが、治らないよ……」


 六道は大急ぎでジランタイの手をとり、そして唇を噛んでうなだれた。つい先刻まで赤々と燃えていたはずの陽の氣は、今や真冬の氷海のように冷えきっていた。これでは、氣功術者が陽の氣を分け与えようにも体の方が受け付けない。


「ねえ何で!? 何であいつらはこんな事したの!? そんなに父ちゃんが憎いの!?」

 六道はかすかに首を振った。格別憎んでいない相手でも、庭の雑草をむしるように殺せる連中というのは存在する。だがそれをチャトに言ってどうなるのか。


 “死の呪い”の前に何もできないまま時間だけが進み、ついにジランタイから命の灯が消えた。荒い呼吸が止まり、喉と心臓を押さえていた手がだらりと下がる。

 チャトがあ、あ、あ、と言葉にならない声を出して、必死にジランタイの背中をさすり続ける。顔を背けた六道の脳裏に、かつて聞いた師匠の言葉が蘇った。


(カイよ。儂らドワーフは、人前で涙を見せないものだ。それがたとえ、死にゆく家族や戦友の前であっても)

 その時は、ただそういうものかと思っただけだった。しかし今は、心からありがたく感じる。


 ――師匠とっつぁんが言っててくれて良かったぜ。……俺がいたら、チャトが泣けねえ。

 六道は立ち上がり、重い足取りで部屋を出て外へ向かう。ほんのわずかな時間が過ぎて、聞く者の心をし潰すような慟哭が六道の背中にのしかかった。

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